小説 | ナノ 救済


気絶、というのは案外短時間で目覚めたりする。
ぼんやりした感覚は一瞬だけで、一秒後には体の痛みが襲ってくるのだ。ああ、リアルだなとがっかりして、早く病室にいかないとと唸りながら仰向けになった。
「っ!!」
ーー目の前に、車いすに乗る松子とそれを押す男が立っていて、その衝撃と痛みで吐きそうになる。

「……何をしてる」
神経質そうに目を細めて男が言った。そっちこそ何してんだよ。ついそんな言葉が出そうになって唇を噛む。上体を起こしてよく二人を見ると、松子の顔は青白く、男の手には看護師の血が付いたまま。

自分に害がなければ特に興味もないのか、溜め息をついて男は車いすを押して通りすぎていく。こそこそしていたのが馬鹿らしく思えるほど無関心で清々しいほどだ。隣に自分が刺し殺そうとした看護師が倒れているのに。
それが妙に悔しくて右手を強く握ると乾いた血で皮膚が突っ張った。

静かな廊下にはカラカラ、カラカラと軽い音がこだましている。松子の入院着がタイヤに当たっているからだ。
男はそんな音が心地よいのか、車いすを押しながら松子の頭を撫でた。愛でるように看護師の血がついた手で。
私を殺すこともなく平然と立ち去る姿には余裕すら感じる。松子を手に入れたことで欲求が満たされたのか、爪を噛んでいたあの時とはまるで別人の顔つきだった。

「……っ」
突然帯の中で携帯電話のバイブが鳴った。
山崎からの返事だ。
『沖田隊長が行くから、絶対に無茶なことはしないで。怪我しないように隠れてるんだよ。このあと他の隊士も応援に向かうから』
なんか、むかつく。
なんでみんな口を開けば隠れてろとか、大人しくしてろとか何もするなとか言うの。私が無鉄砲だからか?そんなこと言われなくても分かってるしそう出来ないことだって分かってるくせに。それすら見透かしている感じがさらにむかつく。


「あの、」
声をかけるとカラカラという音が止まって、静かになる。
「その人の怪我、治しましょうか」
「……何を言ってる」
「私なら治せますよ、その足も臓器も痣も」
男は鼻で笑ってまたカラカラと音をたてて車いすを押していく。
「愛する人が痛みで苦しむのはあなたも辛いでしょ」
「馬鹿馬鹿しい」
別にいいさ。好きなだけ馬鹿にすればいい。


立ち上がってゆっくり壁に手を付きながら後をつけると、始めは気にもしていなかったが、エレベーターに着いたところで段々と苛立ったように振り返り、とうとう一人でこちらに歩いてきては捲し立てた。
「お前が何をしたいのか知らないが僕らに構うなよ!これ以上近づくならお前もあの馬鹿な看護師のように殺すぞ!」
「私はただ、その子を助けたいだけです」
「助ける?何からだ?知らないようだから教えてやるが僕らは恋仲なんだ。僕らは傷ついて搾取されてボロボロになりながら支え合って生きてきた。松子を連れていくのは、二人で穏やかな所で暮らすため、お前に助けてもらわなくとも僕がこれから松子の苦しみを取り除いて救ってやるんだよ!」

なら何故エレベーターの最上階を押したんだ。
「死ななくたって、世界は変えられると思いませんか」
「死ぬなんて一言も言ってない」
言わなくたって、顔に書いてある。

男の腹を思い切り蹴って、うずくまるその体を圧せば簡単に床に転がった。その間に逃げてしまえと車いすを引いて方向を変えた。が、勢いよく男が後ろから覆い被さってきて体がガシャンと車いすにぶつかる。その拍子に車いすが勝手に進んでしまった。
「ちょ……んん!」
「やっぱり見つけた時に殺しておけば良かった」
男は私を殺すことに夢中で気づいていない。車いすの進行方向に階段があることを。首をホールドされながら手を伸ばすも届くはずもない。声も出ないから伝えることも出来ない。
車いすはなかなかの勢いを保ったまま、絶対落ちると分かる速度で走っていく。

マジでふざけんなこの男。

ありったけの火事場の馬鹿力をかき集めて男の爪先を踏んだ。折れたかもしれないけど、そのくらい死ぬよりどうってことない。人を殺しておいて痛みに悶えるな。

再びうずくまる男の頬を思い切りひっぱたいてから立ち上がる。それでようやく事に気づいた男が叫んだ。
「松子!!松子!!」
死ぬつもりなくせしてなんでそんなに必死になるの。
その声から分かるのは、愛しているんだなということ。苦しくて嫌になりそうなほど歪んでいるけど、愛している。

十分苦しんだなら、今度は幸せになるために必死になればいい。生きて世界を変えてほしい。

そんなに何かに、誰かに必死になるほど、私は人生を生きたことがないから少し羨ましいと思った。




重い体で足を動かし走ってみる。案外速く走れたしこれはいけると思ったけど、やっぱり車いすの方が速くて、もうしょうがないなと思いっきり手を伸ばした。松子の首もとを掴み、ガクンと足先が宙に浮く。そこからは本当に一瞬でものすごい音をたてて松子も私も車いすも階段の踊り場に転がった。

「う、あ、っ」
足の上には車いすが乗り、胴体には松子がいる。
頭からひやっとした何かが流れて呼吸も思うように出来ない。足は多分折れた。

松子は意識を失ったままだ。彼女の頭からも血が出ていて、右手で松子の体に触れる。彼女の折れた足の骨や傷ついた頭や内臓の痛みが伝わってくる。ああこれ自分死ぬかもなって思ったけどそれでも手は離せなかった。


「離せェ!」
また男が騒いでいちゃもんつけてきていると思いきや、階段の上で誰かに捕まったのか、抵抗する言葉と松子の名前を叫ぶ声が聞こえた。それと、すぐ近くでもう一人。
「居たぞ」
「こいつ縛り上げたら行きますんで旦那行って下せェ」

体にのし掛かる重みが少しずつ軽くなる。車いすがガシャンと遠くへ投げ飛ばされて、松子が抱えあげられていく。
「お前……」
松子が抱えあげられたことで右手がボトっと床に落ちる。それを見て、銀時は察したようだった。
今度は私を優先して運ぼうとするから、やめてと言った。
「その子から……上にも、看護師……輸血しないと……」
銀時は苛立って舌打ちをした。

話しながらずっと涙が止まらなくてなんなんだろうと思う。お願いだから早く行ってほしい。見ないでほしい。
松子を抱えて階段を上がっていく背中を見送ると、やっと体の緊張がとれた。指すら動かせないほど弛緩した。なのに涙だけ止まらない。涙腺崩壊だ。

「鼻水垂れてんぞ」
「……」
戻ってきたと思ったらどこからか持ってきたタオルで顔をぐしゃぐしゃに拭われて、どこからか持ってきた板とあろうことかそのタオルでおかしな方向に曲がる足首を固定される。
「うあ!!くっ……そ!」
「クソは便所でしましょうねー」
罵倒してやりたいのに言葉が出ない。

そうしているうちに応急処置も済んだようで背中と膝裏に手が差し込まれる。だがそれだけで吐きそうなぐらいの痛みが全身に走った。
「待って、待ってください……本当に、無理、痛くて」
声にならない声で言うと、銀時は待ってろと言ってまた階段を上がっていく。

そして何かを持って戻ってきた。
「超強力馬もイチコロの痛み止めもらってきたぞ」
イチコロってなんだ。
「それ、死にませんよね」
錠剤を取り出すと花子の口に入れコップの水も入れられた。本当に痛み止めなのか怪しいがゴクリと飲み込む。錠剤が引っ掛かり顔をしかめるとまた水を注がれた。
仰向けで水を飲むのは難しい。口の端から水がツーっとこぼれると、銀時がそれを指で拭いながら言った。
「……エロいんだけど」
この人馬鹿なのかな。


五分ほど経った頃か、本当に超強力だった痛み止めが効き始めると同時に眠気が襲ってきた。
「……かた、さん」
「効いてきたか」

抱えあげられても痛くもなく、階段を上がってストレッチャーに乗せられた。ぼやっとしているが他の看護師や医師が応援に駆けつけて慌ただしくなっているのが見える。

そのなかに、あの看護師がいた。
同じくストレッチャーに乗せられて輸血をされている。
血まみれの白衣に血だまりの廊下、この出血量で生きているなんて奇跡だと誰かが言っていた。

松子も目を覚まし、車いすの上で医師の診察を受けている。
あの男もぐるぐるに縛られているが、松子をチラチラと見ながら真選組の尋問を受けている。


ふと思う。あの時交差点でもっと必死になっていたら、私の人生はどう変わっていたのだろうかって。男の子を助けた後、私はあの世界でどう生きただろう。
きっと、何も変わらなかったと思う。
ただ呼吸して食べて寝て、毎日を繰り返すだけ。
もっと自分の人生を生きればよかった。

そう、あの男にも松子にも思って欲しくない。と、思う。生きて世界を変えることがどれほど勇気がいって大変なことなのか、本当の意味で私は理解していない。経験がないからだ。口先だけの説教だ。私は銀時のように心まで救うことは出来ない。

そう考えていると銀時がぽつりと言った。
「おめーが居なかったら、死人が出てた。誰も死ななかった、それだけで十分だろ」

何をごちゃごちゃ考えてんだと言われているようで恥ずかしくなる。口に出てたのかな。

「花子」
「……はい」
「頼むから、お前は生きててくれよ」





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