BABY, Don't cry





「もう別れる」

君は泣かずにそれだけ告げた。俺は君を追わなかった。後悔しても遅かった。






静雄が泣いたところを臨也は見たことがなかった。いや、あるといえばあるが、あれは哀しくて泣いているのではなくて、快感に溺れて泣いていた。静雄は泣かない。溜まった涙をどこで流しているのか考えたこともなかった。

「誰が泣くか、おまえのためなんかに」

そう言って少し笑っていた。あの美しい瞳から零れ落ちる涙を想像したら、臨也は堪らなくなる。だからこそ、行動に移すのを止められなかったこともある。以前、臨也は女を適当に呼んできて、抱いた。静雄が部屋に来るのを知っていて、その部屋で抱いた。当然静雄はそれを目にする。

「サイテー野郎だな」

静雄はそれだけ言うと、手をポケットに入れて去っていった。ドアは壊れていなかった。次の日、静雄は特に変わった様子もなかった。泣かないのだ、やはり彼は。
だから今回もきっと泣かないのだろうと思っていた。別に今回は故意に見せようとしたわけではないが、金髪のとてもスタイルのいい女だった。とても愛らしい声で、「臨也さん」と呼ばれ、臨也は気分が良くなって、キスをした。静雄はそれを見て、言い放った。別れるなんて、初めて聞いた。







その翌日も翌々日も、静雄の姿を見かけることはなかった。静雄の上司である男は見かけたが、そこに静雄の姿はない。そしてやっとその次の日に臨也は静雄を見た。やはり変わったところはなかった。

「池袋には来んなっつったろうが」

口調も変わらない。突きつけられる眼差しも変わらない。

「…シズちゃん、あのさあ」
「てめぇの顔なんて、一生見たくもねえ」
「本気なの?」
「いつも本気だ」

言いながら彼は臨也に背を向けた。
その日は自販機もポストも投げなかった。まるで静雄でないようだった。臨也はまた、彼を追えなかった。








その次の日、臨也はたまたま静雄を見かけた。池袋の駅で見た彼は、どこか赤い目をしていた。ああ、泣いたんだ。そう思った。泣けたのか。シズちゃん、泣いたんだ。だんだんと苛々してくるのを感じて、誰に対してかと思えば自分に対してで。あんなに見たかった静雄の涙を想像すると、苛々した。そこで初めて、自分はとんでもないことをしたのではないかと気づく。

「………」

夜に彼の携帯へ電話をしてみたが、何コールしても出ることはなかった。当たり前か、と諦めて、シャワーを浴びた後も気になって、でもやはり彼は出ない。ため息をついて、星が広がる闇の中、臨也はマンションを出た。途中でコートを忘れたことに気づいたが、もう引き返す気は起きなかった。タクシーを拾って池袋へ出た。住宅街の中にある、2階建てのアパートでタクシーを降りる。1つの扉の前で立ち止まり、インターフォンを押してみる。

「……シズちゃん、」

彼は出てこなかった。しかし、中の電気はついていた。ドアノブを回してみると、開いていた。無用心だと思いながらも、そうっと中へ入ってみる。ついているのは玄関の電気だけで、ワンルームの部屋の中は真っ暗だった。

「シズちゃん。…俺だけど。入るよ」
「出てけ」

靴を脱ごうとした瞬間、暗闇の中から声が聞こえた。臨也は少し迷ったが、構わずドアを閉め、鍵をきちんとかけて、靴を脱いだ。いつも片付けられているキッチン周りに物が広がっていた。珍しい。臨也は部屋の中に足を踏み入れた。

「シズちゃん」
「出てけ、臨也。不法侵入だぞ」
「今更でしょ。…ねえ。……ねえ、シズちゃん、シズちゃ、」
「うるさい!!!」

臨也の言葉を遮るように静雄が叫んだ。臨也は電気をつけた。ベッドに寝そべってこちらを見上げている静雄がいた。その瞳からは大量の涙が溢れていて、臨也は目を見開いた。動けなかった。静雄は臨也と目が合うなり、またその涙の量を増やした。電気に反射して光りながら、それはシーツへと落ちていく。

「もういやだ。いやだ。いやなんだ、っ…好きでいるのも、なんで好きなのかも、ああなんで俺は、おまえを嫌いになれないんだろっ…っ、う、もう、もう、やめる。でも、もう、やめるっ。いくら女を抱いたって、俺は、よかった。だって俺に、俺にはっ、ないものを、おまえが求めるのは、許せた…っ、気にくわなかった、けど、だって、しかたねえ、からっ…。でも、キス、…決めてた、キスしてんのみたら、もう、やめるっ…って…。…いざや、…っ、っひ、う、…も…わかれる、…もう、…っ」

シーツは涙でびしょ濡れで、静雄の着ていたシャツも濡れていた。臨也はそろそろと静雄の傍へ寄り、ベッドに座る。手を伸ばして静雄の髪に触れようとして、叩かれた。静雄は臨也の背をげしげしと足で蹴った。痛くはなかった。

「シズちゃん、…別れるなんて、言わないでよ」
「うるさい、っ、出てけ」
「そんなに俺のこと好きなんでしょ。…ね、お願いだから。別れるなんて、言わないで」
「おまえのせいだ、…っ、おれは、…いやだ、わかれる、きめてた、」

臨也は上手い言葉が見つからなくて、ばっと静雄の上に覆いかぶさった。そうしてそのまま抱きしめた。静雄はとにかく抵抗して、臨也の頬を引っかいたりだのしたが、臨也は腕を離さなかった。

「、…っ、いざや、どけ、」
「どかない。…シズちゃん、あのさ、…ごめん」
「きかない、なにもっ…」
「ごめんごめんごめん、本当、ねえ、殴ってもいいから、」

ぺし、と軽い音がして、静雄の手が臨也の頬を打った。静雄の涙は止まらない。臨也はそれを人差し指でそっと掬う。それでもまだまだ溢れてきて、臨也は眉を寄せた。掬っても掬っても、まだまだ止まらない。

「シズちゃん、…泣かないで」

泣いて欲しかったのに、泣き止ませる術を臨也は知らなかった。自分は静雄の何を知っていたのだろうと臨也は思う。高校の時から見てきたのに、実際何も見えていなかったのだ。静雄のことなら何でもわかっているつもりだった。臨也は泣きそうだった。だがここで泣いたら駄目だと思って我慢した。

「好きだよ、泣かないでよ」
「…、おれは、もう、きらい…」
「俺は好きだ。シズちゃん、…シズちゃんの、中身も、外も、好きだからさ、シズちゃんが好きなんだよ、…俺はいつだって遅いんだ、ごめん。何度だって謝るから、」

臨也は静雄のシャツに顔を埋めた。静雄は臨也を決して抱きしめ返さなかった。けれど、足で蹴るのは止めた。殴るのも止めた。臨也の顔には小さな傷がたくさんできていた。

「…、…おいかけてこない、いつも…」
「勝手にシズちゃんが強いって思い込んでた」
「俺は、…っ、…あそびじゃない、」
「俺だって、……遊びなんかじゃない」

臨也は静雄を真正面から見た。臨也の下には、弱い弱い、ただ臨也のことを好きな、愛おしい静雄がいるだけだった。臨也は至極真面目な、真剣な顔で言う。



「愛してるんだ。…普通に君を、愛せばいいのに、俺は…。…シズちゃんがいなかったら、俺は、どうなってしまうかわからない。シズちゃん、俺の傍にいて。こんなに必死な俺を、俺は、知らない。一人、たった一人だよ、俺が、…俺が、こんなにも…っ」



ぽたりと静雄の頬に臨也の涙が零れた。それは静雄のものと溶け合って、シーツの中へ消えていった。



2010.06


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