栞

Smart?
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Category : I Think
Update : 2017/04/06[Thu]06:00



 昨年の8月のこと。

 とうとうスマホを持つこととなった。 

 とうとうガラケーが壊れた。充電パックが寿命を迎え、さらには、充電アダプタとの接続部コネクタが接続不良ともなった。接続部を強く押さえていなくては通電が為されなくなり、しかも充電パックも寿命なため、たった1度の通話だけで「充電してください」という勧告メッセージが表示。ダブルパンチで仕事にならない。

 さっそく、ソフトバンクのお店へと急行。修理可能かどうかを尋ねると、曰く「2012年に修理サービス自体が終了している」とのこと。しかも、愛用のガラケーは東芝製だったのだが、すでに東芝がガラケー産業から撤退している現状なのだとか。いつの間にやら餅屋が餅つきを辞めていた。もはや手の施しようもなかったというわけだ。

 しばし店内で茫然としたことはいうまでもない。でも、なにしろ仕事に支障ありの危急の事態である、今すぐにでも現状回復を模索しなくてはならない。となれば、新たな機種を探すより他に手立てはなし。

 もういいやと開きなおる(というかフテ腐れる)。店内を見渡せば、カウンタに『Xperia X』と『フリーアナウンサの加藤綾子がCMでやっているスマホ』が陳列されてあったので、すぐさま『Xperia X』に決めた。そしてその場で機種変更、1時間も待たずしてスマホデビューと相成った。まったく砂を噛む思いだった(今でも奥歯に詰まっている)。

 がっかりしてる。

 なににがっかりしているかって、時代の寵児を気取っている市場関係者に対して。

 だって、スマホを使って改めて思ったことだけれど、コレって盲人の多様性のことを考えてなくない? ガラケーには点字的な指心地があったけれど、スマホにはそれがない。確かに音声認識機能は優れているかも知れないが、しかしそれだけが盲人の嗜好的活動範囲ではなく、タイピングで直球勝負したいという趣味性を持つ人だって必ずいる。音声の助けを借りながら文章を打ちこむのではなく、視認できないなりに、健常者とやらと同じように自分の指で文章を打ちこみたいと思っている人だって、この世には必ずいるんだ。ガラケーには、彼らの趣味嗜好を潤すに足る感触が備わっていたはず。しかしスマホにはそれがない。もしもその感触そのものが市場価値の有無によって排斥されたのだとしたら、つまりは、盲人が社会から爪弾きにされたというロジックになってしまうのでは?

 健常者サマの多様性が最優先? 盲人は我慢しろって? だって需要がないんだもんって? それで、我々はパラリンピックを応援しますって?

 なんてスマートな発想なのでしょう!

 実際、目を瞑って操作してみたが、いつの間にか Google の検索ページに飛んでいた。調べたいことなどなにもないのに。

 ホント、がっかり。

 市場価値のために点字の書籍が消え、骨伝導の音楽視聴システムが消え、そのうち手話の文明さえも消えるかも知れない。健常者サマにだけ社会貢献の場が託され、被障害者(私は障がい者のことをそう表現する)の幸せは施設の中でしか許容されず、お荷物として暗に疎まれ──なんか、どこかの殺傷事件をホーフツとするのは私だけ?

 事実、スマホのCMって、どれも不自由も不便もなく動ける人しか出演してないしね。みんな、生まれ持った二の足で愉快そうにダンスしてる。で、笑顔の口を揃えて「無限の可能性がどうのこうの」とか「君たちの時代がどうのこうの」とかとかと叫んでる。

 なぁんか気に入らない。

 綺麗事の話ではない。むしろ綺麗事を語っているのは連中のほうなのだから。

 あんがい、ガラケーって優秀だったと思う。どの先進国が開発の発端なのかは知らないけれど、日本を象徴するガラパゴス(私はこの単語が大好きだ!)な電子機器となってからは、古典日本ならではの、気づかいのある、マイノリティに優(易)しい、価値ある存在だったと思う。

 で、スマホのどこがスマートなの?

 なるほど、ジョブスやウォズは天才だったかも知れない。でも、彼ら以外の人が、凡才か、それ以下である印象。その哀れな事実に気づかず、あろうことか「彼と肩を並べている!」と錯覚し、あげくに時代の寵児を気取っている印象。まったくもって不憫な印象。

 ざまぁねぇやと思う。

「改善しました」つって頻繁にアプリ更新を通達してくるわりに、更新してみればことごとく改悪だしね。というか、そもそも更新って頻繁に行うものではないと思う。年に1度ぐらいでいいのにさ、月1なんだもん(特に Google な!)。その御多忙な姿勢がすでにスマートさからの離反といわざるを得ない。

 おまえはどうかって? 私は時代の寵児じゃない。時代について観察はするけど、それ以上には興味もない。なんなら離島に住んでもよい。

 まだまだブチ撒けたい不平不満はあるけれど今日はこのへんにしといたる。

 さて、テンサゲ(死語)状態だったのでホームページをお留守にしていた。この間、ベッキーや飛鳥涼ASKAや清原和博が大変なことになっていた。大変だなぁと思いながら、私は頻繁にキング・クリムゾンを聴いていた。ホワイトスネイクやバングルスやグー・グー・ドールズやフー・ファイターズやバッド・カンパニーやアゼリン・デビソンやブリトニー・スピアーズを聴いていた。どれも私にとっての懐メロだ。

 新年度がはじまって早々、目出度くない話を書いた。つまり私は相変わらず。




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