栞

この世のルール G 透過と固定
空美は静かにしていたい




 かなりややこしい話をする。でもとても重要な話。

 まず、生体からの物理的な接触状態に置かれている物質は、必ず幽体の身体を透過Overする。書物も携帯電話も衣服も自転車も、生体が触れているかぎりは、幽体の身体には透けてしまう。絶対に触れることができず、ひいては、無条件に所有へと持ちこむことができない。

 つぎに、生体からの物理的な接触状態には置かれていないものの、特定の生体個人、ないし団体や組織の占有物と認められている物質は、必ず幽体には固定Ovalされる。触れることはできるけれど移動させることができず、ひいては、無条件に所有へと持ちこむことができない。

 つぎに、生体を包容・包蔵・包含する物質は、生体による接触や占有の有無に関わらず、必ず幽体には固定される。ひいては、無条件の所有に持ちこめない。

 つぎに、大地や惑星という広域観念に帰属する物質は、これも生体を包容・包蔵・包含するものと見なされ、生体による接触や占有の有無に関わらず、必ず幽体には固定される。ひいては、無条件の所有に持ちこめない。



書店に並んでいる小説は?

 原則、書物全般は書店の占有物なので、ただ置かれてあるだけの状態であれば、幽体には固定される。その場にがっちりと固まり、持ちあげることはおろか、ページを捲ることもできない。逆に、生体が立ち読みをしている状態であれば、幽体には透過する。要するに、お店の品物を幽体にどうこうすることはできない。

生体の肉体は?

 彼や彼女が死体や骨でないかぎり、幽体には透過する。確か中国には、精神を「魂」と、肉体を「魄」とに分けて考える思想があったように思うけれど、もしかしたら、肉体は精神の接触物なのかも知れない。

水道水は?

 コップに注がれている水はもとより、蛇口から出ている水もまた、特定の個人、ないし水道局の占有物と見なされる。つまりは固定──不気味な感触をもたらす蠢く固体として触診されることになる。

建造ハコ物は?

 生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物体なので、仮に生体が接地・接触していたとしても、幽体には固定される。また、送電鉄塔や建設中のマンションなど、骨組みだけの建造物や隙間の多い建造物についても同様。床や壁をすり抜けることはできず、確実に施工されているコンクリート・タイルカーペット・壁紙クロス化粧石膏天井材ジプトーン・窓ガラス・扉・襖など、建造物の構成要素と見なされるものも所有は叶わない。

車両は?

 乗用車・電車・飛行機・船舶など、生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物体であれば、建造物と同様、一律で固定される。ただし、バイクや自転車など、包容・包蔵・包含の役割として完全でないものに関しては、前述の小説の例があてはまる。

大地や山脈は?

 大地や惑星という広域観念に帰属する物質、生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物質なので、生体の接地や接触に関わらず、幽体には固定される。また、砂利・アスファルト・樹木(ただし葉や花や果実などは前述の小説の例が有効)など、大地や山脈の構成要素と見なされる物体も所有は叶わない。

河川水や海水は?

 大地や惑星という広域観念に帰属する物質と見なされるので、生体の接触や遊泳に関わらず、幽体には固定される。要するに、不思議なことに、幽体の身体は。万里さんが曰く、隅田川のうえでじっとしていたら動く歩道のようで楽しかったらしい……って、なにをしてるんだ万里さん。



 このように、占有者・接触者である生体が確認される物質を幽体が所有することは、原則的には叶わない。だから、新刊の雑誌を読みたければ、立ち読みしている生体の背後へと忍び寄り、慎重に覗き見するぐらいしか手立てがない。もちろん、ページを捲るのが早いと責付いたところで聞き入れられる道理もない。あるいは、占いの館を出入りするために館主に扉を開けてもらわなくてはならないのだし、エレベーターを利用するために清掃員の背中に張りつかなくてはならない。

 面倒くさい。

 ただし、たとえ生体の占有物であったとしても、無条件に幽体が受け取ることのできるものもある。気体、または気体や空間に介在するエネルギーだ。例えば、温度・風力・芳香・音楽・重力などなど。

 でも、この程度のエネルギーで幸せを感じられるのも幽体ならではの特性なのかも知れない。地熱に茹だる幸せ、微風に涼む幸せ、草花を香る幸せ、リズムを楽しむ幸せ、遠心力を感じる幸せ──火傷したり鼓膜が破れたりすることはないけれど、生体とおなじ感覚に没入できる幸せ。

 幸せだなんて、産方には考えもしなかったな。気が滅入るからイヤだ、髪が乱れるからイヤだ、鼻が曲がるからイヤだ、みんなとおなじでいるのが気に入らないからイヤだ、酔って頭が痛くなるからイヤだ──引き算ばっかり。足そうだなんて、思いもしなかったな。

 あ、そうだ。いままでに何度か出てきた『産方うぶかた』という見慣れない言葉だけど、これは「生前」の同義語。まったくのイコールと思ってもらってかまわない。その他、まだまだ同様の文化的用語は存在するものの、私は話を脱線させやすい性格なので、またべつの機会に紹介する。

 では、いまいちど、所有の可否についておさらいしよう。



一定の生体が接触している状態の固体、および液体は、生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物質、および大地や惑星という広域観念に帰属する物質以外、幽体にとっては透過状態となり、ひいては所有することができない。

占有者としての一定の生体が確認され、なおかつ生体の接触を許容していない状態の固体、および液体は、生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物質、および大地や惑星という広域観念に帰属する物質以外、幽体にとっては固定状態となり、ひいては所有することができない。

生体を包容・包蔵・包含する役割を担う物質、および大地や惑星という広域観念に帰属する物質は、生体による直接的関与に関わらず、幽体にとってすべて固定状態となり、ひいては所有することができない。



 ちなみに、この世では「透過」のことを『オーヴァOver』と表現することがある。反対に「固定」のことを『オーヴァルOval』。どちらもエネルギーの流れ方をあらわしたものらしく、ルーサから渡来した言葉。日常的に必ず使うルールはないけれど、わりと耳にする。ルーサやローマの幽体が口にする特殊英語表現としては、他にも、



Oval World

 この世のこと。

Limited World

 あの世のこと。

Riser

 幽体のこと。

Usualer

 生体のこと。

Interpreter

 紹介屋のこと。



 などがあり、挙げたらキリがない。しかし、紹介屋を「通訳Interpreter」と表現するのは、なんだか不思議な感じだな。

 さて、話を戻して。

 占有者の確認できない完全自生している金木犀でないかぎり、幽体が摘んで所有することは絶対にできない。あるいは、占有者が不特定多数であるがゆえに占有意識の不揃いな金木犀でないかぎり、これも同様に所有不可。そして、日本の多くの土地が以上のケースに恵まれない民主的人工的な土壌であるかぎり、金木犀とは、幽体にとってはきわめてレアな存在であるといえる。もっといえば、レアな存在であるがゆえに、常に厳重に保管すること、最悪の事態を想定して携行すること、無駄なく消費するために最悪の事態を予防しておくことが求められる。

 日本って、意外と自然を自然のままにしておかない国なんだ。そのせいで、私はあの甘い香りの虜になりすぎた。だから、イルマ姉さんに叱られた。




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