▼ ★6-1
Heart Throbs
6.決意と理由 1
堂島家での楽しい晩御飯が終了し、莉里は家に戻ってきた。時刻は大分遅くなりつつあって、帰る道程、悠と風呂上りの遼太郎とが送っていこうかと莉里を案じてくれたが、莉里はすんなりと――「大丈夫です、すぐそこですし雨も降ってますし」と断りを入れて、帰路に着いた。
危惧するようなことは何も起こらず、莉里は無事に家に入って、真っ直ぐではないがすぐに風呂を済ませて、『マヨナカテレビ』の放送されるであろう零時を待った。
零時が近くなると、それまで騒がしく深夜のバラエティ番組を流していたテレビの電源を落とす。不安に押し潰されそうになるけれど、莉里は夕食の片付けをしていた時の悠の言葉を思い出す。
『みんなが頑張ったんだ。救えるって、信じよう』
既に寝巻き姿になっていた莉里は、ソファの上に腰を下ろしていた。そして、祈るようにぐっと手を組みながら、待機する。
悠や陽介の話だと、現実世界で霧の出た日に放送されるマヨナカテレビでは、被害者の苦しむ姿が流れるのだという。雪子もそうならないように、テレビの中の世界で莉里達は頑張った。頑張ったのだが、それでも、一抹の不安というものは心の隅で鈍く光っているものだ。
そして、とうとうその時刻がやって来た。時計の針――短針、長針だけでなく、秒針もが、頂点に到達して揃うのを、莉里は見た。
マヨナカテレビには誰も映らない。
天城雪子を救出したことで、犯人の今回の犯行を阻止できたようだ……。
莉里はほっと胸を撫で下ろした。本物の雪子を助け出したのだから、当然か――と思って、莉里は僅かな微笑を零し、就寝すべくベッドルームに向かうのだった。
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四月も終わりの、三十日。天気は晴れで、昨日の晩の霧などはどこへやら。
すっかり新緑の萌える緑の多い季節になったなと、自然豊かな稲羽市の景色を眺めながら、莉里は鮫川の土手を歩いて登校していた。すると、土手の上で立ち止まって川を眺めている青年が居ることに気がつく。莉里が見間違えるはずもなく、その青年は鳴上悠その人だった。
「おはよう、鳴上くん」
「ん、ああ。天柄か」
おはよう、と悠も返してくれる。けれど、すぐに彼の視線は川の方に向けられる。熱心に川を眺めている悠に、莉里は首を軽く傾げながら、問い掛ける。
「そんなに熱心に川なんか見て、何かあるの?」
「いや、あの辺りなら、釣りも出来るかなって……」
悠がそう告げるので、莉里も「あの辺りなら」と言う場所を彼と一緒にに眺める。なるほど、確かに川にせり出した堤防があって、あそこならば川に入らずとも、その流れの中ほどまで仕掛け針を落とせそうだ。莉里はパッと見て「そうだね」と頷いた。
「鳴上くん、釣り、得意なの?」
「いや……そういう訳じゃないけど。釣りってのは、自然豊かな場所ならではの娯楽だろ」
「そっか。確かに、ここの川は綺麗だし、魚も沢山いそうだしね」
二人はそうして、釣りだとか、釣った魚の調理法だとか……そんな他愛のない話をしながら登校する。校門前に差し掛かると、見上げた桜の木はすっかり緑色になっていて、若い芽が葉となり茂っている。桜を咲かせていた頃とは違う清々しい印象を与えてくる。
その木の下に、莉里と悠はとても鮮やかな色を見つけた。ぱっと目に飛び込んできた赤いカーディガンだ。そのカーディガンを羽織っている、黒髪もすらりと真っ直ぐに伸びた美少女は、莉里達がついこの間にテレビの中の世界から救い出した彼女――天城雪子だった。
雪子はこちらを窺うように見てくる。どこかおどおどしている彼女に、莉里と悠は「なんだろう」と思う。けれど、雪子を気にかける気持ちは、二人とも変わらなかった。悠と莉里は互いの顔を見合わせてから、雪子の方へと向かって歩いていく。
すると、勇気を振り絞ったように、雪子の方からもトトトッと駆け寄ってきた。雪子は、二人に喋りかけて来る。
「お、おはよ」
「天城さん、おはよう」
莉里は軽く笑いかけながら挨拶を返す。悠も「おはよう」と声をかけてから、彼女に問う――。
「体調、もう大丈夫?」
「う、うん……今日から学校、来るから……よ、宜しくね」
雪子の顔に、微笑が浮かぶ。けれど、すぐに彼女の表情は曇ってしまう。
「なんか、みんなに、すごく迷惑かけちゃったよね。ごめんね…………ううん、ごめんじゃないや。……"ありがとう"だよね」
謝る彼女に「そんなことない」と、莉里達が言うより先に、雪子は「ありがとう」と言い直す。明るい表情をした彼女に、莉里と悠も自然と明るい気持ちになった。
「旅館の方なんだけどね」
雪子はおずおずと喋り出す。
「お母さん、その……山野アナの件で倒れちゃったんだけどね、もう仕事に復帰したの。仲居さんたちもすごく協力してくれて、何だか前より、上手く回ってるみたい」
悠と莉里は、静かに雪子の話を聞く。雪子は、自分の気持ちを吐露するように続けた。
「私、無理してたのかな……何でも自分がやらなきゃって、思い過ぎてたのかも。あれから、自分のこととか……少し冷静に考えられるようになったと思う。皆のお陰だね」
嬉しそうに頬を染めている雪子に、慌てて莉里は口を開いた。
「ううん、私達は、そんなに大したことはしてないよ」
「天柄の言う通りだ。俺達は少し手助けをしただけで……乗り越えたのは、天城さん自身の力だろう」
「そ、そうかな」
照れ笑いをした雪子は、確かに自分でも、自身の力で乗り越えられたと感じていたのだろう。どこか心なしか嬉しそうに見える。
「で、でも、なんだか恥ずかしいな……自分でも見たくないと思ってた事、みんなに見られちゃったし……」
「それは、気にしなくていい」
「うん、誰にだってあると思うから、気にしないで」
「二人とも……あ、ありがとう……」
やはり、雪子は笑っているほうが美人だ――なんて、こう真面目な場ではなかなか言えないが、莉里は確かに思っていた。雪子のうれしそうな表情を見て、莉里も悠も、顔を見合わせてにっこりと微笑んでいると……学校へ繋がる坂の下、後ろの方から大きな声が聞こえた。
「雪子ー!」
「あ、千枝」
雪子の名を呼ぶ底抜けに明るい声を受けて、雪子の声色も明るく響く。莉里達も振り向けば、そこには坂道の下の方から手を振って、こちらの方に登ってくる里中千枝の姿が見えた。朝から千枝ちゃんは元気だなー、と莉里が思っていると、雪子は「それじゃあ」と言う。
「じゃあ、また後でね」
坂を下って、坂を登ってくる千枝の方に歩いていく雪子。黒髪なびかせる雪子の背を見ながら、莉里は思う――本当に、救えてよかった――と。
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2014/10/11
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