栞

理解の弱点
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Category : I Think
Update : 2014/11/05[Wed]13:00



『I Think』というカテゴリであると認識した上でお読みいただきたい(一般的常識を持って読まれるとだいぶ違和感のある内容だろうから)。



「理解」と「解釈」──よく似た言葉ではある。双方ともに「わかる」や「明らかにする」という着地点を待っている言葉には違いないだろう。

 ただし、私が思うに、この2つの言葉は、着地点は同じなのかも知れないが、たどり着く道程が高速道路とJRほどに異なっている。

「理解」を要約すると、恐らくは「物事の筋道を悟って飲みこむこと」や「人の心や立場などを思いやること」となる。

「解釈」を要約すると、恐らくは「意味を明らかにして説明すること」や「理解をはかるための情報を精査すること」となる。

 大きく間違ってはいないと思う。

 そう書くと、ニュアンスとして、前者は感覚や感情を伴う言葉に見え、後者は理論や理屈を伴う言葉に見える。前者はセンシティヴな言葉であり、後者はロジカルな言葉であると。なにしろ、前者は悟ったり思いやったりするのだし、後者は説明したり計(測・量)ったりするのだから、例えば、文系と理系に仕分けられることは容易い。

「理解」は文系。
「解釈」は理系。

※本来的な意味の文×理ではなく、現代日本社会で罷り通る記号的な意味での文×理のほうである。なぜならばここはエッセーの場であるからして←ここ超重要。

 となると、着地点に至るための運動も自ずと違ってくる。

 前者は自分の胸に手をあてて熟慮熟考する運動が必要であり、後者は論法を立てて検証する運動が必要か。どちらも一朝一夕に為されるものでなく、ケースによっては長考も覚悟の運動には違いあるまい。おのおのの経験が求められることは言うまでもないが、ただ、この「経験」という表現にもニュアンスの違いがあり、前者が「経験値」であれば、後者は「経験則」と表記するのが妥当。

 ……言わずもがな、私のエッセーがニュアンスありきで成り立っていることをお忘れなく。



 さて。

 先日、こんなニュースを見た。



■栃木県警は4日「宇都宮市内の中学校に侵入したとして建造物侵入容疑で逮捕した男の家宅捜索をしたところ、リコーダーと横笛の計85本を押収」と発表した。

■10月25日には送検している。送検容疑は「10月14日の午後1時45分頃、宇都宮市の中学校に侵入し、リコーダー19本(計1万9千円相当)を盗んだ疑い」。

■同県警によると、男はサイパン島に住んでいる無職の63歳で、この時は宇都宮市内の親族宅に寝泊まりしていた。調べに対して、男は「サイパンで知人に渡すためだった」と供述している。

■宇都宮市の教委によると、同市内の小・中学校の7校で、この2年間に180本のリコーダー等が盗まれる被害が出ている。県警はこの男が関与した疑いもあるとみて調べを進めている。



 出来事の核心にまで手はおよばなくとも、せめて道筋ぐらいは検証し、把握し、一縷の光明でもいいので見出しておくことは大事だと思う。たとえ生理的に拒絶してしまうような事件であったとしても、ソレのマニアが世界のどこかに存在するかぎり、事件の顕在化に対する未然の防衛として光明を得ておくに越したことはない。

 共感や同感をする必要はない。道筋を把握しておけば、仮にうちの1本が通行止めであったとしても、安全な巡行路を選択することは可能だということ。場合によっては無駄な工事を差し止めることもできよう。

「興味なし」と放っておくのも自由だが、いざ災難が我が身へと降りかかれば自由もヘッタクレもないわけで、盤石なる自由のための不自由な把握運動が必要となる日が訪れるかも知れない。なにしろ、警察にもできることとできないことがある。教委も然り。教師も然り。親も然り。政治家に至っては言うまでもない。

 結局のところ、盗んだヤツがいちばん悪い。こういう悪人がいなくなるのが理想ではあるが、理想が理想で終わっている世の中であるかぎりは理想なんてなんの役にも立たない。悪人ではない者のほうが現実的な見分を機織りし、対処策や防衛策を練っておく必要がある。はなはだ迷惑なお話だが、現実、悪人は必ず存在するのであるからして、自分にできることを進めておけば大損は防がれよう。

 前述した2つの言葉。前者と後者、どっちならばできる?

 しかしながら、日本人は不思議と前者に偏る傾向がある。不快な事件に際すれば、不思議と「理解できない」と表現したまま済ませてしまう傾向にある。そして1時間も経てばもう新たな情報に首ったけで、理解できないと表現したさっきの憤怒がまるで演技のよう。もしや、その真意を尋ねれば「結局は他人事だし」というレスポンスになるのだろうか。

 むろん、他人事だ。その認識は健全である。我が身に起こること以外は他の領域であり、他人のことなのだから、つまりは他人事となる。理屈に間違いはないし、すべての出来事を我が身に置換しているヒマも稀有だろうし。

 が、よもやリコーダーを盗まれるなどとは夢想だにしていなくとも、実際に盗まれ、個人の趣味だろうか、あるいは転売に応用するつもりだっただろうか、思わしくない方角へと歩みかけたリコーダーが存在する以上、他人事という観念ほど脆弱なものもなかろう。恋人や伴侶や親が実は素人系AVに出ているという不憫な事例のやたらと多い日本国なれば、万が一は高確率と心せねばなるまい。

 あんがい真面目な話をしている。

 件の窃盗事件に関し、では私はどうかと言えば「まったく理解できない」となる。盗まれた側の心情は理解できるものの、盗んだ側の心情を思いやることはできない。胸に手をあててみたところで、無い袖は振れない。

 これを「理解できる」へと逆転させるためには、なにが必要条件か?

 あくまでも私の場合だが、盗まれる側の了承だ。要するに、盗む相手は性的趣味を共有する恋人に限定される。そして、阿吽の呼吸でもって使用済みのリコーダーを弄ぶという性的プレイとして着手した場合にかぎり「理解できる」へと逆転する。そういうマニアックな嗜好性が私にはある。極論でもなんでもなく、恋人の了承さえ得られれば、排泄物を食べるというハードコア以外であれば、大抵のプレイが私にはできる。

 閑話休題。件の事件に関し、理解を示そうとすれば間違いなく「No」だが、解釈まで「No」なのかと言えば話は違う。一定量の推理は可能であり、その推理をもとにして対策や対案を練ることも可能だろう。

 被害者の方々には申し訳ないことだが、件の窃盗事件をウェブニュースに見た時、私は「実行しよったか……」と思った。信じがたい事件だとは思わなかった。そうすることに嗜好の矢印を向ける輩が世界のどこかには存在するのだと知っていた。理解はできなくとも、そういう性癖や商法があることを知るチャンスはあり、それらの知識や情報が経験則となって想定をもたらしたというわけだ(もちろん真相は未定だが)。事実「リコーダー85本押収」というタイトルだけで記事の内容が予見できてしまったほど。

 そういえば、高校時代、我が校の女子用ブレザが盗まれる事件があったっけ。犯人は同町の男子中学生で、裏山で着飾って楽しんでいるところを当校のサッカー部の猛者どもに拿捕、わっしょいわっしょいと神輿のごとく担がれながら下山。スカートの下はフル○ンであったそうな。さぞや縮こまったことであろう。

 それはいいとして。

 残念ながら、感情優勢の議論には限界がある。無い袖が振られないままに終わってしまう。件の事件も、きっと明日には忘却の彼方だろう。それで明日は我がリコーダーではよろしくなかろうよ。ならば「理解する⇔しない」の議論はいったん横に置いといたほうがいい。そうして、ジャパニーズカルチャの底辺をロジカルにすくいあげてみたほうがいい。さすれば彼らの嗜好品は自然と見えてくることだろう。

 胸を炙るはかたく、懐を探るは易し──私はそう思うのだが、しかし、多くの日本人は難しいほうを選びたがる。そして、案の定「理解できない!」という結論をあっさりと表明してあっさりと済ませてしまう。

 私は、できるだけ解釈に努めて備えたい。だって我が身を舐めていいのは恋人だけなんだもん。




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Nanase Nio
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