栞

慎みの国
Vignette


Category : I Think
Update : 2014/05/09[Fri]00:00



 先日の、都内で発生した大きめの地震の直後、震源地などを探るためにテレビのチャンネルを国営放送に合わせたのだが、この時、中継先の渋谷駅の程近くで、テレビカメラに向かって「地震なんかないよ〜」と口走っているお嬢さんが映りこんだ。どうやら酒に酔っている模様。

「なんだこいつ?」という思いと「ゴールデンウィークだからねぇ」という思いとが半々の私だったが、数日後にインターネットを開いてみるとすでに彼女の身元がバレていた(なんでもファッションモデルであるらしい)。

 なんか、ネットってヤだな。

 なにはともあれ、このお嬢さん、この件について、ブログかなにかで謝罪したのだそうな。

 ただ、私は、謝罪の是非についてはどちらとも言えない派かな。

「酒を飲んでも品行方正たれ!」と叫ぶのは、いくらなんでも日本人的自意識過剰だと思う。だって、もともと理性を損なわせるのが酒なんだもん。合法であるとはいえ、ニコチンやカフェインと並んでドラッグのカテゴリにおさめられているものである以上、日本人の美意識や美徳を保てと叫んでしまったのでは、そもそもの酒の是非から議論しなくてはならなくなる。ところが、酒が合法であるという部分が重要で、これを否定してしまったのでは民主主義の抜本から議論しなくてはならなくなってしまう。

 飲酒運転の罰則は、そういうギリギリの綱渡りの上にある。致死の可能性があるとして刑罰の対象となってはいるが、可能性で言えば、酩酊状態の人間ならばことごとくに近いでしょうよ(素面しらふでも可には違いないけど)。それでも、あえて成年以降の飲酒自体を認めているからには、ここにもまた日本の日本たるべき民主思想が織りこまれてあるってことでしょう?

 要するに、日本だから酔える。

 単に酔っ払っている状態であるかぎり、美意識だ美徳だと叫んで非難するのはチトが違うような気がする。

 日本だからこその酔う自由が確立されており、ゆえに酔い、それで「飲むのも酔うのも慎め!」と叱るのは論理的にだいぶ変。

「地震が来たから慎め!」

 いや、酔ってるんだからムリでしょ。

 だから、恭しく謝罪する必要はないんじゃないの?──と思ってみる。ただ単に、酔っ払うタイミングが悪かっただけで。

 その一方で。

 なかなかの激しい揺れの最中、慌てて情報収集を計るべくテレビを点けてみれば、なんとも暢気のんきな「地震なんかないよ〜」である。

 乱暴な言い方だが、前述したように、酔っ払っている人間に対して「東日本大震災の教訓が云々」と叱るのは念仏である。しかしながら、多くの視聴者に「なんだこいつ?」という不快を感じさせたことに対してであれば、事後謝罪の土俵にあがることはひとつの責務なのだろう。

 とかく、彼女はマスメディアに近い場所で活動しているのだし、有名・無名を問わずの監視状態(憂き目に遭いやすい状態?)にあることは間違いない。加えて、言論の自由の中には表現に対する責任も包含されてあるわけだから、彼女が一個の表現者である以上、表現の損ないを露呈したことに対する謝罪も必要だろうか。なにしろ、それが守られてこその日本でもあるわけで。

 要するに、日本だから謝罪の言葉をひょうさなくてはならない。

 ……うーん。

 不思議なことに、是非のどちらを選んでも、最後には日本が立ちふさがる。もしもアメリカやフランスだったら、こうはいかないかも知れない(国民性もあるだろうから)。

 いや意外と難しいぞこの問題──と思ったのは私だけだろうか(かなり抜かりのある沈思黙考であったことは否めないが)。

 さて、最後に。


 慎む謹む【つつしむ】

@用心する。あやまちがないようにする。
Aうやうやしくかしこまる。
B物忌みする。謹慎する。
C度を越さないように控え目にする。

── 広辞苑より 

 情報処理大国・日本。手軽に、身軽に、匿名で、個性を守られながらも、ギリギリの表現さえも許容されるこの日本において、自信満々に「不謹慎だ!」と卓説を放っておられる皆さん。

 あなたは慎んでいるんですか?

 私は、自信がない。

 だから慎まなくてはならない。だって「慎み」とは、原則、自己不信の果てにある自浄運動のことなんだもの。




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