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  てのひらの熱


「かぜ? 」

ライムがぽかんとして聞き返すと、その男は銀糸の髪を弛ませ、ゆっくりと頷いた。

雪遊びの翌日。
借りたローブが思ったより早く洗濯から戻って来たのでリドルに返そうと思い、ライムはいつもより少し早めに部屋を出た。しかし、肝心のリドルの姿は何処にも見当たらなかった。大広間にも図書館にもいない。誰かに姿を見なかったか尋ねようにも、休暇中だから生徒自体が少なくてなかなか心当たりのありそうな人を見つけられなかった。
それで仕方なく、ようやく通りかかったリドルの取り巻きの一人──確か、アブラクサス・マルフォイだ──を捕まえて聞き出して、返ってきたのが先程の予想外な答えだった。

リドルでも風邪ひくんだ……。いや、リドルだって人間なんだし、当たり前なんだろうけど。……というか、もしかしなくても、昨日の雪遊びが原因?

「じゃあ今は医務室に? 」
「いや、自室で休まれている」
「そう、なんですか。教えてくれてありがとうございます」
「お見舞いに行かれるのですか? 」

涼しげな色の瞳が 値踏みする様に静かにライムを見下ろしてくる。この目は苦手だ。口調や態度は丁寧なのに、その目は冷ややかだった。油断ならない人だと思って、グッと奥歯を噛みしめる。

「いえ。そのつもりだったんですけど、スリザリンの寮なら私は入れないので……また今度にします」

そう言って踵を返したライムの背中に、声が掛かる。

「貴女はリドルと親しいのですか? 」
「……わかりません。仲が悪いとは、思わないけど」

訝しげに振り返って答えると、相手は暫し何かを吟味するように考え込む素振りを見せた。話の途中で立ち去る事も出来ずに、ライムはその場に立ち尽くす。

「……案内しよう」
「えっ、あの……? 」

アブラクサスは薄く笑むとそう短く言った。くるりと向きを変え歩き出した背にライムは慌てて声をかける。そっちはスリザリン寮の方角ではないんじゃないか。

「ああ、部屋で休んでいるというのは建前だ。本当は別の場所で休まれている」
「別の場所……? 」
「この事はくれぐれも他言しないように」
「えっ、あの……」

何故リドルのいる場所をライムに教えてくれるのか、何故そこに案内してくれるのか。疑問だらけで混乱するばかりだ。しかし質問しようにもアブラクサスはさっさと歩き出してしまっているし、ひとまずついて行くしか無い。そう考えてライムは早足で追いかけた。


****


連れて来られた先は必要の部屋だった。アブラクサスは部屋の前までライムを案内すると、自身は中に入る事無く立ち去った。目の前に現れたドアを見つめて、ライムはしばらくの間 部屋に入るのを躊躇した。

わざわざこんな所で休んでいるって事は、きっと弱っている姿を誰にも見られたく無いのだろう。なのに、入っても良いのだろうか? 
しかし折角案内してもらったのに、入らず帰るのもおかしいし。……でも、そもそもあのマルフォイを信用しても良いのだろうか? グリフィンドールの人間を良く思っているはずが無いのに。

アブラクサス・マルフォイと会話したのは今日が初めてだった。学年と寮が違えば接点なんて無いに等しい。だからどう思われているのか全く想像がつかない。

ええい、ままよ!

グダグダ悩んでいても仕方が無い。勢いで踏み出すと、ライムはドアノブに手を掛け、音を立てないよう気を付けながら回した。


****


必要の部屋に、リドルはいた。

そう広くは無い部屋の奥。素っ気ないシンプルなベッドの上でこんこんと眠っている姿は何処か人形めいていて、息をしているのかと不安になる程だった。

部屋の窓際にある小さなテーブルには品の良いデザインの水差しやタオル、体温計など必要なものが一通り揃っている。ここでは欲しい物は願えば手に入る。成る程、療養にもってこいの場所かもしれない。

チクタクと、時計の針が音を立てる。
ぐっすりと寝込んでいるリドルは起きる気配が無い。目に付く所に畳んだローブは置いたけれど、ライムは何となく立ち去り難くてベッドの横に椅子を出し、本を読みながらしばらく様子を見る事にした。


****


緩やかに時計の針は進む。
額に滲む汗をそっと拭い、冷たい氷水に浸したタオルを絞って乗せた所で、リドルは細く小さく息を吐いた。

ゆるりと震える目蓋。長い睫毛の下の瞳がライムを見て、ゆっくりと瞬いた。

「ごめん、起こしちゃったね」
「────ライム……? 」

声は掠れて、思いの外弱々しいものだった。汗を拭う手を止めて、ライムは抑えた声で話す。

「アブラクサス・マルフォイに ここにいるって教えてもらったの。昨日借りたローブを返そうと思っていたら、リドルが何処にもいなかったから」
「……アブラクサスか」

苦々しげに吐き出された名前。やはりここに来て欲しく無かったのだろうが、それは口にしなかった。

弱っている姿を人に見られるのは、あまりいい気分ではない。プライドの高いリドルならば尚更だろう。リドルの望み通りにするならば、ここで部屋を出るべきだ。けれどこうして弱っている姿を見てしまったら、それがお節介だとわかっていてももう、放ってはおけなかった。

ライムは黙って水差しを引き寄せると、ゆっくりと水をコップに注いだ。随分汗をかいているようだから、身体を拭いて着替えた方がいいかもしれない。その前にまずは水分補給をして、と思ったが、水しかない。────ああ、ポカリスエットでもあればいいのに。流石にイギリスの魔法界にそれは無いか。いや、でもここは必要の部屋である。似たようなものならばもしかして手に入るのでは────

「……何が目的だい? 」
「……は? 目的? 」
「借りを作って優位に立つつもり? それとも弱みに付け込んで何か──」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 何それ?! 貴方どれだけ根性ねじ曲がってるのよ! 」
「そうじゃなければ説明がつかないだろう」

思わぬ発言にライムはうろたえたが、リドルはごく真剣に言っているらしかった。いつもの人当たりの良さはなりを潜め、毛を逆立てて威嚇している。その姿は警戒心の強い、野生の獣を彷彿とさせた。

「……あのね」

ライムははぁあ……と深くため息を吐いた。息を整えて、気分を落ち着かせてから ゆっくりと言葉を続ける。

「リドルの物差しで測るのはやめて」

ピシャリと、言い切る。
そう。これは打算じゃない。ライムからしたら病人を気遣うのは至極当たり前の事だし、出来る事があればする。風邪の原因を作り出したのが自分かもしれないのなら尚更だ。
そう説明しても尚 訝しげに眉を寄せ、様子を伺うリドルにはいつもの余裕などどこにも無くて。本当に、手負いの獣みたいだと思った。

「あー、もういいよ、それで。なんだっけ?リドルに借りを作らせて弱みに付け込むんだっけ?そうそう。リドルはもう私に頭が上がらないねー。屈辱的だねー。はいはい」
「……違うの? 」
「どれだけ疑り深いのよ。────まぁ、でもどっちでもいいでしょう? 私は自分のしたいようにしてるだけで、リドルが嫌がっているのも無視して自分のエゴを押し付けているだけなんだから」

そう言って、ライムはあっけらかんと笑う。その様子に、リドルは毒気を抜かれように瞬いた。

「君は本当に変だよ」
「はいはい」
「やること為すこと全て理解出来ない」
「私からしたらリドルの方が理解出来ないけど」
「頭は悪くないのに、抜けているし」
「無視か」

リドルはライムの言葉には答えずにベッドに潜り直した。ゴソゴソという布団の擦れる音が止み、部屋を沈黙が包む。
しかしライムは立ち去らずに尚もリドルの側にいた。やや間を置いてから、渋々リドルが口を開く。

「……ねえ」
「なあに? 」
「出て行ってよ」
「リドルが薬を飲んでちゃんと寝たらね」
「子ども扱いするな」
「それは成人してから言ってね」
「ああもう! ……君って本っ当、いい性格をしているよね」
「それはどうも。リドルには負けるけどね」

何を言ってものらりくらりとかわされて埒が明かない。力づくで追い出そうにも弱った身体は言う事を聞かない。そう思って、ついにリドルはライムを部屋から追い出すことを諦めた。
けれど不服であることには変わりが無いようで、むすっと黙り込んで差し出されたコップを受け取ると、無言で薬を飲んで再びベッドに潜り込んだ。

その様子をライムは何も言わずに見つめている。その瞳が思いがけず優しいものだから、見ていたくなくて、リドルはぎゅっと目を瞑った。

「おやすみ、リドル」

優しい声が落ちる。眠りに落ちる前の子どもに、母親がかけるような、優しい声が。

何を考えている? 何が目的だ? 
油断すべきでは無い。心を許すなんて馬鹿げている。

────わかっている。わかっているさ。

思考を振り払うように目蓋を下ろしても、ライムの真剣な瞳が焼き付いて離れない。

額に触れたあたたかい手のひらの感覚が、消えない。

「────不快だよ」


(そうでなければならない)


ぽつりと吐き出された音は、誰の耳に届くこと無く霧散した。


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