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  救い上げる、声


「うわー、すっごい眺めだなー」

吹き抜けの動く階段の最上階。
壁には大小様々な大きさの絵画が飾られ、その中を無数の紳士や貴婦人、魔法使いが行き来している。ぐるりと取り囲むように配置された階段と、吹き抜けの中央を不規則に動く階段が軋む音を立てていた。そこを動き回る生徒達の姿は小さく、おもちゃみたいに見える。相変わらずすごい眺めだな、と ライムは柵に持たれ階下を見下ろしながら思った。

度重なる嫌がらせや呼び出しにもめげずにいるライムに、不意打ちの奇襲や陰口は無駄だとわかってきたのか、或いは先日の脅しが効いたのか、最近では嫌がらせも大分減ってきている。


だからきっと、油断、していたのだ。


────ドンッ!!

「、え?」

衝撃 痛み 浮遊感。

背中に何かがぶつかった。
強い力に踏みとどまれずにたたらを踏む。傾ぐ体。視界が回る。ガクンと下がる。

振り返り様に視界に映った少女、天井、寄りかかっていた筈の手すり が。

一瞬にして視界を掠め 遠ざかる。


────落ちる。
そう思った時には既に体は落下し始めていて、目の前にあった手すりは一瞬にして遥か頭上に見えた。藻掻くように手を伸ばしても、重力に捕らえられた時点で、もう遅い。

落ちていく、堕ちていく、成す術も無く 下へ。

辺りに悲鳴と驚きの声が満ちる。

────それを一掃する、声。

「アクシオ!ライム!!」

ぐんっ、と。
強く強く、引き寄せられる。
まっすぐ上に。落下から転じて上昇する体に息が詰まった。目の前にまで迫っていた床が、再び遥か下に遠ざかっていく。

どう、なってるの?

先ほどの映像が巻き戻されたみたいに、上へ上へと上っていく。自分が置かれた状況に理解が追い付かなくて暫し呆然としていると 軽い衝撃と共に上昇が止まり、頭上から聞き慣れた声が降ってきた。

「無事かい?ライム」

リドルの、声だ。
その声に、何故だか泣きたいくらいホッとして、ライムはようやく自分の置かれた状況を理解した。

「う、ん……」
「ギリギリ、だね。間に合ってよかった」

リドルはどこかホッとした様子でそう言った。ライムは言葉を続けようと口を開いたが、ひゅうと喉が鳴って鋭く痛んで声にならない。落下と上昇で揺さぶられたせいか、頭がぐらぐらする。リドルはげほげほと咳き込むライムの背中を軽く摩りながら引き上げて、手摺に腰掛けさせた。

「……どうかした?」

咳が収まっても動かず黙りこくったままのライムを不思議に思ったのか、リドルはこてんと首を傾げる。

「何と言うか……できればもう少しましな方法で助けて欲しかったです」

ぷらーんと揺れている両足から視線を上に移すと、右腕と腹に回された腕が見える。ライムの今の状態を一言で言えば、半宙吊り。手摺りに浅く腰掛けた状態で後ろから回されたリドルの腕に支えられている ひどく不安定な体勢だ。どうやらライムは何者かに突き落とされ、寸前でリドルの唱えた呼び寄せ呪文によって地面への激突を免れたようだ。
とんでもなく荒い方法で、だが。

「じゃあもう一度、やり直そうか」

落ちる所から、とライムにしか聞こえない小さな声でつぶやきながら、リドルは本気で支えている手を放そうとした。

────冗談じゃない!!

「いやいやいやいやいや!もう十分ですとても助かりました本当にありがとう!!
……だから早く引き上げてください」
「そう?……………………残念だな」

本音に混じって何か舌打ちが聞こえた。もうやだ恐いこの人。

リドルは両腕に力を込め、ぐいっとライムの体を引き寄せ柵の内側へ引き入れると、背を支えてゆっくりと立たせた。細い身体の一体何処にそんな力が在るのか不思議だ。踏みしめた地面の固さを数分ぶりに実感し、ライムはふらつきながらも何とか一人で立った。……手すりを支えにはしたけれど。

全身から冷や汗が噴出し、心臓はバクバクと煩く、緊張で体は強張っている。生きている。助かった。軽口を叩いていても、びっくりしたことには代わりが無い。

「あ……あの、ありがとう」

向き合って戸惑いがちにお礼を言うライムの姿を見て、リドルが口を開く。

「どういたしまして。────で、助けてあげたのに、ライムは何が不満なの?」

紅い瞳が意地悪くギラリと光る。
それに気圧されながらもライムは何とか口を開いて説明した。

「だってその……色々と突っ込み所があり過ぎて。何でギリギリまで呪文で助けてくれないのか とか、呼び寄せ呪文以外にも優しい助け方があるよね とか。でもその前に────リドル、始めから気付いてたでしょ」

そう言って、ライムはリドルを怨めし気に見やるが、当の本人は何処吹く風といった様子で涼しげな顔をしている。突き落とされてぶつかるまでの短い時間で駆けつけて、落下中のライムに正確に呪文を掛けるなんて離れ技、近くで見ていたので無ければ間に合うはずが無い。

「まぁね。でも、これは君の問題だろう?」
「うんそうです。でもまずリドルが無駄にちょっかい出したりしなければそもそも起こらなかった問題です」

じろり、と恨みがましい視線を向けるも、ライムの不満にリドルは少し眉をひそめただけで答えなかった。小さな反論は無視する事に決めたらしい。済ました顔で乱れたローブの裾を正して杖を仕舞い込む。そんな余裕も憎らしかった。

尚も睨み付けているライムを横目で見て、ふっと目を細め小さく笑う。その微笑に、不覚にもどくりと胸が跳ねた。

「少々目立ちすぎたようだ」

抑えた声。その奥に潜む鋭さにハッとして周囲に目を向ければ、集まってくる大勢の生徒の姿が見えた。緊張が解けたのか、辺りにざわめきが戻って来る。

「……なんだか見世物みたいになっちゃったね」
「場所が場所だからね。仕方ないさ。それより歩けそう?」
「……なんとか」
「……そう。少し、泳がせすぎたかもしれないな」

トーンの下がった声に え、と疑問の声を上げる間もなくリドルはライムの手を掴み、集まりだした生徒へ向き直った。

途端に周囲から掛けられる拍手や称賛の声に何時も通りの完璧な優等生の顔で答えながら、リドルは低いけれど良く通る声で呼び掛ける。

「ありがとう。すまないけど、道を空けてくれないか。彼女を医務室へ連れて行かないといけないんだ」

そう言って割れた人垣を、リドルはライムの手を引いてするすると抜けて行く。口を挟む隙も無い。途中羨ましそうに向けられる女子生徒の視線にライムは居心地が悪くなって俯いた。

「ね、リドル。別に大丈夫だから……」
「駄目だ」

小声で抗議してみるも、即座にぴしゃり と跳ね除けられる。なんで、と問うような目線をその背に向けてもリドルは振り返らない。振り解こうと腕を引いてみても無駄だった。手を握る力は思いのほか強く、歩調は緩むことなく人の波を掻き分け進む。

「他にも怪我、手当てしてないだろう」

……気付いていたのか。

驚いて、ライムは僅かに目を瞠る。度重なる嫌がらせによってできた傷は騒ぐほど深いものではないにしろ、放っておけばそれなりに痛むものばかりだ。寮という大人数との共同生活の中で人目につかぬように薬を手に入れ手当てするのは難しい。マダムに頼めば簡単に治るとはわかっていたが、頻繁に医務室に行くところを見られるのも何だか癪で、最近は止血して自作の薬を付けるくらいの手当てしかせずに専ら放置していた。

けど、そんな傷はどれも、ローブに隠れて見えない筈だ。

リドルは相変わらずわかり難い。こんな風に心配するのなら、始めから止めるか、ライムと関わる事を止めればいいのに。

振り返らずに黙々と歩を進めるリドルの表情は見えなくて、その心は伺い知れない。振り解けないようにしっかりと捕まれた手だけが、熱い。

ざわざわと落ち着きなく騒ぐ胸がなかなか静まらなくて、湧き上がる感情に────気づかない、ふりをした。

「……やっぱりわからないよ」

何、考えてるのか。

ぽつりと漏らした言葉は誰の耳に届く事無く、足音に紛れて消えた。


知りたい。でも、知るのも怖い。

(それを知ったら、戻れなく、なりそうで)

歯止めの利かない感情が、たまらなく怖かった。


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