Category : Gratitude
Update : 2015/10/19[Mon]04:30
10月19日。
本日、ギルドポイントが40になる。イビルジョーぐらいならば1人でヨユーに狩れるようになってしまった。
でも、さすがに嬉しくもなんともない。だって四十路だ。ヨソジという字面。
でも、キリのいい数字なので記事っぽいことを書いてみる。でも、記事になるような事件も主張もない。なので、私が若かりし頃に流行っていた物事や、個人的に惹かれていた物事を列挙してみる。とはいえ、私にとって過去とは忘れるもの。記憶はあやふやで、はっきりしないデータもある。本来とは異なるインフォメーションまで載せてしまうかも知れないが、そこは愛嬌ということで済ませていただきたい。
というわけで、我が半生の上半期、50粒のレトロメモリーをごろうぜよ。
01 サウンドホース
いや、流行ったのは保育園の頃かも。蛇腹のホース(私のはオレンジ色だった)の先を持ってブンブンと振り回し、フォーッという音を楽しむオモチャ。メリットなんて考えもしないで無心になって振り回した。
02 ホッピング
バネの反発で跳ぶというアクティブ系のオモチャ。バランス感覚は良かったほうで、ほぼ永遠の勢いで跳んでいられた。しかし、手放しに挑戦して股間を摩擦するというエレジーな事故も多発。
03 キノコのお家
カサの頂点をプッシュすると内部があらわれるという、シルバニアファミリー感も満載なオモチャ。どんな内装だったのかは忘れたが私はこれでプログレッシヴな幻を見ていた。
04 スネークキューブ
ルービックキューブの続編的なオモチャ。前作は1秒で座礁したがこれは1分間ほど乗れた。コブラしかつくれなかったけどヨユーでつくれたもん。
05 ゲームロボット九
9種類のゲームが遊べるというハイテクロボッツ。どんなゲームが内蔵されていたのかはすっかり忘れた(神経衰弱はあった気がする)が、とにかくボタンがアホになるまで遊び倒したのだという。
06 ゲーム&ウォッチ
中でも、写真の『オイルパニック』が私の得意中の得意だった。雨漏りするオイルをバケツで拾い、階下に待機しているトラックへと回収するゲーム。取りこぼしたらゲームオーバー。ガス会社の経営責任がいっさい描かれていないブルーカラーな逸品。
07 キン消し
バカみたいに集めてた。ガチャガチャの超人はどれも肉体が湾曲しているので、ボックスに入っている豪華版のキン消しを私は欲しがった。もちろん原作の『キン肉マン』も読破。ジェロニモが色々と可哀想で好きだった。
08 ビックリマンシール
ウエハースチョコを後回しにして集めまくった。天使シールのきらめきよりもお守りシールの透明感のほうが私の美学にフィットした。でも十字架天使は例外的に好きだった。
09 ファミリーコンピュータ
近所の先輩や従兄弟が持っていた。私は持っていなかった。世の中は『ドラクエ』の一色だったけど、私が最も好きだったソフトは『火の鳥・鳳凰編〜我王の冒険』。
10 MSX
ファミコンの代わりに遊び倒したのが、自分でゲームもつくれるパソコン、MSXシリーズ。実際にプログラムを考案してゲームをつくったりもした。ちなみに好きだったソフトは『キングコング2』『メタルギア1&2』『リバイバー』『ザナドゥ』『ロマンシア』『ドラスレファミリー』『魔城伝説1〜3』『イース1&2』『サーク1&2』『うっでぃぽこ』『ラスト・ハルマゲドン』『イーガー皇帝の逆襲』……。
11 川
近所に川があった。長良川の源流で、とても澄んでいて冷たい川。夏休みの早朝7時から幼馴染みと泳ぎに行ったりもしていた。それで大切なサンダルが激流に流され、1時間もかけて下流まで追いかけて危うく滝壺に飲みこまれかけた。あと、ヤス(トライデント的な捕獲武器)で鮎や岩魚を捕ったりもした。でもいちばんの思い出は虻に刺された際の猛烈な痒みだったか。川は虻の集会所。
12 ローラースケート
ジャニーズ事務所に先んずるカタチで学校行事と化していた。朝の運動とくれば我が小学校ではコレ。この間に流れるBGMといえばYMOの『ライディーン』。そして全校生徒が釈迦力コロンブスになって校舎をぐるぐると周回。おぞましい光景だった。
13 竹馬
これをつくるのが学校行事だった。裏の住民が所有する竹山に登り、鉈で竹を採取するところから行事がはじまる。つくったら乗り倒す。身のタケにあわぬ巨大竹馬が十重二十重。
14 雑巾蹴り
我が小学校の一大ブームだった。缶蹴りの缶を雑巾に代えて遊ぶのである。なぜならば、我が校はムダに運動場が広く、缶蹴りの醍醐味を味わえないから。なので校内でやろうというわけ。でも缶は持ちこめない。じゃあ雑巾でやろう。ということで進撃の巨人のようなムーブメントが勃発。しかししばらくしたら先生によって止められる。雑巾は蹴る物ではありませんッ!──ですって。だったら缶はなんなのさ。
15 土葬
なにしろ山村なので色んな死骸が落ちていた。蝉、雀、蛇、蛙、鼬──数えきれない死。それで、アスファルトの上に転がっている死骸を土に埋めたりしていた。だって大地に還りにくそうで不憫だったから。でも彼らはなにも言わなかった。アリガトウはなく、返事すらもない。死ってそんなものだと知った。私にとって、大自然は最も辛辣なる静謐の教師だった。
16 舞子
秋の神楽の時期、その夜、地区の住人を公民館へ招いての舞台イベントが催された。青年団の時代劇や老人会の浪曲などが披露される。その演目のひとつ、演歌をBGMに舞を踊るというものに私も出演。小学6年生と中学1年生の時の2年連続で出た。お師匠さんの指導は厳しいものだったが、練習期間中には夜に外出できて(灯もない山村なので小学生が夜に出歩くのは自殺行為)爽快だったし、本番中にはおひねりが飛んできて痛快だった。ちなみにこの写真は、本番直前だというのにすでにメイクを落とすことに思いを馳せる集中力のない七瀬さん(12)。
17 熊
祖母が管理人&料理人を勤める鉱山跡のキャンプ場、その片隅に据えられる巨大な檻の中で飼育されていた母子の熊。どうやら人里におりてきた熊らしく、しかしもとの山には帰せない(人里へのルートを憶えてしまったから)。さてどうしようと役場が悩んでいる間、やむなくキャンプ場で飼うことに。大人の事情なんて知ったことではない私にとって子熊は最強の遊び相手だった。でも母熊は怖かった。だから彼女が寝入ったのを見計らってチョッカイを出す。とても可愛かった。まったくのテディベアだった。そしてその数年後、大人の事情によって母熊は毛皮となり、子熊は剥製になりましたとサ。
18 聖闘士星矢
私は天秤座だが、作品中の天秤座の男がヨボヨボの老人でガッカリだった。しかし冥王ハーデス編で脱皮して若返るという快挙を為し遂げ、天秤座で良かったなぁと思ったとか思わなかったとか。
19 わたるがぴゅん!
なかいま強の描く中学野球漫画。ギャグ要素が秀逸で、コテコテの沖縄弁も頻出するという、当時のジャンプコミックスに一石を投じた青春群像劇。ちなみに私は陸上部と野球部を掛け持ちする長谷君が好きだった。
20 AKIRA
私の美的感覚を逆転させた巨人的な漫画(のちに『童夢』と出会ってさらなる衝撃を受けるわけだが)。退廃と蠱惑の美というものを刻骨してくれた大恩人である。なので私は声を大にして言いたい。実写化大反対ッ!
21 八つ墓村
渥美清が金田一耕助を演じる映画版。山崎努の演じる多治見要蔵が怖かった。特に、生まれて間もない赤ちゃんに日本刀を突き刺すという惨殺シーンはもはやトラウマ。あと、加藤嘉の演じる井川丑松の、硝酸ストリキニで喀血し、のたうち回って死ぬという冒頭シーンも怖かった。あと、小竹&小梅の白髪老婆姉妹も見た目からして怖かった。探偵小説のはずなのに完全なるホラーと化している究極のミステリィ。
22 魔界転生
山田風太郎の伝奇小説を深作欣二監督が映画化したもの。天草四郎がまさかのジュリー! 他の役者勢も凄い。柳生十兵衛のSonny千葉真一をはじめ、宮本武蔵には緒形拳、宝蔵院胤舜には室田日出男、伊賀の霧丸には真田広之、村正には丹波哲郎、そして柳生但馬守宗矩には若山富三郎がぁぁぁ勝手にしやがれぇぇぇい!
23 幸せのバビラトラリラ
アニメ『チルチルミチルの冒険旅行』の主題歌。感動的な曲だった。常軌を逸した歌詞、メロディライン、コード進行。ていうかバビラトラリラってなんだ!? バビルーラってなんだ!? どこの言葉か知らないが、とにかくも無条件で幸せな心地になれる魔法の曲だった。
24 The Bangles
たまたまラジオで流れた『Walk Like An Egyptian』を聴いて衝撃を受ける。こんなカッコいい音楽がこの世にあったのかと。のちにTVで『Eternal Flame』のPVを見てさらに衝撃を受ける。スザンナ・ホフス(写真の右上の子)──こんなキュートな女性がこの世におったのかと。要するに落ち着きのない子供だった。
25 Led Zeppelin
これもまた、たまたまラジオで『Stairway To Heaven』を耳にして飛びついた。ほとんどイングランドの神話と化しているバンドである。好きなアルバムは『W』。だってジョン・ボーナムのドラムの太さときたらさ、あれはさ、小学生の耳にも衝撃的じゃんさ?
26 King Crimson
プログレッシヴロックというカテゴリなど知りようもない小学生のぶんざいで、しかしラジオから流れてきた『Fallen Angel』に強烈な感銘を受ける(ラジオって便利)。のちに歌詞を読んでさらなる感銘を受け、と同時に曲調の明るさに戸惑いをおぼえた。生きる者にとって死とは常に祭儀であること、今になって解釈もできるが、当時はただの違和感でしかなく、だからこそのシニカルなアートを感じた。
27 中村メイコ
7色の声を出す大女優。彼女がすべての声を務める、世界中の童話を網羅したカセット文庫『ファブリ・こども世界名作シリーズ』が家にあって、絵本(全28巻)もあって、私は夢中になって目と耳と心を傾けた。本当に7色の声だった。おかげで、私は一時、本気の本気で声優に憧れたものである。ちなみに私の好きな童話は『まほうの赤い本』を筆頭に『3人のおんがくたい』『テーブルよ、しょくじのようい!』『まぬけなバルディエロ』『小人の名まえはトム』『7わのからす』『3びきのいぬ』『森のいえ』『5つぶのえんどうまめ』──と、あげたらキリがない。
28 山口小夜子
'70年代に活躍した伝説のトップモデル。タイムリィに観ていた人とは言えないが雑誌やポスタで見る機会はあった。なにはともあれ美って怖いと思ってた。でも、今では怖さを感じられない美は美ではないと確信している。
29 李連杰
ハリウッド名は「ジェット・リー」で、中国映画『少林寺』の主演で脚光を浴びた俳優。この映画のオーディションを兼ねた擂台賽的な中国武術大会がTV中継されていて、彼はその優勝者。ちなみに実況は古舘伊知郎。普通に長刀などの武器を使っていて、出血する者も出るという、今ではコンプライアンス的に問題視されそうな番組だったが、リーの突出したカッコよさが衝撃だった。だって他の人がみんな弱そうに見えるんだもん。
30 Jennifer Connelly
映画『ラビリンス〜魔王の迷宮』で私に衝撃を与えたアメリカの名女優。だってこの写真で15歳よ? 中学生よ!? 神ってなに!?──本気で思った。実際、仮面舞踏会のシーンのジェニファーは失神するほどの美しさだった。女神だった。いっぺんガガーリンに会わせたくて。
31 失神ごっこ
良い子は真似をしないでください的な超危険な遊びが流行った。もちろん方法は書かないが、わずか2〜3の手順を踏むだけで呆気なく失神できるという、キメセクをも遥か凌駕するアングラな遊び。私はかかりにくいほうだったが、中には痙攣する子もいた。人間も一寸先はロボットに近い構造だと学んだ。
32 陸上競技
わりかし足が速かった。地区大会では優勝できるレベルだった。県大会ではぜんぜんだった。でも、いまだに我が校の、短距離部門の記録保持者として私の名前が残っている。はなはだ迷惑だ。そろそろ塗り替えられて名前が抹消されることを願う。
33 拳児
中国武術を題材にした異色の漫画。巻を増すごとに絵が荒く(筆ペン調に?)なっていく感は否めないが、様々な武術の歴史が詳細に記されてあるなど、本格的で大好きな漫画だった。八極拳や蟷螂拳、合気道などの足捌きの図説まで載っていて、よく真似をした。排水溝に板を渡し、正拳突きをして拳を鍛えたりもしていた。今時の中学生にはありえないだろう自虐的虚栄心。
34 ロードス島戦記
現代ラノベの元祖と言えるだろうハイファンタジー小説。カセット文庫も持っていた。夢中だった。特にウッドチャックの裏切りの心理が好きだった。好きな人物としてはディードリット(鶴ひろみさんの声が好きだった)。
35 アルスラーン戦記
これまたラノベの元祖。やはりカセット文庫も持っていた。そして私はアズライールを飼いたかった。この時からすでに無類の鳥好きだった。
36 宇宙皇子
スーパー歴史音痴の私にはどうしようもなく難解な、これもラノベの元祖。何度も脳がクラッシュし、何度も人生を諦めかけた。藤原不比等て誰やねん。ただ、天界編で田加良たちが老いてしまったのはショックだった。あと、キジムナーが可愛かった。いのまたむつみ氏のイラストをなくしては読めない、量子力学の専門書のほうがよっぽど簡単だと思えるような難しい小説だった。
37 スウィートホーム
黒沢清監督、伊丹十三総指揮の本格ホラー映画。宮本信子、山城新伍、黒田福美、益岡徹──名優が名を連ねるも、特筆すべきはロックバンド『REBECCA』のVoであるNOKKOと、まだ駆け出しのアナウンサだった古舘伊知郎を役者に据えているところ。彼らの素人くさい棒読み演技が却ってリアリティを生んでいて、それがとても怖かった。ちなみに音楽を担当しているのが次にあげる『PSY・S』の松浦雅也氏。
38 PSY・S
我が青春、サイズ。当時としてはまだ新しいサウンドだったテクノ的な要素を取り入れるなど、常に挑戦的な姿勢を見せる2人組の音楽ユニット。ところが、不思議とレトロな雰囲気も漂ってた。ソリッドなのにソフトで、フレッシュなのにノスタルジック。特にアルバム『ATLAS』が如実で好き。私が20歳ぐらいの時に解散してしまうのだが、最後のベストアルバムを聴きながら部屋で1人、毛布に顔を埋めて号泣するほどの愛しい青春だった。
39 遊佐未森
我が青春の女性ミュージシャン。好きなアルバムは『HOPE』。パーソナリティを努めるラジオ番組のスーパーほんわかトークをカセットテープに録音するほど彼女の人間味が好きだった(今も好き)。クレッシェンドとデクレッシェンドだけで構成されている、童女のような、天女のような、あまりにもオンリーワンすぎる歌声に恋焦がれる日もあった。
40 ANA
18歳の私に衝撃を与えたのはマライア・キャリーのデビューだったが、それよりも前に衝撃的だったのがアナとの出会い。映画雑誌『ロードショー』の音楽ページに載っていて、気になって注文、購入した。典型的なアメリカンポップスなのだが、なにしろこの容姿でまだ16歳、しかも1曲目の冒頭から「Are You Ready, Boys?」と囁きかけておる。今では青春の逸品だが、当時の私はこう思った──米国・恐る・べし!
41 W.A.S.P.
宗教的なジャケットに惹かれて購入した(ヒーリングミュージック好きの)母親から「なんか思ってた音楽とぜんぜん違った」と譲り受けたのがW.A.S.P.の『The Headless Children』。しかしてこれが私の趣味嗜好にメガヒット。BGMとしてのみならず子守唄としても聴いていた。今やデスメタルまで愛聴する私の揺るぎない地盤と化しているレジェンドバンド。
42 夢枕獏
特に好きな小説は『幻獣変化』なのだが、短編にせよ長編にせよ、なんとなし濡れているようなイメージを持たせる奇妙な小説家。それも、センシティヴなウェット感ではなくもっと物理的に濡れている印象なのだ。登場人物から滴り落ちる汁によってしっとりと文庫本が濡れている印象。これこそがまさにエロスであると知るのは後のことだが、このしっとり感がたまらなくて、中学生の私は彼の作品を貪るように読んでいた。
43 天野喜孝
私にとっての神絵師。ドロンジョ様も神々しい。いまだに大好きで画集も数多く持っている。もともと『アルスラーン戦記』の装丁でも老師は活躍なされていた。この世のものとは思えないほど美しいファランギース様に拝謁して以来、私はすっかり虜囚なのである。
44 姫乃樹リカ
歌のベストテンかなにかで見かけた。日本のアイドルにしては珍しく伸びやかな歌声で、アイドルもヤるもんだなぁ──と偉そうに思った。偉そうに思ったくせに、しばらくして『硝子のキッス』を購入するという暴挙に出た。不覚。私にとって恐らくは最初で最後に惹かれたいわゆるアイドルだと信じたいマジで。
45 保健室
保育園〜中学校の一貫教育も終わり、それまで念入りに使いつづけてきた偽りの仮面を継続するかどうかと迷っていたら(ヤンキーブームの終盤ということもあって)ヤンチャなクラスに馴染めなくなり──高校生活の第1歩は想定外の苦痛としか言いようがなかった。なので足繁く保健室へと逃げこみ、ぐぅすかと寝ていた。やがて担任に呼び出されて「あと3時間も授業を休んだら単位不足で留年するぞ」と脅され、遅れ馳せながら社会復帰。しかし詰めこみ教育の授業についていけず赤点のオンパレード。おかげさまで落伍ました。テメェで選んだ高校なのにサボるんだから自業自得。
46 サッカー
Jリーグが発足し、にわかにサッカー熱が高まる。カニージャとかいたよね。リネカーとかリトバルスキーとか。私はキーパーのシジマールが好きだった。でものちに麗しのストイコビッチ様と運命の出会いを果たすことに。この頃のW杯、私は日本なんてちっとも応援していなかった。どこを応援してたって? (旧)ユーゴスラビアに決まってんじゃん。
47 髪
もちろん髪の毛の脱色も染色も校則違反だった。が、一部の生徒は守っていなかった。私もオキシドールで脱色していた(ブリーチだのカラーリングだのの文化はまだ発展途上の時代だった)。高校3年生の時には赤く染色していた。日陰では黒く見えるが陽の光に曝したとたんに呆気なくバレる赤だった。担任からも「おまえさすがにソレはないぞ」と呆れられた。でもまだちょっとだけグレていたので私は意志を貫いた。偉い。あとボニピンさんご結婚おめでとうございます(結婚しない人だと思ってました勝手に)。
48 東京
幼い頃から匣の外に出るのが目標だった。やりたい夢も見つかって、高校の卒業こそが絶好のタイミングだった。地元に残る恋人は泣いていたような気がする。でも私は泣いてあげられなかった。置いていくものよりも手にしたいもののほうが大きかった。
49 X JAPAN
陸上部の先輩の家へと遊びに行き、ライヴビデオをよく観たものだった。高校3年生の時には隣の隣のクラスの男子に誘われてバンドを結成、このバンドのコピーで文化祭の舞台に立った。私はボーカルで、大成功で、たぶん楽しかった。だって、なんの夢もなかった私に音楽専門学校への進路が生まれ、匣の外へと出る口実まで生まれることになったのだから。ちなみに私はギターのhideが好きだった。今も好き。彼の音楽が好きで、ファッションが好きで、存在が好き。
50 中江有里
熱狂的ではなかったが好きだった。なんて綺麗な人なんだろうって。シングル『花をください』も持っていた気がする。いわゆるアイドルとは少し違うカテゴリの人だったが、しかし、かつて姫乃樹リカに向けていたようなまなざしが私の中にあったことは否めない。で、最近、ニュース番組のコメンテータなど、ふたたびその姿を見かける機会が増えていて嬉しい。相変わらず綺麗。彼女のようなスピードの四十路に憧れる。
さて。
「人は九死に一生にある」というのが私の死生観のひとつ。例えるならば、死という海原の真ん中に生という小舟を浮かべ、落ちないよう、必死にしがみついている状態に似ている。しかし、この小舟にも寿命があり、少しずつ海水に蝕まれ、やがて木端微塵と化す。
理のうちの9割が死である。ただの1割が生である。
私たちは、1割ぶんの小舟の上に乗っている。乗っている理由は人によって様々である。理由もなく、ただなんとなく乗っている者もいる。理由がないと上手に乗られない者もいる。不運にも、小舟から落ちてしまう者もいる。小舟を放棄して早々とダイヴしてしまう者もいる。朽ちた木端にすがりつく者もいる。でも、誰も彼もが、いずれは海へと消えていく。なんにも無くなる。
私たちは、1割ぶんの小舟の上で生きている。それを奇蹟と思うか普遍と思うかもまた人それぞれである。私は「まぁそんなものだ」と思っている。だって、どのみち奇蹟とやらに問いかけたところで返答なんてないのだし。鳥に尋ねたところで答えてはくれない。無回答こそが理の解答。だから、わざわざ生をありがたがるつもりはない。わざわざ生きている理由など考えないし、生きている意味ならばなおさらに考えない。わざわざ頑張ろうとしない。わざわざ諦めようとしない。わざわざ意識しようとしない。わざわざ意識しないように意識しようとしない。そのためにわざわざ隣の乗組員を痛めつけようとしない。わざわざ優しくしようとしない。
わざわざ生きようとしない。わざわざ死のうとしない。
そういうスタンスを起点にして、少しずつ、自分が豊かだと思うものを、美しいと思うものを付け足していけたらいい──小舟の上のささやかなアンティークとして。もちろん、わざわざ豊かにしようとせず、わざわざ美しくしようとせず、わざわざ「わざわざ」と心しないように。
それが私の希み。
──などと、わざわざ考える朝。