栞

Day In Day Out
Vignette


Category : Diary
Update : 2015/03/03[Tue]22:30



 プラベニヤ(壁面や床面を養生する際に用いられるポリプロピレン製の緩衝板)をカッターナイフで切る。まっすぐに切る。一直線に切り、2枚に分断するのである。

 既製品であるからして、プラベニヤ1枚の面積には上限がある。しかして、建築現場の養生箇所はそのプラベニヤの面積に合わせてつくられてはいない。つまり、養生箇所全体をびっちりと養生するために、1度も切りこみを入れることなく、従来の寸法のまま、何枚ものプラベニヤをジグソーパズルのように敷きつめることはまず不可能。いずれは小さく切断カットし、敷きつめられなかった空白部分をそれでもって埋める時がやってくる。

 しかし、目測で切断しようとしても、その切断面、なかなかどうして一直線とはいかないものである。必ずや歪みが生じる。定規を当ててカッターナイフを引かなくては、大小なりにも切断面は歪んでしまう。そして、歪んだままに敷きつめようものならば、隣りあうプラベニヤの接触部に不本意な隙間が生じてしまう。

 仮に百戦錬磨の養生職人であったとしても、己の腕ひとつで完璧な一直線にして切断することは不可能だろう。ミリ単位の歪みは生じさせてしまうだろう。

 結局、完璧な仕上がりを目指すのであれば定規を当てて切断するのが確実である。なにしろ定規は嘘を吐かない。況して、それが几帳面大国の日本製であればなおさらバカ正直にもホドがある(褒めている)。

 ただし、いちいち定規を当てて切断していれば、当然のことながら養生が完了するまで時間がかかる。養生箇所の面積にもよるが、少なくとも数分で終わることはないだろう。下手をすれば数時間を要することもある。ザッと仕上げることなど夢のまた夢。

 多くの場合、養生とは、これから本格作業をはじめるにあたり、床や壁を傷つけないようにするための事前作業──いわば準備体操アップである。養生しただけで現場が完成するはずもなく、養生したあとの作業こそがメイン。鍛冶屋であれば溶接が、塗装屋であれば塗装が、電気屋であれば配線が、いずれがいずれのメインとなる。

 すなわち、メインに取りかかるための準備体操である以上、養生は迅速に為されなくてはならない。あたら数時間も要していたのでは必ずや工期に支障が出る。職務怠慢とそしられても文句は言えない。それが養生を専門とする業者であっても同様である(むしろ彼らは迅速に完成させるプロでなくてはならない)。

 いちいち定規など当てていられないのが現実なのである。目測でできるのならばそれに越したことはない。パパッと切断してパパッと敷きつめ、養生テープで補うなどして、素早くメインの作業へと移行するに越したことはない。

 しかし、歪むのである。不本意なことに、切断面が波を打つ。隣りあうプラベニヤが裸のつきあいを毛嫌いする。まるで、自分を映す鏡のよう。

 こんな時、私はこう思いを馳せる。

「この世で最初に定規をつくったヤツ、スゲぇ」

 原初の定規である。仮に水糸みずいと(左右にピンッと張ることで一直線の目安を設けることができる糸)で目安をこさえたとしても、最終的には、一直線に仕上げるのは己の腕。なにしろ世界初の定規なのであるからして、定規を仕上げるための定規が存在しない。己の腕だけを頼みの綱にして一直線に仕上げるしか手段がないのである。

 やすりで整えた?

 そうだとしても、尋常ではない労力や時間がかかるのは明々白々。たとえ直線の目安は得ていたとしても、その目安と合致する直線なのかどうかの最終決断をくだすのは己の目。着地点が見つからず、あちらを立てればこちらが立たず──無限のループをさまようことになるのも時間の問題。あげくの果てにはゲシュタルト崩壊にさえも陥り、なにが直線でなにが曲線なのかと、正常な判断力を失ったことも1度や2度ではあるまい。

 その心中、察するにあまりある。

 しかし、それでも彼は原初の定規を完成させたのである。それが真の直線であるのか、きっと私の蒙昧なるまなこにはまったく判断できないだろうが、現実、現在、特許を取得した上に立派な販売と相成っているのだから、彼はついに成し遂げたのである。最愛と誓ったはずの妻を家に残し、ただひとりの息子にも目をくれず、それどころか後継技術者の登場ばかりを望む始末で、時に妻の落涙に辟易し、自己顕示の怒声まであげてなお工房に身を捧げ、身を粉にする日々──こうして彼はつくりあげたのである。王は喜んで一生分の褒美を与えたが、妻は息子の手を引いていずこかへと消え──彼の紆余曲折の人生をまっすぐに見つめていた定規を。

 彼の名を、ジョージ・リパートンという。

ジョーJoe'sギアGear

 ジョージの魂の定規に対し、彼の死後、誰かがそう呼んだ。はじめは揶揄だったが、やがて、ジョーギアの素晴らしさに気づいた職人組合ギルドによって殿堂の名誉と相成った。西暦1821年のことである。

 16年後、ついにジョーギアは海を渡る──日、いずる国へと。

 そして今、

「ジョーギアをジョウギとヒアリングするだなんて、先人の耳はどうかしている」

 俺はそう笑い、分厚い空を仰いだ。

 雲間から、幾筋もの淡い陽光が一直線に大地へとおりていた。天使の梯子はしごである。

 あぁ、なんとまばゆい。

「人の執念は神の威光か……おっと、まだ仕事の途中だったな」

 あの光を目に焼きつけるんだ。

 ジョージは、まばゆい光を俺たちにギフトしたんだ。だから、俺たちには迷うことなんて許されやしないんだ。

 さぁ、歩こう。

 まっすぐに、まっすぐに、まっすぐに……。




    表紙に戻る    

Nanase Nio
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -