妹は僕の宝物
後編





「…臨也、悪かった。謝る」

門田はため息と共に臨也に頭を下げたが、臨也は机に顔を突っ伏していてそれを見ることはなかった。新羅が腕を組み、臨也の肩をぽんぽんと叩く。

「ねえ、もういい加減にしなよ臨也。そんなんじゃ湿っぽすぎて、君にキノコが生えるよ!」
「……」

臨也は一向に顔を上げようとしない。登校してきてからずっとこの調子だ。ずううんと臨也の周りには黒い縦線が何本も引かれているようだった。明らかに空気が違う。

「…だから、臨也、謝る。俺が余計なことを、」
「…ドタチンは悪くない…むしろ…知らせてくれて…ありがとうと言うべき…」
「臨也…今朝から妹ちゃんに何か言われたの?」
「………何か言われたなら…まだマシだった…」

ぼそぼそと臨也がやっと喋り始める。昨日、妹である静雄とどこの馬の骨ともわからない男の一緒にいる場面を見た上に男の本性を知り、臨也はブチ切れた。だが暴れるとかそういうわけではなく、男の頭の上から熱々のコーヒーをぶちまけてやったのだ。ここまではよかった。

「…シズちゃん……」
「…重症だな…」

その後事情を知らない妹に殴られ、家に帰ってからも無視状態が続き、朝になれば解消されているかと思いきや…二人で暮らし始めて、こんなに無視されたのは初めてだった。朝も会話なく、妹はたった一言「今日は歩いていくから」と早々と家を出て学校へいってしまったのだ。臨也は涙目になりながら、ふらふらとバイクで一人で登校した。事故を起こさなかったのは奇跡かもしれない。

「言えばよかったじゃない、違うんだって。あの男は妹ちゃんのことをさ、騙そうとしてたんだって!」
「何度も言おうとしたけど…シズちゃん…俺の話なんて聞いてくれな…」

じわ…と臨也の瞳にまた涙が浮かんできたのを見て、新羅も門田もため息しかつけない。高校のプリンス、去年の文化祭ではミスターコンテストで1位を獲得した、全校生徒憧れの男・折原臨也のはずだが。周りにいる女子生徒たちは彼がシスコンだという事情を知らないため、「臨也くん…何かあったのかな?」「かわいそう…」とたくさんの視線を送ってきている。

「でも、さすがにもう一日たつしねえ、」
「…家に帰るのが…こわ、い…」
「今日は君が夕飯でも作ったほうがいいかもね…」

次の時間のチャイムが鳴り、ざわざわと教室がイスの音やらで騒がしくなる。新羅も門田も自分の席に戻ったが、教室後方からどんよりした空気が背中にまとわりつくようだった。






「き…昨日は、ごめん。うちの兄貴が、」
「え、あ、ああ、気にしてないよ!」

静雄はしゅんとしながら、昨日一緒に放課後を過ごした男に頭を下げた。男ははは、と乾いた笑いで返す。どこか落ち着かない様子だった。

「熱かったよな…その、…うちの兄貴、私のことになると、後先考えないから、」
「いや、…大丈夫だよ。いいお兄さん、じゃない」
「…そう言ってもらえると、その…安心した、」

静雄はふわりと微笑んだ。男はどこか胸の高鳴りを感じる。そんなことを静雄は知らず、言葉を続けた。

「えっと…それで、でもやっぱ悪いから、…今日今からどっか寄って、何か奢らせてくれないか?」
「え?あ、いや全然大丈夫だよ、そんな…そ、それに今日、俺ちょっと用事あるんだ。また今度…一緒させてもらっていいかな?」
「そ、そうか。じゃあ、また都合のいい日に…」

またあの兄が出てきたらたまったもんじゃない、と男は慌てて首を振った。だが、せっかくの静雄の誘いを最初からズバッと断ってしまうのも勿体無い。また少し間を空けて、今度デートに改めて誘おうと考えた。静雄はにっこり笑い、「それじゃ、また明日」と手を振って教室を出て行った。男はぼおっとそれを見送った。静雄は学校を出ながら、スーパーに寄ろうとしてはっと気づく。

(そういえば、…今日、発売日だっけ。駅前の本屋、ちょっと見ようかな)

静雄の好んで読んでいる小説の最新シリーズが今日発売だったのを思い出す。この辺りで大きな本屋は駅前まで出なければないので、静雄は足を駅前へと向けた。暫く歩きながら、今日の朝のことを思い出す。…兄の臨也はなんだかずっと泣きそうな顔をしていた。

(…兄貴、…ちょっと、無視しすぎたかな。でも、いきなりコーヒー、…あれはないよな。私の友達なのに、)
「、おい!」

後ろから呼び止められ、自分かと思わず静雄は振り返った。そこには見慣れた制服に身を包んだ男子生徒が立っていた。兄と同じ制服だ。そういえば、どこかで見た顔だった。

「折原…臨也の妹、だよな?」
「え、あ…そうですけど」
「俺ぁ門田だ、臨也のクラスメイトの…何度か臨也といる時会ったな」

ちょっと時間いいか、と門田は近くにあったファーストフード店を指差した。静雄はこくりと頷く。店に入ると、門田はコーラとシェイクを注文し、シェイクの方を静雄に渡した。

「あ、」
「奢りだ。…好きなんだろ?シェイク」
「ありがと、ございます。…どうして、好きだって、」
「臨也が言ってた。あいつ、学校でもシズちゃんシズちゃんばっかだからな」

窓際の席に座りながら門田は苦笑する。静雄はなんだか恥ずかしくなって、いただきますと呟くとすぐにシェイクを口に含んだ。門田は自分のコーラを一口だけ飲んだ。

「…いきなり悪かったな。…つーのも、今日なぁ、臨也が…」
「……落ち込んでましたか?」
「相当な。…実は、おまえが昨日あのコーヒー屋にいたっていうのを、臨也に教えたのは俺なんだよな、」

だからちょっと、一応責任っつうか、と門田は呟く。静雄はきょとんとしながら話を聞いていた。

「それで臨也は、…あいつの話を聞く限りだけどな、おまえと一緒にいた男が、おまえのことを騙そうとしていたらしい」
「…え?」
「おまえを使って遊ぼうと、…まあ、危険な目にあってたかもしれねえわけだ。臨也はそれを偶然聞いて、…頭に血が上ったんだろうな」

静雄はがじ、とストローを噛んだ。知らなかった。考えもしなかった。だって、クラスメイトのあの転校生は、とても笑顔で自分に接してくれた。まさか、そんなことを考えていただなんて。

「…でも、…兄貴は、一言も…」
「うーん…上手く言うタイミングがこう…合わなかったんだろうな、おまえと。だから、臨也はそういうわけで、コーヒーぶちまけたらしいんだよ。俺も現場見てねえからわからないけど、」
「……」
「あいつは本当、おまえのことを大切にしてんだ。だから、そろそろ、ッッあづ!?!」
「門田アア…」

はっとして静雄が顔を上げると、門田のすぐ後ろに臨也が立っていた。その手には昨日と同じく熱々のコーヒー。数滴既に門田の首筋に垂れており、門田は慌ててその部分へ冷たいコーラの容器を当てる。

「、臨也かっ!何すんだ熱いだろうが!!」
「うるさい!俺の大事な妹に何してんだ!」
「何もしてねえよっ、ていうかおま、どっから来た!?いきなりクラスメイトに、何し、」
「窓から見えたんだよ!クラスメイトとかそういうの関係ないから、野蛮な男はどっから沸いてでてくるかわかったもんじゃないから!」

どうやら昨日の今日でも反省してなかったらしい。というより警戒心を強めてしまったようだ。だが静雄と目が合うと、はっとしてすぐにコーヒーを門田の頭上から退けた。

「、し、シズちゃん…その、」
「兄貴」
「あっシズちゃん一日ぶりの『兄貴』呼び……じゃなくて!その、昨日より、コーヒーは熱くないから!大丈夫!」
「いや基準わかんねえから、大丈夫じゃねえから…」

慌てる臨也に門田が突っ込むが、臨也の耳には届いてないようだ。一体静雄の口からどんな言葉が出てくるのか、『大嫌い』の類いだったら臨也はもう立ち直れない。

「シズ、ちゃん…?」
「…ご…ごめんなさい…」

俯いた静雄の口からぼそりと出た言葉に、臨也はぴたっと固まる。静雄はぎゅっとスカートの上で拳を握り締める。

「あ、あいつが、そういう風に…私を思ってたなんて全然知らなくって、…兄貴が、ただ単に、私の友達にコーヒーをと思って、」
「……」
「兄貴は、…私を、私のことを、心配して…」
「…、…いや、…俺も、その…よく考えなくて、気づいたらコーヒーを、…シズちゃんが謝る必要ないから、ねっ」

臨也は優しく明るい口調で静雄の頭を撫でた。門田はやれやれといった感じで席を立つ。臨也は「ドタチン、明日、何でも奢ってあげる、奢らせてください」と呟いた。門田は何も言わず片手を上げると、そのまま店を出て行った。臨也は門田が座っていた、静雄の向かい側の席に座る。

「…ごめん、本当に、兄貴、」
「ううん、いいんだよ。俺も勝手なことしてごめんね、……シズちゃんが大事でさ、…たった一人の、俺の妹だもの」

にっこりと微笑めば、静雄も少し顔を上げて笑った。よしよしともう一度頭を撫で、夕方の空を窓から見ながら言う。

「今日の夕飯、俺作るね。シズちゃんの好きなものばっかにしよう」
「、いいのか?」
「うん。いつもありがとね、シズちゃん。…一緒に買い物行って、帰ろっか」
「あ、ちょっと本屋寄りたい」
「オッケー、いいよ」

静雄がシェイクを飲み終わると、二人は店を出た。駅前の大きな本屋のビルまで歩こうとすると、静雄がくいっと臨也の腕を引いた。

「、なに?」
「兄貴、…ありがとう」

こてんと頭を肩の辺りに寄せられ、臨也は思わず頬が緩む。でもコーヒーは熱いから今度からやめてな、と耳元で言われ、臨也はこくりとしっかり頷いた。




201011

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