栞

起因 〜 琴野飛鳥
空美は静かにしていたい




『ゾディアーク少女』は、12星座(太陽星座)をコンセプトとする12人体制の女性アイドルグループ。ひとつの星座に対してひとりずつ、生まれ星座に該当する少女があてがわれるシステムを持っている。自分の星座とおなじメンバーを贔屓にしたくなるという、ファン心理のいち要素を最大活用しているグループだ。

 琴野飛鳥は双子座ジェミニの担当だった。

 ちなみに、

『二面性があったらゆるしてね? みんなを惑わすミステリアスガールにご用心! 飛ぶ鳥を落とす双子座の星、琴野飛鳥とは私のことだ!』

 これが彼女のお決まりの挨拶。

 3〜4ケ月に1枚というハイペースでシングルCDを発表し、しかもことごとく大ヒット、また日本武道館や神宮球場でのワンマンライヴを成功させるなど、押しも押されもせぬ国民的アイドルグループの初期メンバーだった飛鳥は、しかし、もともとアイドルに関心がなかった。あくまでも日本独自のエンターテインメント要素としか見ていなかったし、だから、例えば男性アイドルグループに入れあげることもなければ、CDや配信サービスなどのパフォーマンスを楽しむこともなかった。

 そんな彼女がまさかのアイドルになったのも、両親が親バカを発揮して勝手にオーディションに応募してしまい、ドライに考えたうえで「そういう人生も面白いかな?」と判断してのこと。実際、合格するとは夢にも思っていなかったわけだし、半ば遊び感覚でトライしてみたというのが正直なところだった──のだそう。

 でも、彼女は最終オーディションを勝ち抜いてしまった。4万人もの応募者でひしめきあうなか、たった12人しかいないアイドルグループのひとりとなってしまった。

『おぁぁ、困ったなぁというのが結成当初の心境でした。だってですね、星座を貶めることができないじゃないですか?』

 確かに、双子座を冠するということは、世界中の双子座のひとを代表するということ。ならば当然、他のどんなアイドルよりも品性や節度や清潔感が求められる。ましてや恋愛なんてタブー中のタブー。そういう意味では「人生の半分を犠牲にした」と言っても過言ではない。

 正規のメンバーとなった直後、弱冠14歳にして事の重大さに気づく。しかしもはや後の祭、日ごとに暗澹としていく心を抱えるばかり。

 そんな飛鳥を救済してくれたのは、だれあろう、熱心なファンたちだった。

『あしゅかあしゅかって、みんなが応援してくれるんですよハート鷲づかみですよ』

 アイドルである以上、確かにアンチの存在という宿命からは逃れられなかったが、しかしその天真爛漫な人柄で日増しにファンを増強。また、あんがい身体も頑丈なほうであり、握手会などの主要なイベントは無欠勤、むしろ風邪で欠席したメンバーの代理を担うほどで、つまり表舞台への露出も多くなり、頑張っていると認められるのにそう時間はかからなかった。しかも、いまどきの女子ならではの特徴か、メンバーもみんな大らかで、派閥だの裏事情だのと時代錯誤なことを想起してしまうような女々しい男よりもはるかに男らしい。彼らの切望するに苦悩することもなかった。ちなみに「仲間の活躍を羨望しているうちは女子であり、嫉妬しはじめたら女となる。こうなったらもう2度と女子もとには戻れない」──天秤座ライブラを担当する蒼井美結あおいみゆうの言葉だ。なるほど。

 なんにせよ、アイドルならではのカタルシスというものがあり、あっという間に飛鳥はその虜となった。もちろん、

『さすがにセクシー番長という肩書きは不満でしたけど。だってアスカは残念ながら単に胸が大きいだけなのでセクシーだなんて恐縮ですよアスカは痩せぎすなのでセクシーではないのです』

 アイドルならではの葛藤もふくめて。

 順風の吹くアイドルの大海原を、彼女は4年間、邁進しつづけた。新米マネージャーの伝達ミスによる生放送の遅刻や、ケータリングによる軽度の集団食中毒など、いくつかの予期せぬ事故は経験したものの、結果的には教訓となり、グループが解散のピンチに陥るような状態を経験することは皆無だった。飲酒トラブルも、恋愛トラブルも、凶刃トラブルもなかった。なかったはず。

 ところが、18歳の春、琴野飛鳥の身に、ひとつの大きな転機が訪れる。

 戦友であり、親友でもある、蒼井美結の卒業。

 彼女とは、水瓶座アクエリアスを担当する伊藤乃南いとうのなみとともにグループの屋台骨となって切磋しあう仲だった。それぞれの自宅に泊まりこみ、グループの未来について朝まで語りあかす仲。3人で『えある』というユニットを組み、シングルCDまで発表する仲。あしゅか・みゅうみゅう・のなみん──この愛称はファンの間では絶対的なものであり、また「奇蹟の3姉妹」として親しまれるほどの仲。

 喧嘩もなかった。双子座・天秤座・水瓶座──風のエレメントらしく、問題に対しては常に冷静沈着に、合理的に議論しあうような間柄だった。もちろん、アンチは3人の仲を表面的なものだと勝手に決めてかかった、しかし飛鳥は、美意識のある冷笑的シニカルな美結と、哲学する倫理的エシカルな乃南のことが大好きだった。きっとふたりも、応化できる理論的ロジカルな飛鳥のことが好きだっただろう──彼女はいまでもそうだと信じている。

『傘をさすのが嫌いなんですよ美結って子。どしゃ降りの雨のなかでもスンッとした顔で普通に躍りでるんですそれを乃南とアスカで必死に追いかけるという。風邪を引くから傘に入ってぇって必死に追いかけるんですよ大変な子なんです』

 が、びしょ濡れの少女はこう切りかえすのだ。

『乾いている状態が常識だと思っているから濡れると気持ち悪い。でも、濡れているものだと常識をシフトしてやれば乾いている状態のほうが気持ち悪くなる』

 そして、こうつづけた。

『常識なんてそんなもの。大切なのは自分の居場所。で、飛鳥はどこにいる? 乃南はどこにいる? あたしはここだ。いつもここにいる』

 右の親指で自分の鳩尾を指しながら、挑戦的な言葉を紡ぐのだ。

 とてもではないがフレキシブルとはいえない、変な女子だった。でも、負けず嫌いで、なにごとにも揺るがない強靭な美意識があり、そこが好きだった。周囲からの影響を受けやすく、ちょっとしたことで軟化してしまう飛鳥にとって、美結は憧れの存在だった。

 そんな彼女が、卒業を決めた。女優を夢見ての英断。いや、グループの結成当時から将来の夢を女優と定めていたぐらいだし、つまりは必然的な流れであり、英断とはいえないのかも知れない。しかし、憧れの戦友が自分自身の分水嶺に立ってしまったことには違いない。

 このちょうど1年前か、舞台俳優を目指して牡羊座アリエス遊佐詩織ゆさしおりが卒業している。グループ初の卒業生だったし、飛鳥をかわいがってくれた優しいお姉さんメンバーだったしで、確かにショックな出来事だった。卒業コンサートでは号泣しすぎて腰が抜けてしまったほど。でも、それでも、蒼井美結というひとつ歳上の戦友の卒業は、遊佐詩織のときとは比較にならない大事件だった。

『恥ずかしながら、あのぅ、ええと、美結に泣いてすがってしまいまして。辞めないで、まだ辞めないで……と。いや、なんともお恥ずかしいお話でございますよホントに顔から火ッ!』

 むろん、それで頑固な友が信念を曲げることはない。すがりつくことで、逆に彼女を焚きつけてしまった感さえもある。

 こうして、

『ここにいるのは、今日までです。明日は、蒼井美結はここにはいません。だけど、みんなはここにいてください。どうかここにいて、ここにいる少女たちを、ずっとずっと、ずっと応援してあげてください』

 よく似合う言葉をファンに託し、とうとう、美結はから去っていった。

 飛鳥は、もう泣かなかった。乃南と肩を組み、昨日よりも美しくなっていた友の背中を黙って見送った。淡々とステージの階段をのぼりきり、1度もふりかえらず、強い微笑みを浮かべたまま舞台裏へと消えていく華奢な背中を。

 そして──この瞬間をもって、琴野飛鳥のがはじまる。




 8月。美結の卒業コンサートののち、天秤座を空位にしたままはじまった全国ツアー。どうにか無事には乗り越えたものの、やはり虚脱感は拭いきれず。めずらしく振付を間違えるなど、いまいち精彩を欠き、とてもではないがファンを満足させられる出来とはいえなかった。

 9月。美結の穴を埋めるべく、新たな天秤座のオーディション開催日程が全国へと通達される。しかし、飛鳥はまるで乗り気でなかった。乃南とともに「なんだかねぇ……」と囁きあい、身内のことながらドライな距離を置くことに。

 10月。ファンの間では突貫工事と揶揄されつつも、天秤座の新メンバーが早々と決定。13歳の香椎由芽かしいゆめ。伏し目がちで陰的な印象だが、気弱なグラスハート、印象の域を越えない少女であると知って落胆。グループ結成当初から空気を読まず、物怖じせず、孤高の存在だった美結とは雲泥の差だった。

 11月。さっそく新譜の話が飛び交いはじめる。運営陣がだれに気をつかったか、なぜかセンターは乃南となった。いまだに挙動不審な香椎の面倒は他のメンバーへ丸投げ、飛鳥は乃南のサポートに専念しようと胸に誓う。

 12月。昔からダンスの不得手な乃南を尻目に、香椎と、遊佐詩織の後任である湊本華子みなもとかこが頭角をあらわしはじめる。新人ルーキー2名の胎動を喜んでいて然るべきところ、しかし、乃南に付き添う飛鳥はただただ歯噛みするばかり。

 1月。シングル『僕は最後の君』がリリース。でも乃南のダンスのしあがりがいまいち。振付師を交えての最終確認のさなか、ついに飛鳥は項垂れる戦友に向けて雷を落としてしまう。卒業する子が違ったんじゃないの!?──血迷った台詞とともに。

 2月。孤立したのは飛鳥のほう。ファンが催す乃南の生誕祭、その集合写真においてでさえも、奇蹟の姉妹が肩を並べることはなかった。彼女に天真爛漫な笑顔もなく、12人の最後尾でスマホのファインダーを睨みつける体たらく。

 3月。相変わらず居心地を悪くしたまま高校を卒業。節目の時期に感化されてか、飛鳥は潮時を思う。しかし、もともと芸能界に興味のなかった少女に残留の意志などなく、就職というフレーズばかりが頭をよぎる。そんな折り、彼女のもとに旅番組への出演依頼が舞いこんできた。劔岳での春登山に臨むのだという。

 そして、4月。




 劔岳で男女2人滑落。男性重症、女性不明。
 [20XX年4月22日 / 産京新聞]

 22日午後1時すぎ、富山県立山町の剱岳 (標高2999メートル) で、東京都のテレビ局に勤務する20代男性から「登山中に仲間2人が滑落した」と110番通報があった。

 県警上市署によると、滑落したのは、東京都のテレビ局職員の男性(35)とアイドルグループに所属する女性(18)。標高約2350メートル地点で滑落したものと見られる。午後5時頃、県警山岳警備隊が男性を救護し病院へ搬送、足の骨を折る重症を負っていたが命に別状はない。もう1人の女性とはまだ連絡が取れておらず、県警航空隊がヘリコプターで捜索をしたが見つからなかった。23日に捜索を再開する方針。




 この1報は瞬く間もなく日本全国を席巻した。当日の夕方のニュース番組ではさっそく特集枠が組まれ、街では号外が出る始末。SNSは荒れ、富山県警に対する八つあたりのような批判の声もわずかにあがった。国民的なアイドルグループの主格を担うメンバーの事故なのだ、しごく当然の反応だろう。新米紹介屋としてただ右往左往するばかりの私の耳にも届いたぐらいの、世紀の事故だったのだから。

 結論から言う。2年以上が経った現在もまだ、琴野飛鳥の遺体はあがっていない。いまだ劔岳のどこかにはあるのだろうが、在処は彼女自身にも把握できておらず、もしや神のみぞ知るところなのかも知れない。

『突発型なので、たぶんアスカ、惨たらしい死に方だったと思います。いずれにしてもいまでは骨と皮オンリーになってるでしょう。残念ながらセクシー番長の面影は皆無でしょうね見てみたいものです』

 そう言って笑う飛鳥だったが、

『美結がいたんです』

 すぐに表情を曇らせたことがある。

『たまたま入口でバッタリですよ……いや、彼女にはアスカの姿は見えてないんですけど』

 幽体となって間もなくのこと、なんとなし我が遺体の在処が気になり、わざわざ富山にまで足を運んだのだそう。このとき、偶然にも彼女は、登山ルートの出発地点のひとつ『室堂ターミナル』で蒼井美結と出会した。

『ホントに偶然なんですけど、美結、劔岳を見あげて泣いてました。青空の下で、仁王立ちになって、黙って、さめざめと泣いていて。それを見てアスカ、思わず怒鳴ってしまいました。もうにはいないッ!──アスカはにいるんだ、そうだと教えてくれたのは美結じゃん、なにしてんの!?──って、聞こえやしないのに、届きやしないのに、思わず怒鳴ってました』

 あたしはここだ。いつもここにいる──そう教えてくれた戦友が、自分の信念を曲げ、泣いている。

『悲しかったです』

 もちろん、人間にとって、死とは常にそうさせるものだ。しかし、かつて自信満々に鳩尾を指した存在が、憧れの存在が、尊敬する存在が、常なる死の観念にやすやすと屈している姿を見せたのが飛鳥には悲しかった。

『アスカは風になったんです。だから、山を見あげずに周囲あたりを見わたしてほしかった。そこであれば、アスカはいるのかも知れないですもん』

 そう言って彼女は寂しそうな微笑みを浮かべ、でもすぐに、気持ちはわかるんですけどね──やわらかく含羞んだものだけれど。

 3姉妹のもうひとり、伊藤乃南は、美結よりも深刻な状態にある。仲違いしたままに友を喪い、そのショックから長期にわたる戦線離脱を余儀なくされた。とっとと卒業してしまったほうが水瓶座たちも救われるのでは?──心ないバッシングを浴びつつも、彼女は沈黙を守りつづけ、そうして1年半後に復帰した。しかし、かつての朗らかな雰囲気は微塵もなく、深い影を落としたままで、一部のファンから「闇落ち」という薄情なタグをつけられるにいたっている。

『卒業する子が違ったんじゃないの!?』

 謝りたいらしい。でも、もはや手段がない。




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Nanase Nio
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