なんにもなかったけれど
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Category : Diary
Update : 2017/12/31[Sun]02:00
子供の頃から「年末年始」という概念が薄く、あくまで庶務としてこの時期を乗り越えてきた私にとって、相変わらず「仕事を納める」という慣用句がピンボケして止まない……のだが、先日、いちおうの仕事納めと相成った。
それにしても、イヤぁな仕事納めだった。
やはり、合わない人というのはいるものだ。40代前半ぐらいのAは(ホントかどうかは定かではないものの)ベテランを気取っている風体なのだが、残念ながら言動のほうに難のある男だった。
なにしろ、タッグを組んで作業することとなり、私が自発的に作業しようとすれば、
「いい、いい、やんなくていい!」
特にミスしたわけでもない(というかまだ完全に取りかかってもいない)のに、私の手を強引に遮る。それでも手を動かそうとすると、
「いいって、いいッ!!」
甲高い声でヒステリックに怒鳴る。それが幾度となくつづいた。で、とうとう私は辟易、動きを止めて様子をうかがっていると、
「あのさぁ、見てないで作業してくんないかな!?」
我慢、我慢、我慢──自分に言い聞かせながら作業を再開しようとすれば、
「だからやんなくていいって言ってんじゃん!!」
おまえなんやねん
。
ひさびさに喧嘩になりそうになった。
だいたい、Aは私の会社の人間ではない。元請けである現場監督があり、1次下請けがあり、その1次下請けからの発注が弊社とAの会社へ回ってきた──という構図。要するに私とAは2次下請け、同列なのだ。
なのに、
「俺がやれって言ったトコだけやればいいんだよ!!」
もちろん、グッとこらえましたよ。自分で自分を誉めてあげたい。もちろん、さっそく会社にクレームは伝えたけど。カッとなって手を出す前にまずは内勤へと伝えるように──ウチの経営方針なので。
「クソ現場なんだけど。他社の職人がクソなんだけど」
この現場はもう2度と行かないと伝えた。20年近く建設の仕事をやっているが、現場を断ったのはこれで3度目。滅多なことではない。内勤にも「珍しいですね」と言われた。なるほど、ウチの人間はなにかと現場を断る者が多く、私はかなり我慢するほうであるらしい。偉いね私。
定時まで憤怒をこらえつづけた。煮えたぎる気持ちを抱えながら、闇夜と化した現場をあとにする。それで、しばらく歩いてふと気づいた。この現場が今年最後の現場だったこと。
私は、仕事を……納めたのか?
納めるってなんだ。よくわからん。よくわからんけど、世間は「仕事を納める」と言う。どうせ数日後にはまたすぐに始まるクセに、納めたからなんだっつーんだ。
フテ腐れながら帰路につく。闇夜だから自分の影は長くも短くもない。今日は見る暇もなかった。暇があれば、少しはうつむいていられたのかも知れない。消極的に、憂鬱そうに、健気に、可哀想な自分に浸っていられたのかも知れない。でも、今日は自分の影を見る暇はなかった。もはや後の祭、うつむくことは叶わず、そうかと言って仰ぐほどの元気もない。まっすぐ前を見るしか選択肢はない。前を見る──素晴らしい姿勢だと世間は言う。バカ言うな。闇夜だわ。手探りだわ。鳥目の前なんて後ろに等しい。
こんな感じで、つまらない年末を迎えている。まぁ、どのみち「年末年始」という概念が薄いので、年越し蕎麦を啜るなどの(まったくもって意味不明な)儀式を働くでもなく、コレと言った実感もない年始とやらを迎えることだろう。
さて。いちおう振り返ってみるが、今年も大した1年ではなかった。なんかあったっけ? いや、なんにもなかった。Wi-Fi のルータを購入したぐらいか。要するに、YouTube を見まくるという、毒にも薬にもならない1年だった。ちなみに、Dytto という女の子にハマっていた。ロボットダンス(アニメーションダンス)の世界的なプロダンサー。すごく可愛い動き方をする(例えば
こういうの
)。この子は薬。良薬。
……エッセーにならなかった。反省。
でも最後にこれだけは。
数奇な運命と言うべきだろうか、安易な形容として慎むべきだろうか、それはわからないけれど、たぶん、幸せだっただろうと思いたい。魂の部分は幸せだっただろうと、そう思いたい。そう思わせる人なんです。なんにもない私にとって、これは大切な感情なんです。私の内から、この大切な感情を掘り起こしてくれる偉大な人、ジェンキンスさん、ありがとうございました。
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Nanase Nio
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