栞

そういう理屈
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Category : I Think
Update : 2014/06/15[Sun]15:00



 スポーツマンシップについて書く。書くよ?

『おのおのの競技に定められるルールを、選手や関係者、応援団が遵守する。彼らはおのおのの競技のルールに基づき、公平に、公正に競技を推進させ、また見守る。常に品性、品格を維持し、身内のみならず対戦相手の個性や統制力、アイデンティティ、ヒストリィを尊重し、競技の終了をもって対戦相手に敬意を払い、相互の健闘を讃えあう』

 上記の姿勢が美学や美意識として観念化されたもの、さらにはマナーやエチケットとして理念化されたものを私は「スポーツマンシップ」と呼ぶのではないかと思っている。たぶん、このとおりだと思う。

 で、もちろん統計を取ったわけではないが、これはもはや地球規模の常識として確実に定着している。スポーツに携わる者であるならば必ずや抱かなくてはならない観念であり、必ずや守らなくてはならない理念であるとして、習いはじめの幼年期から徹底的に指導され、教育されている現状でもある。先進国だけにかぎった話ではなく、競技会に参加できる程度の国際的体力を有している新興国や後進国にまで浸透しているようにも思われる。もちろん私個人の観察によることには違いないけれど。

 原則的な話をするが、スポーツマンシップが求められる競技においては、ファールの判定を告げる声や笛が鳴ることは決してあってはならない。ルールを遵守する姿勢こそがスポーツマンシップの基礎であるかぎり、すべてのファールがスポーツマンシップに背く行為となる。常に公平公正な姿勢で競技に臨み、品性や品格を維持し、皆を敬い、皆を讃える態度を持つという定款ていかんに与しているかぎり、よもやファールなど生じようはずもない──のである。

 そういう理屈になる。

 ルールという概念があって初めて成立する精神シップではあるものの、ある意味ではルールよりも重要なものであり、ルールを学ぶ以前からすでに叩きこまれている現状であるようにも思う。もしや「スポーツマンシップあってこそのルール」と言い換えることができるのかも知れない。それだけ、ルールとスポーツマンシップは密な関係にある。

 ルールに背くファールを起こしたということは、スポーツマンシップを冒したということにもつながる。ということはつまり、スポーツマンシップの保有者は絶対にファールを起こさない──という原則になる。

 そういう理屈になる。

 サッカーで例えるならば、スポーツマンシップの保有者は絶対にスライディングで相手選手の足を削らない。相手選手の服を掴まず、オフサイドトラップを仕掛けず、膝を入れて倒さず、たいを入れて防がず、倒されたように見せかけず、時間を長引かせず、暴言を吐かず、競技終了後に怨みを募らせず、怒りをブチ撒けず、抗議せず、終わったことをウダウダと言わず、終始一貫して紳士淑女然として平静を保っている。ということは、試合中に審判のホイッスルが吹かれることなど絶対になく、ましてイエローカードやレッドカードの出番など絶対にありえない。彼がスポーツマンシップの保有者であるのならば絶対に──だ。

 そういう理屈になる。

 さて、ここからが私の意見だが。

 スポーツマンシップありきのスポーツなんて、つまんない。

 特に、団体競技に強く言える。両チームの間に境界線がなく、敵に味方と輻輳ふくそうを為すことで成立する団体競技であるのならばいっそうに。

 だって、スポーツマンシップに則るということは、選手同士の削りあいが起きなくなるんだよ? 誰もが紳士淑女然としていて、フェアな展開に努め、小賢しいシミュレーションをせず、裏読みのオフサイドトラップも仕掛けず、終盤の時間稼ぎもしないような、品行方正な試合なんだよ?

 そういう理屈になるじゃんねぇ?

 理屈は大切。だって人間だもの。

 お利口さんな試合しか生まないスポーツマンシップを、じゃあ、なぜ多くの人はああも望んでいるんだろうか。声高に叫んでいるんだろうか。つまらなくないとでも思っているんだろうか。削りあいのない、挑発のない、スムーズで品行方正でしかないような試合が。スティング『Englishman In New York』の紳士だけで織りなされているような試合が(私はこの曲の紳士こそ真の紳士だと思っている)。

 そのわりに、ファールの笛が鳴ってPKになった時の歓声がスゴいんだよねぇ。

 どっちなのよ?──と言いたい。

 はっきりして?──と言いたい。

 私は、ルールさえあればスポーツマンシップなんて要らない。むしろ、ルールの隙間に切れこむ、エッヂのきいた悪人ヒールの所業を見たい。パイプ椅子で殴打し、止めに入ったレフェリーをも暴行するような血みどろのデスマッチが見たい。

 電流爆破? ウェルカム。

 一方ではスポーツマンシップを敬い、公平を口にし、品格を重んじる。しかしながらもう一方では、クレバな展開を持ちあげ、シミュレーションなどの騙しのテクニックを闘いの妙味として推奨している。ボールを跨いで相手選手を眩惑したって苦情クレームは叫ばない。むしろ「ブラボー」と叫ぶ。スポーツマンシップの保有者ならば眩惑などという汚いマネは絶対にしない──という理屈になるはずなのにねぇ?

 横綱相撲であれば文句はないんだけどさ。卑怯な手を使わず、常に公正であり、常に品格を保っていても素晴らしい取り組みのできる横綱であれば。ならば私に文句はない。

 でも、他のスポーツとなると、選手や関係者、応援団の態度がはっきりしない。みんな「右」を口にしながら左を向いてる。

 変な表現だけど、なんか男らしくない。

「ルールは守れ! だが隙をつけ! ズル賢くヤれ! 常に蛮勇たれ!」

 そう言っちゃえばいいのに。

 だけど、言わない。積極的にスポーツマンシップのほうを口にしている。と同時に、積極的にズル賢いプレーを楽しんでもいる。

 どっちなのよ?──と言いたい。

 はっきりして?──と言いたい。

 口にして表現したからには、仮に背反があれば、背いた選手を叱って再発防止に努めるぐらいの責務は発生するはずなんだけど。監視の目を強め、つまんない試合を堅守しているはずなんだけど。本心ではつまんなくても、ひとたび表現した自尊心を守るために無理して「楽しい!」と強がっていてもおかしくないはずなんだけど。

 でも、お利口さんな試合はつまんないんでしょう? 強がる予定もないんでしょう? 聞こえが良いからスポーツマンシップを口にしているだけなんでしょう? 言論の自由社会に甘えているだけなんでしょう? 見栄を切りたいだけなんでしょう? 小賢しいプレイを称讃することによってつうな自分を演出したいだけなんでしょう? スポーツマンシップとは、そのために用意した偽善ワードなんでしょう?

 あぁ、なんて女々しいんでしょう!

 もっと潔い姿勢を身につけなさい!

 スポーツマンシップを持ちなさい!

 ……そういう理屈オチ




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