Vignette 

Category : I Think
Update : 2015/04/08[Wed]03:00



 最近、テレビを流し見していて思うことなのだが、日本のCMってつまんないなぁ──って。特に、最近のCMほど私の胸をくすぐらない傾向にある。

 なにしろ、いきなり商品名や企業名からスタートするCMが圧倒的に多い。これはなんのCMなんだろう?──ときつける要素の見られないCMが。

 あと、やたらと言葉の多いCM。最初から最後までずっとナレーションの入っているCM。しかも説明文。商品の特徴や企業の経営理念を、とにかく説明しまくるCM。サイレントなんてほとんど見かけない。

 ドラマ型式のCMも多いが、たいていは商品や企業をメインに絡ませたつくりになっていて、1秒も経たないうちに目的やコンセプトがわかるようになっている。

 わかりやすいことが重要らしい。

 それとも、グッとくるCMはもうすでに過去の発想で、流し見されることを前提にして制作しているフシもある。てらったような、万人の瞠目どうもくを集めるような制作意識を積極的に廃し、気になった人だけがあとで検索すれば良いこととして、あくまでもCMに求められる基礎だけを淡々と守っているCMとでも言おうか。サブリミナル的に選挙候補者の名前を連呼するようなCMとでも言おうか。だから、イの1番に商品名や企業名が設置され、説明文のみで彩色されている。その他の演出──直接的でない遠回りな演出は「蛇足」と見做みなされ、積極的に廃されている。そして、関心を持った(あるいは必要に駆られた)一部の観客の問いあわせを期待している。

 そんなふうに見える。

「イラストレーション」の語源は「わかりやすくするもの」なのだそう。だから、観客がパッと見て解釈できる技術が求められる。反対に「絵画」とくれば、描き手の観念や主義主張が封入されてあるものであり、しかし、封入されてあるものである以上、観客によって解釈のカタチは様々である。

 CMというものは──少なくとも現代日本におけるCMというものは、イラストなんだなぁと感じる。観客によって様々なカタチに解釈される絵画であってはならず、目的やコンセプトをていに伝達するイラストのスタンスが主流。

 そんなふうに思える。

 ……うーん。

 私は、たまには絵画も観たい。期待して、だから流し見しているんだけど、残念ながらひとつも観ていない。

 ひとつも。

 皆無なのだ。最近のCMには、絵画的なものがひとつもない。すべてがイラスト。

 イラストを否定する気はないが(中学の時の将来の夢はイラストレータだった)。

 ただ、説明文の羅列されるCMを観ていて「うるさいなぁ」と思うことはママある。ただでさえ日本は言葉に依存する傾向にある左脳型の国なので、こういうのを観ていると「そろそろ脱皮しようよ日本」と思わないでもない。ましてや『トトロ』の合間に流れようものならば、そのうるささが邪魔に感じもする。そんなに語らなければ伝達できないの?──釈然としなかったり。

 衒ってほしいなぁと思うこともある。

 でも、日本人は、なにせ衒うことを潔しとせず、つまりは変化球を嫌い、ストレートで勝負する姿勢を一途に愛している。まぁ、私には「衒い」と「潔いことではない」のリンクしあっている現状が凄まじく謎ではあるのだが。しかし、現実論、日本にはそのような傾向がある。

 額面どおりであることが重要──か。

 ただし、直球勝負でも、工夫によってはアートの域にまで到達させることは可能。

 可能なのだ。



 交通事故にって肉体の一部を切除してしまった者や、命を落とした者の遺族が、代わる代わる、道路標識を掲げているというCMがある。中国のCMだ。車の運転手の目線になって街の様子を映している映像なのだが、そのありふれた風景の中に、ぽつりぽつりと、道路標識を掲げた事故被害者たちが映りこんでいる。片腕のない女性や車椅子の男性、遺影を抱く家族──そして映像の最後には、道路標識には必ず意味があるというメッセージが。

 ほぼサイレントな、静かなCM。

 このCMで、私は泣いてしまった。被害者の切なる姿勢に胸を打たれたからという理由だけではない。CM制作者のアイディアに感動した。残酷な映像ではあるけど、人の持つ表現手段のバリエーションの広さに感動した。一見で主旨が見て取れ、しかし多くを語らない……いや、とりわけ多くを語らなくても伝えられることはあるのだという、人間の持つ表現の可能性に感動した。

 他にも、国は忘れたけど、こんなCMを観たことがある。

 突然に道路へと飛び出してきた1頭の鹿(だったと思う)。慌ててハンドルを切る運転手。しかし、制御しきれず、車体は派手に横転、間もなく静かに横たわる。すると、横転の衝撃でドアが吹き飛び、ぽっかりとあいてしまっている運転席の出入口から、ひとりの女性があらわれる。杖をついて歩きづらそうにしている女性だ。しかし、彼女の目はまっすぐに道路の先を見つめ、1歩1歩、着実に前進していく。

 空覚うろおぼえの描写で恐縮なのだが、このCM、臓器ドナー登録を呼びかけるもの。

 移植を受けた人間の中で生きつづける、ドナー登録は無駄ではない、いや、決して無駄にはしません──これもまたサイレントなCMだったと思うが、そういう強いメッセージを垣間見て私は感動した。ネットでも「隠れた感動作」として反響を呼んだCMだったように記憶している。

 いずれも直球勝負のCMだったが、だから、なおさらに口惜しくもあった。

 日本人にもできるはずなのに──日本のCMの現状にいていたこともあって、口惜しく思った。なんでこういうのをつくらないんだろう?──って。

 むろん、真っ向から否定する気はない。

 わかりやすいに越したことはないし。

 そもそも、お知らせなんだし。

 イラストだし。

 わかってるよ。わかってます。

 でも、正直なところ、最近の日本のCMってつまんないなぁ──って。だって、100個のCMのうちの100個が説明文なんだもん。いきなり商品名なんだもん。いきなり企業名なんだもん。すべてがそういう手法なんだもん。

 なんだか、梅雨時の憂鬱に似ている。

 ざーざーざーざー。

 たまには独立した積乱雲が見たいわ。





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Nanase Nio




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