「はーじめくん」
「かんざきはじめくーん」
「あいえすびーえぬはじめちゃーん」
「だあああうっせー!俺の横に並ぶな!つかネタが古ィんだよ!」
一体何なんだ、この女は。
振り向いて、後ろを歩く城山に視線を送るが、逆に困ったような顔をされた。いや、困ってんのは俺だっつーの。何のための舎弟だよ、テメエは。
「あはは、はじめくん声でかいなー。そんな怒鳴らんでも聞こえるってー」
「その呼び方止めろっつーか帰れ、うぜーんだよさっきから」
「照れてんのー?はじめくんって案外かわいいとこあんじゃん」
「誰が照れてんだ、いい加減にしとけよクソ女」
普通の石矢魔の奴らならこのくらい言えば大抵は逃げ出すか必死に許しを請うてくる。はずなのに、目の前の女はニヤニヤ笑って俺の横をずっとついてくる。
「千春ちゃん、神崎君こう見えて照れ屋さんなんだからあんまり名前で呼んじゃだめだよー」
「分かってないなー夏目は、その照れてるところが見たいから呼んでるんだよ」
「ああ、なるほどね」
夏目は何故かこの女を気に入っているらしい。というか、この女が夏目に似ているのか。読めないというか気分屋というか。第一この石矢魔にいてレッドテイルに属していないこと自体がおかしな話なのだ。邦枝と仲が悪いわけではないのは、たまに話す姿を見るから分かる。なら何故、俺にまとわりつくのか。
「おい笹木、その辺にしておけ」
見かねた城山が、ようやく制止の声を上げる。遅えよとは思いつつ、とりあえずは感謝する。しかし、そんなことは全く気にしない様子でさらりと言ってのけた。
「城山ははじめくんに気を遣いすぎだよー、あれだけひどい目に遭っといてまだついて行くなんて正気の沙汰じゃない。窓から飛び降りろなんて言われたら普通は愛想尽かすよ」
城山が、息を飲むのが分かった。
この女、やっぱり気に食わねえ。立ち止まって、横に並んだ頭一つ以上小さい女の胸ぐらを掴んだ。
「人の古傷抉ってそんなに楽しいかよ」
「ありゃ、傷だと認識してんだね。そりゃそうか、あんだけ派手にぶっ飛ばされちゃね」
男鹿くんすごいよねー、一年生なのに。
ヘラヘラと覇気のない表情でなおもこいつは毒を吐く。いや、毒というよりも。
「はじめくんは、やられっぱなしで終わるような男じゃないでしょ」
「…お前、何が言いたい」
「あたしの言いたいことなんて、はじめくんはとっくの昔に分かってるでしょ。ただ、言わないことで自分にフタしてるだけ。そうした方が平和に過ごせるのを、はじめくんは知ってる」
これは、毒ではない。
「はじめくんは、いい男だよ。ほんと。だから、」
どうしたらいいかなんて、言わなくても分かるでしょ。
ヘラヘラした顔のまま、俺を見つめる目は、笑っていなかった。胸ぐらを掴んでいた手から、力が抜けていく。真っ直ぐに俺の目を見る眼差しから顔を逸らして、呟いた。
「…分かりにくいんだよ、お前のやり方は」
「何言ってんのさ、ここまでヒント出したんだから超絶やさしいでしょ、あたし。ほら、男ならどかんと一発、かましてきなよ」
そう言って、俺の背中をばんと叩いた。痛えよバカ。
「テメエに言われなくてもな」
傷ついたプライドに、妥協してしまえるほど俺は大人じゃねえから。負け戦?そんなの分かってる。それでも、ここまで言われて動かないようなら、それこそ男として失格だ。
「俺が男鹿に勝てたら、どうするよ」
「そん時は渾身の力で祝福してあげるよ、勝利の女神様が」
「うっせえよちんちくりんが、テメエが女神なんてタマか」
ふん、と鼻で笑って。
いってらっしゃーい、と笑う夏目と奴の声を背に、目指すは屋上。この時間帯なら、必ずいるはずだ。男鹿辰巳。
今なら、負ける気がしねえ。久々に、心から楽しい気分になった。