栞

妙な告白
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Category : I Think
Update : 2015/07/12[Sun]02:00



 私は、自分自身の使う日本語の正しさについて、まったく自信がない。

 そもそも、小学校〜高校時代の得意科目はいずれもが「体育」であり、それ以外の教科はことごとく不得意科目だった。いちばんの不得意科目は、歴史や地理、公民や政経をふくめる「社会科」で、次いで現代国語や古典などの「国語科」が不得意としてあげられる。で、英語→算数→理科とつづき、これにて5教科は全滅。実際、いずれのテストも赤点がついていたし、高校1年生の時には、あまりにも保健室で寝てばかりいたため単位が逼迫ひっぱく、担任から「あと3時間ぶんの授業を休めば留年する可能性も大いにあり」という脅迫のような通達を受けた。以後、まじめに教室復帰するももはや後の祭、まったく授業についていけず、よって不得意意識はそこらへんの金剛石ダイヤモンドよりも硬化した。

 つまるところ、私は日本語の基礎をスッ飛ばしたまま次第に大きくなり、みごとなまでの落第生のまま現在に至っている。もちろん、大学や専門学校で研究に専心するはずもない。となれば、このように並べている日本語なんてほとんど造語である。幼い頃からなぜか読書だけは(幻想味のある物語が特に)好きだったので、だとすれば「ヘタな物マネ」とも言える。少なくとも学究的な日本語の基礎なんて少しも押さえられておらず、仮に日本語のプロが読めば鼻で笑うんだろうなぁ──と予想しながらコレを書いている。コレにかぎらず、鼻で笑われていると確信しながらすべての文章を書いている(鼻で笑われるほど繁盛しているわけでもないが)。

 私は、自分自身の使う日本語の正しさについて、まったく自信がない。善し悪しはおろか、だのだのという、教育テレビの俳句番組で扱われるような機微をレビューする味覚さえも持っていない。あくまでも嗜好だけで日本語を仕分けし、そしてしたためている。Oh、ワイルド。

 で、そんなネガティヴな部分を完全に棚上げした上で偉そうに書くのだが。



 テレビ番組の、特に食レポの場面でしばしば聞かれるフレーズがある。

 それが、

「食べてみたいと思います」

 というフレーズ。

 これがどうにも気に入らない。

 だって、よくよく考えてみれば妙な告白なのだ。

「食べてみたいと思います」を要約すると「食べてみたいという願望を今から脳裡に思い浮かべます」となる。そういう理屈になる。

 なんじゃそら。

 このフレーズを口にする時には、すでに目的の料理は目の前にある。あとは箸で摘まんで口に運ぶのみである。実行に移すのみである。食べることしか残された術のない局面で、ステイを受けるわけでもなく確実に料理を食べられる状況下で、上膳据膳に手を出すや出さぬやというお行儀が係るでもない盤石の条件下で、しかしなお「食べてみたいと思います」と自己申告する。揺れる想いを告白する。

 当然、私は「思えばいいじゃん」という感想を抱く。もっと言うのならば「思うだけで食べはしないのね?」とも思う。だってそういう感想を生むようなフレーズを告白したんだもん。

 しかし、なんと彼らは食べるのである。食事に係る実行フレーズはなにひとつとして口にせず、ただ「思う」という精神論のみに始終するくせに、その直後、彼らは必ずや料理を舌に乗せるのである。

 What!?

 だったら「いただきます」じゃない? いただくしかない局面なのだから。これ以上になにを思おうとする必要があるわけ? 万が一に思うことがあるにせよ、はて、公共の電波を使って告白する必要があるわけ?

 そもそも「食べてみたい」という表現からしてすでに失礼なのである。精魂をこめて腕を振るった料理人の作品を前にしての「食べてみたい」なのだから。味見かよ。おまえのほうでオーダしたんだから、意欲と責任を持ってがっつりと食らってやれっての。

 なのに「今からそんな失礼な願望を脳裡に思い浮かべます」と声高に告白。

 思うんかい。

 もはや、失礼を超えて暴力である。それならばまだ「食べてみます」と言うほうが(百歩譲って)マシだと思う。

 別に、日本語の有識者を気取ってオダをあげているわけではない(あげられるほど基礎を積んでいるわけではない)。私が気に入らないのは、言葉そのものではなく、発信に係る姿勢だ。

 もっと努力できないものかな──と。

 哀しいかなコレを口にするのは、タレントや芸人など、各業界を代表する表現者なのである。表現のプロともあろう者が、しかし自分の表現を疑いもせず、なんの気なしに、口にして当然とばかりに宣う。ついには、美味しそうに見えるテクニックのほうを自慢気に述べだす。

 表現者として努力する順番がアベコベになっていると思うのは、私だけだろうか。

 まぁ、タレントや芸人はまだいい。

 たまにだが、アナウンサが口走っている様を目の当たりにする。さすがにこればかりは開いた口がふさがらない。真実、私よりも遥かに日本語の勉強を積んできたはずの、基礎ができているはずの、日本語職人であるべき識者が妙な告白をするのである。

 憫笑しちゃう。

 雰囲気に流され、依存して──そんな杜撰ずさんな姿勢のほうこそなんじゃそらだ。

 私は、餅は餅屋だと思う。でも、餅屋を気取る輩も多い。ちゃっちゃと粘土を捏ね、どこでこさえた折り紙か、あたかも混じりっ気なしの餅であるかのように偽造しては平然と消費者へと差し出している。

 手抜きは楽。流されるって楽。赤信号もみんなで渡れば怖くない(By. ビートたけし)。

 ただ、残念ながら、

「食べてみたいと思います」

 そんなまがいもの、私は食べてみたいと思いません。




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Nanase Nio
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