オレ、弱いからさ。
そう言って自嘲ぎみに笑う彼は、よく傷や痣をつくっていた。自分では戦えないから、やりかえせないんだと。
「オレ、強くなったよ」
「…ティッシュ鼻に詰めてるくせに何を。それ以前に大事なところが弱いと思うんだけど」
「見た目はこの際目をつむってくれ。重要なのはそこじゃない、あくまでオレに戦う力が手に入ったってのが大事なんだ」
大事なのは分かったが、両の鼻の穴にティッシュを詰め込んでいるせいで色々台無しである。元から台無しな男ではあったけど、ここまでとは。
「三木も神崎も姫川も、東条先輩にも勝てた。あと、ひとり」
どこか虚ろな目をして、古市は遠くを見る。あとひとり。そんなの、彼しかいないじゃない。
「…男鹿とも、ケンカするの」
「するよ。ここまで来たんだし。悪魔の、しかも柱師団の力が使えるんだ。男鹿にだって、今のオレなら勝てる」
その柱師団は、みんな男鹿に負けている。その事実には気付いているのだろうけど、あえて口にしないのか。そんなに、男鹿に勝ちたいのか。いや、そういう訳じゃないような気がする。
「これでオレも、強くなれる。アイツらに、もうバカにさせない」
遠くを見たまま、口元だけで笑う。
戦えない、喧嘩ができないということ。それは石矢魔高校に通う身では、学力がない以上に致命的な弱点となる。もともと勉強なんか毛ほども興味なくて、暴れるためだけに集まった者ばかりの中に、ぽつんと、彼は存在している。男鹿という絶対的存在がそばにはいるが、それはあくまでも男鹿が強いから手を出さないだけ。
「知将なんて呼ばれてるんだから、それでいいじゃない。喧嘩弱くても、あんたは弱くない」
「そう思ってたよ、オレも。けどさ、やっぱ違うんだ」
強くなくちゃ、守りたいものも守れない。そう言って力無く笑った古市は、力を手に入れたというのにどこか辛そうな顔だった。顔色もあまりよくない。その力は、彼が自らを代償にして得ているものなんだろうか、そう思えるほどに。
「…守りたいものは、守れそうなの」
「守れるよ。君と、オレのプライド。いや、プライドはどうとでもなる。君が守れる力が、今のオレにはある」
ちがう。
「もう、辛い思いはさせないよ」
ちがう。
「男鹿にも、頼らなくてすむ」
「ちがうの」
そう言って笑う古市を、これ以上見ていられなくて。あたしはうつむいた。古市が、あたしに背を向けて歩き出すのが、音で分かった。男鹿のところに、行くのだろう。その新しい力で、男鹿に勝つために。新しい力で、自らを、あたしを、守るために。
「ケンカできなくても、バカにされても、古市は強いの」
だって、いつだってあたしのこと、守ってくれるじゃない。そばにいてくれるじゃない。あたしのためって言って、たくさん辛い目にあっても、笑ってるじゃない。辛いくせに、痛いくせに、自分ばっかり、我慢して。
「もう、強くならなくていいから」
これ以上、強くなんかならないでいいから。辛そうに笑わないでいいから。
「あたしの、」
あたしの、そばにいてよ。
あたしの声は、小さく見えるほどに遠くへ行った古市には届くはずもなく。
あとには、小さくしゃくりあげるあたしの声だけが、残った。