×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



  非日常の中の日常


あの時までの私は、自分の置かれた世界の平和さをさして意識することも無く、ただ当たり前の毎日を生きていた。

突然他の世界に飛ばされるだとか、不思議な出来事に巻き込まれるだとか、時にはそういう非現実的なことを想像することもあるけれど、実際にはそんなことが起こるはずも無くて。

このままずっと、今みたいな平穏な毎日が続いていくのだと、ただ漠然とそう思っていた。


****


本の中の世界。

何度空想してみても飽き足らなかった違う世界での生活。
それはライムの想像を遥かに越え、同時にある意味想像すらしなかった当たり前の日常も、其処には存在していた。

学生の本分は勉強。それは何処でも変わらないらしい。当たり前の様に朝は来るし、お腹も空く。

非日常の中の日常。
そんな言葉がぴったりだ。


カチャカチャと 食器が触れ合う度に小さく音を立てる。ざわめきに混じって響くバタバタとした足音。

小さく一口大にちぎったクロワッサンを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。サクッ と軽い食感と共にバターのほのかな甘みと小麦の香りが口の中にふわり と広がった。思わず口元がほころぶ。うん、おいしい。

さすがは屋敷しもべ妖精といった所か。此処、ホグワーツの料理は本で読んだ際に想像していた以上に美味しいものだった。

残りのクロワッサンを食べ終えて、香りのいい紅茶を一口含んだところで、──ガシャァン……──突然背後から響いてきた騒音に思考が中断させられた。

「また? 」

思わず漏らした言葉を気に留める者はいない。
皆の視線はどうせ騒音の元だろう。そう考えて、ライム・モモカワは小さくため息を吐いた。

ざわめきが徐々に大きくなる大広間。威勢の良い声とそれに応える歓声。振り返らなくてもそこで何が起きているかは大体予想が付く。数秒間止まっていた食事の手を再び動かして、ライムはスクランブルエッグをぱくりと食べた。

そのままひとり黙々と食事を進めていると、不意に視界の端をちらりと深い赤が掠めた。

「朝から随分と騒がしいのね」
「うん。おはよう、リリー」
「おはよう、ライム」

どさりと勢い良く椅子に腰掛けたリリーは僅かだが眉間にシワを寄せている。だがライムが挨拶をすると、たっぷりとした赤毛を背に流して、ふわりとその表情を緩めた。

「また、なの? 」
「また、だね」

それだけで言いたいことは互いに通じる。苦笑混じりに答えるライムとは対照的にリリーの表情は険しい。

「まったく、あの人達って少しもおとなしくしていられないのね。朝から気分が悪いわ」
「まぁまぁ。眉間にシワが寄ってるよ、リリー」

指摘すると、リリーは困った様に笑った。ハの字に下がった眉が可愛らしい。

「いつものことだしね。気にしても仕方が無いよ。それより何か食べた方がいいって」
「……それもそうね。ライム、カボチャジュースを取ってくれる? 」
「はい、どうぞ。クロワッサンは? 」
「いただくわ」

にこりと笑って皿を受け取るリリーはとても綺麗だ。白い肌と夕陽色の長い髪は美しく、何度見ても憧れる。つられて頬を緩ませながら、ライムも食事を再開した。

「そういえば今日は随分早いのね。折角の休日なのに」
「んー、図書館に行こうと思って」
「熱心ね。また、調べ物? 」
「──うん」

図書館に入り浸る生活を始めたのは何時からだっただろうか。

この世界に来てから早4年。

ライムは12歳で、ホグワーツの2年生に編入した。既に出来上がりかけていた人間関係の中に飛び込むには勇気が必要だったし、周りと馴染むまでに時間はかかったものの、5年生となった今ではすっかり此処での生活に慣れてしまった。苦手だった英語も日常会話なら問題無く話せるようにはなったし、リリーやシリウス達に教わりながら必死に勉強してきたお陰で成績もかなり良い方だ。

けれど深く考えずにこの世界の生活を楽しめていた最初とは違い、過ごす時間が長くなればなる程、ライムの心にはじわじわと不安とも戸惑いとも似た感情が広がっていった。

私はいつ、帰れるのだろう。……そもそも、帰ることが出来るのか。

「帰りたいのか」と聞かれても、正直わからない。
すぐに帰りたい訳ではない。ずっと憧れ続けていた世界だ。魔法も文化も知りたいことは山ほどあって、飽きることなど無い。けれど今まで生きてきた世界を捨てて、此処で一生暮らす覚悟はまだ出来ていなかった。

大切な人も場所も物も、すべてそのまま残してきてしまったから。

だから少しずつ、調べることにした。
過去にライムのような事例はないのか。異世界へと帰る術、その手がかりは。ホグワーツには膨大な知識が溢れているのだから、それを活用しない手は無いのだ。
帰れる保証も残れる確証も無いけれど、何もしないではいられない。

「ねぇ、ライム。良かったら午後から一緒に過ごさない? 」
「勿論! いいわ、どこに行く? 昼食の後からにする? 」
「それもいいけれど、折角だからサンドウィッチでも作って湖の方で食べない? セブルスも誘って」
「ふふ、ジェームズ達が見たら怒るわね」
「関係無いわ、あんな人達。貴女が何であんな奴らと仲が良いのか、さっぱりわからないわ」
「あれでもいい所もあるんだよ。子どもっぽい所が目に付くから、わかりにくいかもしれないけどね」
「……ライムは大人ね」
「そういう訳でもないんだけど……」

リリーが嫌う気持ちもわかる。ジェームズ達のセブルスに対する仕打ちは酷すぎる。けれど彼らのいいところも知っているから、そう簡単には嫌いになれないのだ。
しかしリリーとジェームズが将来結婚する、だなんて誰に予測出来るだろう。知っている自分ですら、未だに信じられないのに。未来ってわからない。

おしゃべりに夢中になっている内に時間は過ぎ、空いていた大広間にも人が集まり始めてきた。急がなくていいの? というリリーの指摘にハッとして時計を見ると、予定の時間を大分過ぎていた。

「行ってくる! またね、リリー」

慌てて残りのクロワッサンを口に押し込んで、ライムは図書館へ向かうために席を立った。

何も変わらない日常が、ずっと続けばいいのに。

いつかはこの日常が失われてしまうことを知っているからこそ、その想いは強くライムの心に刻まれていた。


 next

[back]