シグナル




たった一度、夕焼けの綺麗な放課後のことだった。一度だけ、静雄は臨也とキスをした。振り向いた静雄の唇に、確かに臨也の唇が触れた。臨也の表情はわからなかった。彼はその後、笑いながら去っていってしまったから。ただそれだけのことなのに、一瞬のことなのに、静雄はいつまでたっても忘れることができなかった。





「臨也ァ」

今日も今日とて、臨也の周りには女がいる。甘ったるい声で臨也の名前を呼ぶ。昨日とも一昨日とも違う、今日は茶髪のロングヘアの女だ。臨也の腕に自分の豊満な胸を押し付けて歩いていた。

「臨也、あたし今日新宿行きたあい」
「うん、いいよ」

静雄はそれを教室の隅で聞きながら、なんだかもやもやした感じがし、屋上へ向かうことにした。廊下に出ると、思い出す。ああ、あの日も。そう、この廊下で、あれは確かに現実だった。帰り際…。静雄は頭を横に振り、階段を上って行った。もう一週間も前のことなのに。

(……馬鹿みてぇ…)

あの瞬間、臨也は確かに自分だけを見ていたような気がした。馬鹿馬鹿しい。今日も暑い日だ。だから、この顔が熱いのはそのせいだ。そのせいだ。




帰宅時間になり、生徒たちがばらばらと帰っていく。結局静雄は昼休みから授業をサボり、屋上にいた。
その中に臨也の姿はなかった。裏門からでも帰ったか。残念だ、今日も殺せなかった。

「…帰るか」

立ち上がり、階段を降りていく。形だけの鞄を取りに教室へ向かい、ドアを開けようと手をかけた。すると、カタンと中から音がする。


「…ん…、…いざや…」


微かに聞こえる女の声。どこかで聞き覚えがあった。静雄は思いきりドアを開けてやった。そこにはやはりというか、ああ、やはり。窓際で深くキスを交わす男女がいた。両方とも数時間前に見た顔だ。

「、…シズちゃん」
「……場所考えろよ」

チッと舌打ちをして、鞄だけ持ってさっさと教室を出る。バン、と乱雑にドアを閉めて廊下を歩く。今日も馬鹿みたいに夕焼けが綺麗だった。すると、後ろから声が飛んでくる。

「シーズちゃん。殴りかかってこないなんて、お腹でも痛いのかな?」

どのタイミングで出てきたのか、振り返ると案外近くに臨也がいた。女を放ってきたのだろうか。臨也らしい。そうだ、所詮その程度のものなんだ。静雄は何も答えなかった。

「…ご機嫌斜め?」
「……」
「みたいだね?こっちとしては願ってもみないことだけどね」
「…おまえ、本当に、…誰でもいーんだな」

臨也はきょとんとした顔をして、くす、くすくす、あははは!と笑い始める。静雄は臨也の顔を見ないようにした。臨也はそうっと静雄に近づいてくる。女の香水の匂いがして、静雄は顔をしかめた。

「うん、だって遊びだからね」
「……」
「シズちゃんもそうやって黙ってれば充分許容範囲だよ?」
「……」
「ああ、思い出した。そういえばこないだもここでキスしたね?…まさか本気になんてしてないよね、俺にとってみれば、ただの…」

言いかけて臨也は思わず口を閉じた。見たことがなかった。こんな静雄の表情を、見たことがなかったのだ。繊細で、どこか儚げで。夕焼けに金髪が反射して、美しい。一瞬だけ、泣いてるのかと思った。静雄は臨也を一度だけ見た。視線と視線がぶつかった。静雄はふっと笑う。今度は臨也が何も言えなくなってしまう

「まさか」
「…シズ、ちゃ」
「仕方ねえ、今日は見逃してやる。じゃあな」

静雄は軽く左手をあげると、早足で去って行った。臨也はぽつんと静かな長い廊下に取り残される。
名前も知らない女が自分を呼びに来るまで、臨也はただそこにいた。動けなかった。




(…馬鹿みてぇ。)

惨め。いっそ自分が女だったら良かったなどと考えてしまって、静雄はとうとう泣きそうになった。好きなんかじゃない。そう信じたい。でもこの胸の痛みは何?誰も教えてくれないの。





2010.05


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