朝はいつだって
すこし寂しい





静雄の朝は、小さなアラームのメロディから始まる。携帯に最初から入っている、クラシックのオルゴールだ。微かに鳴るそれに手を伸ばし、充電ケーブルに繋がれている携帯を開く。クリアキーを何度か押せば、メロディは止み、静かな寝室が戻ってくる。

「んん……」

携帯をベッドサイドに戻し、静雄はもぞもぞと身体を動かす。カーテンの間から射し込む朝の陽射しが静雄の顔に当たり、とても眩しかった。静雄は長く息を吐くと、ゆっくり起き上がる。

「……」

自分の身体に纏わりついていた腕が、行き場をなくしてぼさりとシーツに沈んだ。静雄はその腕の持ち主をちらりと見る。…隣にいるこの男は本当に静かに寝るのだ。寝息も微かだし、寝相も悪くない。切れ長の瞳は伏せられ、漆黒の長い睫毛が行儀よく纏まっている。

「……ねみーな…」

静雄はずれたシーツを男の身体に適当にかけると、自分はベッドを降りた。眠たい目を擦りながら寝室を出て、シャワーを浴びにバスルームへと向かう。さっぱりとようやく目が覚めて寝室をちょっと覗いたが、男の起きてくる気配はまだなかった。静雄はリビングのソファの上においてあった服の中から、ロンTとジーンズを引っ張り出して身につける。

『…の、移籍後初のスタメンで、』
『今日未明、新宿駅駅前で…』
『よーし、それじゃあみんなも一緒に踊ってみよ…』
『では今日の関東のお天気です』

大きい新品のプラズマテレビのリモコンを手に取り、順番にチャンネルボタンを押していく。丁度天気予報のコーナーであった番組が流れると、静雄はリモコンをテーブルの上に起き、ダイニングへ移動していく。広い部屋だ。昨日はこんなに広かっただろうか?

『今日はぽかぽか暖かい一日となるでしょう。4月中旬並の気温です』
「ほー」
『寒かった昨日とは打って変わって、コートも春物のもので良さそうです』
「春物か…どこ閉まったかな」
『ただ、夜から少し雨になる所もあるでしょう。折り畳み傘を鞄に入れておくと安心ですね』
「へー」

テレビの中のお天気キャスターの言葉に独り言を返しながら、静雄は冷蔵庫から牛乳を出す。グラスに注いで一杯飲み干して、牛乳を冷蔵庫に戻すついでに卵を二つ取り出した。ベーコンとレタスも同じく取り出し、キッチンの上に並べる。昨日のうちに買って揃えておいてよかった。静雄は慣れた手つきで料理を始めた。カウンターになっているキッチンからはリビングのテレビがよく見える。

『…以上、週間天気予報をお伝えしました』
『お次は人気のコーナー、主婦必見!の節約術をお伝えする…』

合間合間にテレビをちらちら見ながら、静雄は手際よく料理を進めて行く。元々一人暮らしの時から料理はしていたし、嫌いではない。料理の部分は静雄が主に担当しようと決めていた。

「…こんなもんか」

ただ一つ、一人暮らしの時と違うのは、味付けに気を配ることになったくらいだ。自分の好みが相手と一緒だとは限らない。まぁその辺りは、今までも何度か奴のために料理をしたことはあったので、そこまで深刻な問題ではなかったが。静雄がふんわりとした特製のオムレツをひょいとひっくり返した時、カチャンとドアが開いた。

「…おはよう」
「…おう」

静雄は顔を上げ、開かれたドアの方を見た。やっと起きてきた。見慣れた男の顔には、黒縁の眼鏡がかかっている。気だるそうに寝癖のついた黒髪をかきあげた。

「……どう?」
「…何が?」
「…キッチンの…使い心地は…」

まだ完全に目覚めていないらしく、壁に寄りかかって眠たそうに聞いてくる。静雄は頷き、オムレツを皿に移した。

「ああ、大丈夫。…顔、洗って来いよ、臨也」
「今から行く…つもりだよ」
「…眼鏡、似合わねえな」
「…これしかないの」

臨也はぼそりと呟くと、ドアを閉めて洗面所へと向かっていった。これまでにも、臨也と共に朝を迎えたことは何度もあった。だが静雄が目覚める前に臨也は一度もう起きていて、コンタクトを入れていることが多かった。

(あんな眼鏡、…持ってたんだな…)

臨也のことをまた一つ知る。…案外、似合っていた。素直に言えるわけないが。







それは自然な流れだった。というか、自然な流れを装った。臨也は何の躊躇いもなく言い放ったのだ。あれは一ヶ月ほど前だったか、臨也のマンションに泊まって、今日みたいに朝食を作ってやっていた時だった。

『もっとずっと、シズちゃんといたいな』

朝目覚める時に、傍にいると幸せだと言う。キッチンに立つ後姿が好きだと言う。君を前にして食べる朝食は特別だと言う。その言葉たちに、静雄は適当にそうかと返した気がする。

『シズちゃんも、同じ気持ち?』

だったらきっと上手くいく。ね、同じ気持ち?…この言葉には何と返したのだっけ。気がつけば臨也はどっさりと都内のマンションのパンフレットを貰ってきていて、二人の同棲計画は始まり、現実になった。

(……まだ、実感ねえけどな)

長く恋人同士だった二人だ。お互いの家に泊まることは多かったし、それなりに一緒にいる時間も長かった。だが、これからはいつも同じ空間にいるのだ。いないのが当たり前でなく、いるのが当たり前になる。静雄は食パンをトースターに二枚入れた。

「ふー、よく見える見える」

気がつくとすぐ後ろに臨也が立っていた。どうやらコンタクトも既に入れてきたようで、機嫌よさそうににこりと笑っている。静雄はダイニングのテーブルを指差した。

「パン焼けるから、待ってろ」
「うん。…あ、昨日も言ったけど、今日俺9時半には出るから」
「…ああ」

静雄は自分のコーヒーにミルクと砂糖を入れ、臨也のものはそのまま出した。テーブルの上には静雄が用意した朝食が並ぶ。そのうちにパンが焼け、静雄は一枚取って先に臨也に出してやった。

「ありがと」
「のろのろ食ってたら、間に合わねえぞ」
「そうだね。いただきます」

同棲一日目から、臨也は大事な仕事が入っていた。静雄は休みで、丁度いいからまだ段ボールに入ったままの物の整理でもしようと思っていた。静雄も自分のパンを皿に乗せ、臨也の向かいに座った。いただきますと呟き、フォークを手に取る。

「…ねー、シズちゃん」
「ん?」
「…あんまり機嫌、よくない?」
「…そうか?」

臨也は少し困ったように笑ってみせた。そんなつもりはなかったのだが、臨也にはそう見えたのだろう。静雄は首を振り、少し笑ってみる。

「何ともねえけど」
「…同棲のこと、君は何も言わなかったけど。…いや、こんなの今更かもしれないんだけど、シズちゃんはあんまり」
「…んなことねぇよ」

正直な話、嬉しかったのだ。臨也の気持ちが、決して嘘ではないということを知った。いや、疑っていたわけではないのだが。臨也は「そう」とだけ呟き、食事に集中し始めたようだった。静雄はテレビを見つつ、パンをかしりと齧った。

(…満たされてるのは、間違いないが…)

この、言葉に言い表せないような気持ちは一体何だろう?以前も感じたことのある、この感じ。外はいい天気、目の前には確かに臨也がいるのに。






「それじゃ、いってきます」
「…おう、」

静雄は壁に肩をつけて寄りかかり、腕を組んで呟いた。チャコール色のスーツに身を包んだ臨也は、革靴の紐を丁寧に結び直して立ち上がる。そして静雄の顔を見て、ふっと笑った。

「ああ…そういうこと」
「…はあ?」
「なるべく早く帰るよ。…シズちゃんの好きな、そうだな、ケーキでも買ってくるね」
「……ああ」

イチゴのってるやつな、と静雄はぼそりと告げておいた。臨也は頷くと、そっと手を伸ばして静雄の腕を掴む。そしてちゅっと軽く唇の端に口付けた。

「、…なんだよ」
「早く帰ってきたいな」
「…まだ行ってもねえぞ?」
「…シズちゃんが待ってるって思うと、なんだか一日が幸せになれるね」

だからそんな、寂しそうな顔をしないで。臨也は静雄の髪を撫で、うなじから首筋へ細い指を流す。静雄は思わず臨也から視線を逸らした。全て見透かされたような気がしたのだ。静雄は小さく呟いた。

「……当たり前が、…当たり前じゃ、なくなる」
「うん、…」
「…一人って、…広いんだな」
「すぐに帰ってくる。…外にいても、君のことを想ってるよ」

臨也は名残惜しそうに静雄から手を離す。静雄はその手をばっと取り、ぐいと顔を近づけ、止めた。静雄からもキスをしようと思ったのには違いなかったが、静雄はゆっくり身体を離した。

「…キス、してくれないの?」
「…帰ってきたらな」

静雄は臨也の手を離し、軽く胸の前でそれを振った。臨也は苦笑して、「楽しみにしてるよ」とドアを押した。ああ、そうかと静雄は気がつく。こんな気持ちになるのは、いつも決まって朝だった。おまえと別れる時だった。

「…ああ。俺も、楽しみに…待ってる」
「……やっぱ、ケーキは今度でもいいかな?」

寄り道せず、すぐに君の元へ帰ってきたいから。静雄は頷いて、「いってらっしゃい」ともう一度手を振った。



201104
企画サイト「角砂糖をみっつ、ティータイムに」様に提出させていただきました。



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