栞

Vignette


Category : Recollection
Update : 2015/08/06[Thu]22:30



 出張映画館(映画館のない地方のために興行会社が公民館や小学校を借りて催す映画上映会)によるアニメ映画『はだしのゲン』を観たのは、小学校の中学年生ぐらいの頃だったか。

 わいわいと賑やかに体育館へと集まる生徒たち、しかし数時間後、すっかり蒼褪めた顔で静かに教室へと戻っていったものだった。むろん、私もそのうちのひとり。

 ケロイドの描写が生々しかった。全身に突き刺さるガラスの破片が痛々しかった。飛び出す眼球は……もはや表現のしようがなかった。教室へと戻ったあとに感想を求められるレクリエーションがあったのかどうかは記憶にないが、なんにせよ、ロジカルに語られるような感想なんてあるはずもなかった。そしてそれは、今もまだ見つかっていないかも知れない。

 しかしながら、私はそれからの数年間、空を飛行機が通過するたびに明らかな恐怖をおぼえつづけることになる。

 ごく普通の旅客機が、まるで原子爆弾を抱えるB-29に思えてならなかった。飛行機が風を切るヒューという音が、まるで原爆の落下音に思えてならなかった。そのたびに私は絶望の気持ちになり、肩をすくませ、発作的に安全そうな物陰を探していた。でも、そんなセーフティゾーンが都合よく見つかるわけもなく、するとさらに動悸どうきが増して──生きた心地がしなかった。それで、校舎のどこならば安全だろうかと徹底的に調査し、精査し、いくつかの場所を緊急シェルタとしてピックアップしていた。そのうちのひとつが、体育館のステージに架かる小さな階段の下。ここに、子供が1人だけ入れる狭い隙間があったのだ。

 我ながら、想像力の豊かな小学生だった。

 運動場のような遮蔽物しゃへいぶつに乏しい場所は危険だと本気で信じていた。暢気のんきに運動場で遊んでいる他の生徒の神経を本気で疑っていた。笑い話に思うかも知れないが、当時の私は本気だった。歴史や科学を学ぶにつれて次第に恐怖心はなくなっていくわけだが、当時の、長くも断続的なパニックの日々は今もなお鮮明に記憶している。

 さて。

 70年が経つのだそう。

 私は、戦争に関する主張はしないでおく。体験談だけにとどめる。第三者の先入観としてしまうのは簡単だが、やはりテーマは重い。公共の利便という特質上と、しかし伴う責任を背負うに相応しい表現力を持たない私の能力の問題から、主張するのはよしておく。そこは、誰かと誰かがお互いに肩を並べ、口で語りあうのがベストだと思う。あるいは、ひっそりとおのが胸に記すのも。

 記念日は、念を胸に記す日

 くさびを打つ日

 私も、小学生時代のパニックの日々を改めて胸に記そう。今では笑い話だが、戦争を知らず、せず、戦争ではまったく役に立たないであろう弱者(それを幸福なこと)として、あの想像力の使い方は決して間違いではなかったと信じよう。だって、事実、下手な理屈よりも遥かに雄弁だったのだから。

 平和ボケは危険だ──というリアリズムも大切だが、この主義も、世界情勢に詳しい大人を気取るためのツールではなく、永遠にボケていても問題のない世界を目指すための理想的な楔であるべきだと思う。そう、あの想像力こそ、まさに私の楔に他ならない。




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Nanase Nio
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