実際、Me Too 運動だって、もたらされた結果の道理はどうあれ、そこにあるツールを最大限に有効活用して同志を募り、理不尽をどうにかしたいという意志の剣で闘った──という印象だった。少なくとも「時代」を武器にして闘っているようには見えなかった。結局、武器になったのは文殊の意志であり、あとになって「時代」という概念がついてきたような印象。ただ、そこをマスメディアが変に切り取って発信したものだから、受信者である我々の頭に「時代の勝利」みたいなテイストとして刷りこまれてしまったような印象。でも、別に「時代」が勝ったわけじゃない、意志を固めて行動を起こした彼女たちが道を切り拓いたということ。ここのところだけは誤解してはならないと思う。