空美は静かにしていたい
由里万里──童名は一之瀬万里。
白金台のお嬢様だった彼女は、ロースクールをスペインですごした帰国子女でもあり、スペイン語・英語・ドイツ語・ロシア語・ソト語を話せる才媛だった。また、天性の美貌と抜群のスタイルを持ち、中学生にあがってすぐに渋谷でスカウト、当然のようにファッションモデルとなる。許多のファッション雑誌のトップを飾り、高校1年生のときには超メジャー級の大人系雑誌『エスペラ』の専属モデルに。さらには、CMやTGCに引っぱり凧の活躍を。戦場の迷彩服を取り入れた個性的なコーディネートは『マーセナリーズ』と呼ばれ、クールでアウトローな女性像を示すパイオニアとなった。そして高校卒業の矢先、彼女のもとへ、ミスユニバースの話が舞いこむこととなる。
出場を決意した一之瀬万里は、約1年がかりでウォーキングを磨き、コミュニケート術の学校で表現力を学び、改めて語学も練った。こうして、ひとりのまばゆい女は飽くこともなくその輝きを膨らませていった。なにしろ、彼女にはあふれる才能があり、研鑽にも余念がなかったのだから。
彼女の歩みは、関わる者のすべてを圧倒した。目の肥えたレビュアーたちを驚嘆させた。私腹を肥やすための帝王学しか持たない、素人も同然のスポンサーたちを沈黙させた。おなじ夢を見る名高いライバルたちを諦念させた。無敵だった。
20XX年の3月12日、4000名強のエントリーするミスユニバースジャパンでは力の差を見せつけて優勝。そして同年5月、メキシコシティにて開催された世界大会でもみごとに優勝──天下無双のティアラを獲得した。絶頂だった。
そののち、一之瀬万里はミスユニバースの任期である1年間を世界各国ですごした。プロジェクトサンシャイン・AIDS WALK・マラリア予防活動・食糧支援活動・アルツハイマー病支援・Health Corps・スペシャルオリンピック──約15ケ国をめぐった。夢中だった。無敵を笠に着て、彼女は聖地巡礼の大手を振った。
しかし、
『美の正義がいつも引っかかってた』
この回顧録を裏づけるように、ゆいいつの主義主張をもって参加しなかったことがある。
動物愛護運動。
日本大会の最終選考会にて、彼女は意図的にリアルファーを着用していた。それがもとで動物愛護団体PETAから「あなたの美しさが表面的なものではないことを証明しなさい」と非難され、彼女は待ってましたといわんばかりに徹底交戦のかまえを取った。作戦どおりだった。
『衣を衣のみの用途として成立させたいのであればエデンの葉っぱを身につけていればいい。しかし、美の観念を加味して讃えようとするのであれば、許多の生命をいただいてきた人類の歴史を認めなくては辻褄があわない。もしもその歴史を否定し、いま、ここにある時系列のみを切り取って時代の正義を語り明かしたいのであれば、まずはあなた方が、リアルファーや化粧品、医薬品こそ美の歴史の原点であった事実についてどなたかに謝罪なさることが先決でしょう。そして、動物とおなじく呼吸をし、美しく咲き、同類と会話さえもすることのできる賢い植物たちの生命を人類の犠牲とするがいい。動物のみに憐憫の情を寄せ、その足もとで一生懸命に生きている植物をリアルファーにしてぞんぶんに美の正義に酔いしれるがいい』
そして、こう憫笑した。
『あたしにとって、美とはいただくもの。是非の向こう側に手をあわせるもの』
瞬く間もなく、世界中で「美とはなにか?」の論争が勃発。日本特有の「いただく」という観念に疎い者ほど大きく首を傾げ、安易な翻訳に頼らない者ほど一定の理解を示し──面白いほど賛否両論とに分かたれた。アメリカ合衆国の大統領までもが、やや否に寄ってはいたものの、異例の持論展開を見せることに。狼狽えていたのは日本国の首脳陣とワイドショーの経済アナリストぐらいのもので、一部の過激なネチズンとて毅然と論争に加わっていたのが象徴的とされもした。
世界は、一之瀬万里の罠にまんまとハマった。
『アイツらの愛護精神は大ッ嫌いだ。だって、グローバルスタンダードとかいう暴力を数は力の正義で推進したがるんだもん。ちなみに、先進国では破廉恥とされるのだから我々に倣って服を着なさい──つってアフリカの裸族に着衣を強要するクソ暴力行為のことをグローバルスタンダードという。リアルな話よ?』
そう、彼女はいまも欧州嫌悪の持ち主だ。
『そもそも、手をあわせてイタダキマスってのがあたしの美意識だから。美意識を守るためならあたしはどことでも戦争してやる』
異しからん発言だと動物愛護団体からは指弾の雨霰を浴びながらも、結果、一之瀬万里は頂点に立った。ありえないことだった。動物愛護という地上最強の砦に反旗をひるがえしての栄冠など、ミスユニバースの歴史上、あとにもさきにもないことだろう。それもこれも、近代倫理では太刀打ちできないほどの好戦的人間味を、美談だけで語るのは安易な茶番狂言だといわんばかりの挑発的人間味を匂わせていたことこそが、彼女が頂点をいただいた最たる理由に他ならない。果たして、
『マリ・イチノセは我々のライブラリーである。ここには、ギネスブックの隣に易々とヒロシマ・ナガサキが並んでいるのだ』
歴戦の審査員にそう唸らせるほどの冷笑的人間味を。
ミスの栄冠を獲得してからも彼女への注視はとどまることを知らず、連日連夜、カメラが追いつづけた。表面上は批判的なパパラッチでさえ、剛毅で、気骨があり、あんがい大雑把でもある彼女に憑かれた。
任期満了まで追われた稀代のクイーン。目のまえに障壁が立ちふさがることなど、ないはずだった。
最後の最後、彼女は大きなあやまちを犯した。
残す任期、2週間となって訪れたラスベガス。一之瀬万里は、この大都市でホセ・アントニオ・グラナダという名のコロンビア人男性と出会い、激しく恋に落ちた。じつはこの男、サンティアゴ・デ・カリに端を発し、南北アメリカにまで触手を拡げた大組織『カリ・カルテル』の残党であり、独自にゲリラを展開するなどして国際指名手配を受けた大悪党。麻薬の製造・武器の密輸・資金の洗浄・殺人などあたりまえの、ありとあらゆる裏を牛耳る危険な人物。そして、一之瀬万里の人生ではじめて肉体をゆるした男。
任期満了を待ちわびていたかのように、彼女は忽然と姿を消した。
ミス・イチノセの失踪は世界中を激震させた。家族からは捜索願が出され、まぎれもない事件として取り沙汰。もしや某国による拉致活動が再開されたのではないかと、まことしやかに囁かれもする始末。こうしてテレビが、ニューズペーパーが、インターネットが、ゴシップマガジンが大河のスクロールを重ねた。大統領暗殺事件やキング・オブ・ポップの急逝と肩を並べるほどの過熱ぶりだった。
とはいえ、必定、センセーションは栄枯盛衰。失踪から半年が経つころには、すっかりマスコミの熱はさがっていた。彼女の名前をメディアに見ることはなくなり、都市伝説か、ペテンの導師か、はたまた単なる鷹か?──低俗な三文コラムと化していた。
ところが、失踪事件発生から3年後、ふたたび一之瀬万里は美貌をあらわすことになる。第2の故郷であるマドリッドにて、コカインとベレッタM92の所持による現行犯逮捕という札付きで。
スペイン警察の取り調べに、しかし彼女は口を割らなかった。件のマフィアが関与していることまでは判明したが、肝心要となるネットワークが吐露されることはなかった。スペイン政府、日本政府、コロンビア政府、アメリカ政府と集って真相究明に乗りだしたものの、4国の働きかけをもってしても彼女は頑なに沈黙を貫いた。
『Miss. Silent Mis』──これはマスメディアが彼女に贈呈した不名誉な称号だ。あとは5万のフラッシュを用意するのみ。
彼らは、留置場の中で口遊まれた歌を知らない。
私の胸にチップを挿して?
その一枚でドレスを買うわ
あなたと飲んだワインの色の
あなたと飲んだワインの色の
昨日の色に輝くドレスは
流れる河面に浮かべたわ
醒める夢などいらないの
永久にあなたと酔いましょう
私の胸にチップを挿して?
その一枚でドレスを買うわ
あなたと飲んだワインの色の
あなたと飲んだワインの色の
麻薬所持・拳銃所持・詐欺・脅迫・強盗・殺人未遂・テロ組織への資金援助──まるで単独犯であるかのように嘯かれ、語られることのない黒幕。決定打と思われた有力情報とて、ことごとく彼女のまえで止まった。だれも彼も、後逸のボールを拾うことはできなかった。
彼女は、守り抜いた。
こうして、スペイン警察から裁判所へと移送されるほんのわずかな陽向で──ひさしぶりの陽射しのなかで、一之瀬万里は狙撃された。
スナイパーライフルの弾丸は眉間を貫通、その勢いで頭部の上半分は肉片と化し、後方へと飛び散り、舌の根もとをテレビカメラにさらけだし、直後、糸の断たれたマリオネットのように膝から墜落。
即死だった。
スポットライトを浴びていたときよりも、無敵のときよりも、絶頂のときよりもはるかに美しくなっていた彼女は、究極の美貌をポートレイトに変え、わずか23年間の生命に幕をおろした。
2年後、コロンビアでホセも逮捕され、巨大組織のアジトが続々と剔抉。そんななか、一之瀬万里の隠れ家ではないかと疑われるアパートもあった。しかし、発見されたものといえば、汚れた鏡台と使い古しのメイク道具、すっかり底になっている香水の瓶だけ。あとは、なんにもなかった。冠も、杯も、服も、写真も、歴史も、名誉も、価値も、なんにも。およそ3年もの間、ボゴタのスラム、その片すみにある寂れたアパートの一室で、彼女はすべてをかなぐり捨てて生きたのだった。
残さず、でも、残るように。