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Category : I Think
Update : 2015/03/31[Tue]03:00



 ネットコラムの引用で恐縮。

 物凄く気になる……というか、釈然としない記事だったので。



 もはやドルヲタ(アイドルオタク)は恥ずかしい存在ではなく、むしろ積極的な文化となりつつある──というような記事だった。ヲタ同士の交流から恋人ができましたという素人ヲタの体験談なども交え、ジャパニーズサブカルチャの現在をつづっている。また、ヲタ同士で恋人関係となる際に気をつけなくてはならない要素なども紹介(ヲタは自分の世界にこもりたい性分なので仮に同じアイドルを贔屓ひいきにしているからと言って恋人に熱く乗っかられるのはイヤ──などなど)。

 アイドルに無関心な私にとっては「ふーん」という次元の記事だった。しかし、この中に1箇所だけ、異様なまでに私の心に引っかかるセンテンスがあった。

 それは、某女性アイドルユニットのヲタを公言している20歳の一般女性の発言。

 なんでも、ライヴ会場にて、ユニークな衣装を着ている同志に声をかけて仲良くなることがあるのだそう。いわば、これこそが現代ヲタ界の醍醐味のひとつであり、至って日常的な光景である──というニュアンスで述懐されている。しかし、そうは言ってもヤりすぎな衣装は禁物なのだそうで、やはり常識的な範疇でコスを楽しみあい、常識的な範疇で羽目を外しあうことが望まれる──という、彼女なりの見解が示されていた。

 うむ。ここまではヨシとしよう。

 私が多いに気になったのは、その見解の直後の、範疇を外れるとはどういうことなのか?──という具体例の中にあった。

 ちょっと書き出してみよう。

『──(略)──紫の全身タイツで顔も紫に塗っちゃうような人はイヤ。一緒に歩いても恥ずかしくなくて、個性的で可愛いレベルまで(※原文ママ)』

 許容できる水準と許容できない水準とを比較した、一見すると特筆する部分のなさそうなセンテンスなのだが……なんか気にならない?

 私は、多いに気になる。釈然としない。悶々とする。ジェネレーションギャップのような感覚さえもおぼえる。

 私が気になったのはこの部分だ。

『一緒に歩いても恥ずかしくなくて、個性的で可愛いレベル』

 ……ん?

 ちょっと待って。

『紫の全身タイツで顔も紫に塗っちゃうような人』はイヤなんだよね? で、許容できるのは『一緒に歩いても恥ずかしくなくて、個性的で可愛いレベル』の人である──と。

 ……待て待て。

 なんか変だぞ?

 すごく変。



「個性的」という単語の位置が、変。



 あの。

『一緒に歩いても恥ずかしくない』ような状態って「個性的」と言えるの?

 だとしたら『紫の全身タイツで顔も紫に塗っちゃうような人』は、なんなの?

 彼は、個性的じゃないの?

 私の感覚からしてみたら『紫の全身タイツで顔も紫に塗っちゃうような人』のほうこそ個性的に思えるんだけど。そして『一緒に歩いても恥ずかしくない』ような状態の人のほうは、大して個性的には思えないんだけど。

 ……あれ?

 この若者の思う「個性」って、なに?

 世代の差?

 もしや、現代の若い子たちって、穏当な状態のことを「個性」ってふうに教わってるのかな?

 だって、私の思う「個性」って、不穏当な状態も込みなんだもん。空気を読まず、多くの人たちに嫌悪感や不快感を与えるような、突出した人もふくめての少数派こそ「個性」と呼ぶに相応しいんだもん。そういうふうに教わってきたんだもん。

『一緒に歩いても恥ずかしくない』という状態は、つまり、大多数の中に溶けこんでいて遜色のない状態ということだよね? あるいは、多くの人たちと肩を並べている状態だよね? だって、一緒に歩いていても恥ずかしくないんだもんね?

 ……ソレって個性的なの?

 なんか、個性の定義がズレているような気がする。いや、私の知らないうちに個性という観念の新解釈が定義されていたかのような……

 ……いつ?

 いつ改変されたの?

 私、聞いてないんですけど!?

 確かに、時代の流れとともに、ある程度の観念は移り変わる。私が幼少時に習得したことのすべてが現代社会で通じるわけではない。それは大いに認めよう。

 ただ、変わらないでいてほしい観念というものもあるわけさ。さすがに生きていきづらくなるような改変はやめてほしい──という。

 ……なんか、彼らが別の生き物に思えてしまった。あるいは、彼らにしてみたら、私のほうがすでに別の生き物なのかも。

 まさにオカルト

 あぁ、どうか私の勘違いでありますように……





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Nanase Nio




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