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  潰して黒く塗り替える


ちりんと一度、呼び鈴が鳴る。
来訪を告げる鈴の音は、ともすれば聞き逃してしまうのでは、と思う程に微かなものであったが、その部屋の主は直ぐ様ドアを開け来客を招き入れた。

「お久しぶりです」

久方ぶりに聞くその声は、ベルベットのように滑らかに響いた。開いたドアの隙間から、湿った雪の匂いが吹き込む。夜気を纏った男が一人、上質の外套を身に着けて立っていた。

「……久しいな、アブラクサス」
「ご無沙汰しております、我が君。お招きいただき光栄です」
「掛けろ」
「失礼致します」

脱いだ帽子と外套を脇に抱えると、アブラクサスは優雅な所作で椅子に腰掛けた。リドルの杖の動きに合わせて、外套がひとりでに外套掛けに掛かる。

「珍しいな、ここに来るのは。これ程お前に似つかわしくない質素な部屋も、他に無いだろう」
「貴方様がお出でになる場所ならば、私はどこへでも馳せ参じます」
「よく言う」

ここへ来るのは初めての癖に。リドルは鼻で笑うがアブラクサスは気分を害する様子も無く微笑んだ。自らも脱いだジャケットを無造作に椅子の背に掛けて、リドルは背後に立つアブラクサスに向き合った。

「似つかわしくないと言うならば、貴方だって同じでしょう」

ロンドンの郊外にあるアパルトメントの一室。外壁に蔦の這う石造りの建物は清潔ではあるが、古く暗い。かつて学生時代を過ごしたあの城の内装とは程遠い調度品。リドルもアブラクサスも、この質素と言ってもいい内装におおよそ似つかわしくない出で立ちだった。

「今の私には”似つかわしい゛さ。しがない古道具屋の、一店員だ」

トム・リドルは元々整った顔立ちの美少年だった。不健康なほどに青白い肌すらもリドルの美貌を損なわず、ほっそりと長い手足は伸びやかだった。外見も中身も、何もかもが揃った少年。これ程までに全てが揃った人間を、アブラクサスは他に知らない。そしてこれ以上があるとは、思っていなかった。

──けれど今、目の前に立つこの男はどうだろう。

飾り気のないシンプルなスーツ。きっちり締めたワインレッドのタイ。学生時代より少し長めの黒髪とややこけた頬は、リドルの色香を引き立てた。足りないものなど何も無い。過ぎた月日は確実に、リドルの美貌を高みへと押し上げた。かつての少年の面影を脱ぎ捨てて、リドルは立派な青年へと成長していた。
吐息から色気が零れる。目線一つで心を奪う。寒気がする程凄絶なその美しさに、アブラクサスは人知れず感嘆の息を漏らした。

「暫くお会いしない内に、また一段と美しくなられた」

その言葉にリドルは柳眉を跳ね上げた。戯言を、と吐き捨てようとしたが、それすら面倒だと思ったのか、結局何も言わずに椅子に腰掛けた。アブラクサスも特に答えを求めてはいないのか、気にする様子も無く微笑みを深めただけだった。

「要件は? 」
「先日ようやく、学校の理事に任命されましたので、そのご報告に」
「家督に次いで、役割も継いだのか」
「ええ。父はまだ、現役でいたいようでしたがね……いつまでも当主の座に座られているのでは何かと都合が悪い。貴方様への支援も、これで思う存分行えるでしょう」

リドルが用意した紅茶をアブラクサスは受け取った。緩やかに広がる茶葉の香りを堪能するようにそっと目を伏せた。

「わざわざ此処を訪ねた理由は、それだけでは無いだろう? 」
「ええ。理事就任の挨拶に、ホグワーツへ行って来ました。教職員の入れ替えも今のところはありません」
「成る程」

相槌を打ち、リドルは頬杖をついてアブラクサスを見上げた。

「それで、ダンブルドアはどうしていた? 」
「変わった様子は特に。未だ校長の座にあるのはアーマンド・ディペットでした。ですが年齢から言って、そう遠くない内に校長職は他の者に譲るでしょう」
「そしてその座に就くのは、ダンブルドアか」
「……理事会の様子からしても、恐らくは」

カップとソーサーがぶつかり、小さく硬質な音を立てる。緩やかな波紋を立てて、紅茶がとぷんと揺れた。

「まあ、久方ぶりの懐かしの母校という事で少し城内を巡ったのですが……そこでふと、懐かしい名前を思い出しまして」
「……ほう? 」
「ライム・モモカワという名の……ほんの一時、滞在していた編入生の事を」

リドルの手が、止まった。アブラクサスは気づかない。ティーカップに口付けて、するすると紐解くように話は続く。

「そう言えば、その名を全く聞かなくなりましたね。いなくなった時は随分と騒ぎになりましたが……消息も終ぞわからず、身元も不明のまま。かつては貴方もあれ程気にかけて──」

びりびりと空気が震える。一陣の風が吹き抜けて、アブラクサスの言葉はそこで途切れた。耳を掠めた風圧で、はらりと数本髪が落ちた。

「っ……! 」

杖を構えたリドルの瞳。蛇のような瞳孔。その眼はぎらぎらと赤く、血のような色を湛えてアブラクサスを射抜く。
ひゅっ、と。アブラクサスは息を飲んだ。

「──その名を出すな。二度と」

ねっとりと、纏わり付く低い声。研ぎ澄まされた殺意が、鋭利な光と共にリドルの瞳に宿っていた。じっとりと嫌な汗が、アブラクサスの額を伝う。

「──申し訳、ありません」
「次は無い」

短くそう切り捨てると、リドルは椅子を引いて立ち上がった。慌ててアブラクサスもそれに倣うと、手元に外套と帽子が戻ってきた。無言で帰宅を促され、アブラクサスは自らの失言を悔いた。

深々と頭を下げて、アブラクサスは玄関を抜ける。外套の肩に、白い雪片が積もった。行きに降り始めた雪は、勢いを弱めて白い花弁のように静かに空を舞っていた。

「アブラクサス」

吐いた息が、白く煙る。振り返った先で、リドルは薄らと笑んでいた。

「前言を撤回しよう。名を口にするなとは言わない。ただ──」

暗い色の瞳が、さらに鮮やかな赤に染まる。その双眸を蛇のように細めて、リドルは笑う。傲岸に。

「──次にその名を口にするのは、その名を持つ者を見つけ出した時だけだ」

戦慄した。その静かな声に潜む感情の激しさに。瞳の奥の怒りに。激烈なまでの想いが渦巻く内心を、微塵も顔に出さないその精神力に。

「御意」

伏してそう、答えた。
畏怖。恐れ。憧れ。崇拝。全てが入り混じり、アブラクサスは震えた。
身体の震えは恐れだけによるものでは無い。この唯一無二の存在を見出した自分の慧眼と、使えられる喜びに、打ち震えた。

「My Lord」

熱を帯びた声で呼ぶ。
ヴォルデモート卿。主の名前。ゆくゆくは世界に轟き誰もが恐れ誰もが口にする事を憚るその呼び名。

全てを捧げ、使えるべき相手。それは後にも先にもこの御方だけだと、先ほどの言葉と共にアブラクサスは胸に刻んだ。


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