栞

隻腕の女傑
空美は静かにしていたい




「あ? 意外とこたえてなさそうだな?」

 丁門を入ってすぐ右手、鉄筋コンクリート造の雑居ビルがひしめきあう景色のなか、1軒の古びた建物が異彩を放っている。

 煉瓦づくりの2階屋で、赤褐色があたたかい。しかし、1階部の軒と屋根は木造で、どちらも白く塗装されてあって涼しさも感じさせる。4段の階段、それからフローリングのベランダを経て玄関へとつながるあたり、まるで西部劇に出てきそうな建物だ。ベランダ部はすべて白い手すりに囲われており、フローリングの床は乾いた古材で、なんとなし Wynonna Judd『Change The World』が流れてきそうな雰囲気。

 悪くない建物だ。いや、理想的なアーキテクトかも知れない。1950〜60年代のウエスタンスタイルに、私は憧れていないでもないのだから。

 があるとすれば、ここの主人だろうか。

「虜囚霊にでもなって帰投すると踏んでいたが」

 玄関のまえ、階段をあがりきった高台から、じっと彼女は私を見おろしている。椅子に座り、斜にかまえ、左の眉を器用にあげ、核のある低い声で縁起でもない言葉を投げかける。

「り、虜囚霊になったら帰ってこれませんよ」

 目をそらし、苦笑しながら早口でかえすと、

「冗談に決まっているだろう?」

 ふん。真顔の鼻息で突っぱねた。

「……ですよ、ね」

「ご苦労と労っておる」

「あ、お、恐れ入ります」

「あ? あたしが恐いと?」

「いえ、す、好き、です」

「そんなことは知っている」

「そう、です、か」

「あたしも空美のことが好きだぞ?」

「す」

「大好きだぞ?」

「ありがとう、ございます」

「有り難くはない。よく有ることだ」

「はぁ」

 いわゆるツンデレなのだが、彼女の場合、アプローチのしかたが斜め上を行っている。出会ってから3年も経つというのに、どう応じることが正解なのか、いまだにわからない。

 鉄の女であり、謎の女。

 このお方が、円蛇えんじゃさま。

 私のお家の、大家さん。

 いつものことながら、マホガニーのロッキングチェアにどっかりと腰かけている。座にジェニンレザーの張られる、オックスブラッドの赤も神々しいヴィンテージチェアだ。その、ゴールデンオークの肘かけに右腕を休ませ、肘を折って頬杖にし、尖った顎を支えている。長い脚を組んで斜めに傾ぐ姿は冷徹そのもの、睨みのある鋭い視線も相俟って、決してひとを寄せつけない。

 左腕は臍下丹田のあたりに置いている。でも、前腕の途中で途切れている。日本刀でばっさりと切断されたのだとか。

 なにしろ、円蛇さまは戦国時代を生きた女性。地上最強の武器といわれる薙刀を手に、黒馬で駆け、だれよりも活躍し、なのに前田慶次よりも長生きしたのだという。ちなみに伊達政宗と仲がよかったそうで、料理をふる舞うのが大好きな彼のお持てなしを受けたこともあるのだという。屈指の伝説を秘める女傑だ。

 ところが、

「で、さんざんな目にあったそうだな?」

「はぁ」

「九十九孔明からの電報メールが血沸き肉踊っていた」

 いまや、大和撫子の風情はナリをひそめている。

 右の胸のあたりに写実的リアルな百合の刺繍が入る、黒いウエスタンシャツを着ている。トリムとスナップボタンは濃いピンクで、シックでありながらも女性的な風合い。それから、ダメージのほどこされる青いスリムジーンズと、踵に拍車のあしらわれるレザーブーツを履いている。

 髪型はマイクロブレーズ。気の遠くなりそうな細かな編みこみをポニーに結っている。黒髪には艶があり、潔く肩甲骨までおりている。

 ウエスタンとアフロをコラボレートさせたようなファッションだ。のっぽな私が見あげるほどに背が高く、また筋肉質なアスリート体型でもあるが、お洒落な装いがわずかに近寄りがたさを和らげている。日本人離れしていてカッコいい。

「覚醒霊との初対面だったとか」

「はぁ」

「しかたあるまい」

「は?」

「覚醒霊は対応不可能。まして空美ごときになにができるわけでもあるまい」

 ふんと鼻息を強め、さらに頬杖へと傾ぐ。

 観相40代前半のたくましい美貌。わずかに豊齢線が浮かんでいるものの、まるで魔法をかけられたかのように若々しい。吊りあがり気味の眦といい、高い鼻といい、肉感的な下唇といい、かつて天寿をまっとうしたことのある女性であるとはとても思えない。ようやく女性としての喜びを見出だしはじめたころの美しさ。未来的生産的なエネルギーのあふれる美しさ。Dolly Parton『Jolene』のフィットする、だれにも勝ち目のない美しさ。

 ときに、円蛇さまの美貌が羨ましくもなる。なにしろ、私は彼女のようなヴィジュアルには永遠にたどり着けないのだから。すでに13歳当時の見た目で固定されているのだから。ベネフィットされているのだから。



ベネフィット Benefit

 見た目や運動能力が、産方の、最もエネルギーに満ちていた年ごろの状態へと遡る現象のことをいう。幽体となった瞬間に必ず起こる現象であり、以後、永遠に変化することはない。

 基本的には体力にまつわるエネルギーが優先されるそうだけど、しかし、判断材料は多岐にわたり、食欲だったり、性欲だったり、あるいは精神的な若々しさが採用されることもあるという。

 むろん、判断するのは。だから、たとえ30歳のときが最もエネルギーに満ちていたと自負していても、15歳のときの姿へとベネフィットされる可能性がある。逆に、15歳のときがマイベストだと自負していても、50歳のときのへとベネフィットされる可能性もある。若くして死なないかぎり、さすがに体力的弱者である小学生以下にまで遡ることはないが、いずれにせよ、どこまで見た目や運動能力が遡るのかは本人にはわからない。この世の摂理によって勝手に判断され、勝手にをほどこされる。

 私は、13歳ほどの外見にベネフィットされた。登校拒否をはじめるまえの、なるほど体力的にも精神的にも豊かだったころ。まぁ、たった16年間の人生だったのだから妥当な線だとは思ってる。

 九十九さんにはベネフィットの影響がない。わずか2歳で他界したため、ベネフィットもヘッタクレもないというわけだ。テトさんも同様、8歳の、即死する直前の姿で固定されている。

 ちなみに、ベネフィットされた見た目のことを『観相かんそう』と呼び、例えば「観相13歳」とか「観相40代前半」と表現する。また、節年と変わらない見た目であれば「観相一致」と表現することもある。さらに、あまりにも若く、もしくは年老いた見た目でベネフィットされた幽体に対し、一部の幽体の間で『医療ミス』と揶揄することもある。老若を嘲笑しようとする差別的隠語スラングであり、残念ながら、この世が格差社会であることを証明するフレーズのひとつ。





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