小説 | ナノ 犠牲


車のヘッドライトを点ける時間はとっくに過ぎて、表の通りから明るい光が差し込んできた。銀時が店に入ったあとすぐに開店した建物には、普通のサラリーマンやお偉い風の中年男性、私とそれほど歳の変わらない青年も入店していった。
どこにでもいるような普通の人達。あの中にも、彼女らに暴力をふるっている奴がいるのだろうか。

未だ路地で突っ立っていると、しばらくして店の小さな窓ガラスから煙が見えた。続けて女性の悲鳴が路地に響き渡る。始まったんだ、合図が。

声を聞いて野次馬が集まるのではないかと思ったが、反応する人はいても様子を見に来ようとする人は一人として居ないことに気づく。関わりたくないから、巻き込まれたくないから皆視線を一瞬寄こすだけ。
なんか、私がいた世界みたいだ。と頭の片隅で思った。

「なにかあったんですか?」
ふと隣で立ち止まった男が声をかけてきた。店の中の様子は窺い知ることは出来ない。ようやく表れた親切な野次馬には失礼だが「さあ、なんでしょうね」と返事をすると、カチ、カチと軽い音が男から聞こえて視線を向ける。
高そうな着物にきちんとそろえた髪型、どこかで見たような気もするが、男の容姿ではなくその行動のほうに意識が持っていかれた。

一点に店を見つめたまま、カチ、カチ、と爪を噛んでいたからだ。欲求不満の子供がするように。癖、というよりストレスを無理やり抑え込もうとしているみたいで、目が合うと取り繕うようにそれを止め、踵を返して路地を抜け出していく。

あの店に、何かあるのだろうか。たまたま通りがかってあんな反応を示すだろうか。
ああいうタイプは大概自我を抑えられなくなっていつか壊れる。それに、男が歩いて行った方向も気になる。あっちは確か、大江戸病院があったはずだ。





いつものように駄菓子を買いにあの女がいる駄菓子屋に寄った。
「あれ、居ねェや」
「おや隊長さん、花子ちゃんなら少し早めに帰ったよ」
「そーですかィ」
つまんねえの、とは口に出さずいくつか商品を選ぶ。すると店主の爺さんがもじもじと何かを言いたげにカウンターから立ち上がった。気持ちわりィ、どこの乙女だ。

「隊長さんや、ちょっと気になることがあってのぉ」
「何ですかィ」
「花子ちゃんのことなんだが」
あいつの名前が出てきたことで気分が少し上がったことに苦笑する。
爺さんはその反応を見抜いたように表情を和らげて話を続けた。

「通りを少し外れた小さな路地になぁ、看板もない風俗の店があるんじゃが、今日その店はどこにあるのかと聞いてきたんじゃ。その前からも派手な格好のお嬢さん方と付き合うようになってしまって……善からぬ連中に悪さされとるんじゃなかろうかと心配で心配で!もし店に行ってなにかあったら……」
話し終えると自分の言葉に感化されたのか目に見えてげっそりしていく爺さんに椅子を勧めて座らせる。

あの不愛想女が風俗勤務の女と知り合いとは想像出来ねーが、なかなか興味をそそられる話だ。
「……見に行ってやってもいいですぜ」
言いながら購入する予定だった飴をプラプラと見せつける。
「おお!サービスするから花子ちゃんをよろしく頼むぞ隊長さん!」

しかし近くで攘夷浪士とすったもんだがあり、すっかり日が暮れてようやくタダでゲットした飴を頬張りながら言われた店とやらに出向くと、派手な女が一か所に集まり肩身を寄せて、ボーイの恰好をした男たちが路地に横たわっている場面に出くわした。暴れる客でもいんのか?
「よォ沖田君、ちょうどいいところに。そいつら頼むわ、屯所連れてって」
「旦那ァ、やっちまいましたねェ。暴行罪で逮捕しやす」
「ねえ、聞いてた?そっちだからってオイ、コレはずせコノヤロー!」

冗談でィと手錠を外すと、一か所に集まっていた女集団から赤毛の女が一人出てきて事情を説明してきた。同僚の仇でとんだ依頼をしたもんだ。後始末をする身にもなってほしい。
「しかし、店は潰せても組織はどうなんですかィ、ぶん殴ってしょっ引くだけじゃ」
「――これでどーよ」
手渡された書類に目を通すと、なかなかお偉い方の名前が連なっている。顧客名簿か。
ケータイで部下を数名呼び出し、それまでの間建物の一室に女以外の店の者全員を押し込んでおく。入院しているという同僚以外の従業員全員がここに居るというので、連行までの手間が省けて楽が出来た。

「ぼ、僕は客だぞ!関係ないんだ早く帰してくれ!!」
「はーいお静かにー」
「ブフゥ!!」
目を覚ました男が一人騒ぎだしたので静にするよう注意する。
「あ、そういや旦那、山田さんと会ってませんかィ?駄菓子屋の爺さんからここに行ってるかもしれねェから見てきてくれって頼まれたんでィ。まあ言われてから来るまで時間が開いたんでもう居ねーとは思ってましたが」
「は?会ってねーけど、なんであいつがここに来るわけ?」
「さあ、面倒でそこまで聞いてやせん」
「それがお前の仕事だろーが!」
すると話を聞いていた赤毛の女が手をあげて言った。
「あたし、勤務時間前に会ったよ、そこで」
指さしたのは今は誰もいない向こう側。
「今日のこと話しちゃったけど、すぐに帰ったんじゃないかな」

護送車とパトカーが何台か到着し、事件の内容を申し送って部下を屯所へ向かわせた。銀時が店の金庫から引っ張り出してきた重要書類も一緒に。
これは土方の仕事が増える。今夜は寝かせねーぜ。
「旦那も明日でいいんで屯所に来て下せェ、話聞きやすんで」
「……ああ。なあ沖田君」
「なんです」
「あいつ、何しに来たと思う?すぐに帰ると思うか?」

何を考えているのかと思えは山田さんのことか。
「さあ。俺には分かりかねまさァ。旦那程深い関係じゃないんで」
だがなんとなく、銀時が頭を掻いて舌打ちしたことで面倒なことになりそうな予感は残念ながらしてきた。





妙に気になって後をつけてきたが途中で見失い、自分の勘を頼って大江戸病院に来てみたら案の定、時間外入り口から病院に入っていく男を見つけた。

店の次に来たのが病院とは……
松子に会いに来た、もうそれしか思い付かない。
「……誰なんだろ」
ただのお見舞いならここで引き返すけど、男の爪を噛むあの顔がどうも嫌な予感を増幅させている。

男が病院に入って五分ほど経ってから同じように時間外入り口に恐る恐る向かうと、初老の警備員が椅子に座りうつむいて眠っていた。すみません、と声をかけても反応がない。なんだか警備の意味について考えさせられる。
「勝手に入りまーす」
小声で告げて奥へ進む。やはり昼間と違って独特な薄暗さがある病院内はシンとしていた。それもそうだ。面会時間はとっくに過ぎている。

目立つエレベーターより階段を使って松子がいる病棟へ向かう。男は何処へ行っただろう。久々の運動に息を切らして、最後の一段を登りきり深呼吸を繰り返す。
よし、と気合いを入れて廊下に足を出し、すぐに踏みとどまった。
「面会時間は過ぎているのでお帰り下さい」
「どけ、関係ないだろ」
夜勤であろう看護師と男が押し問答している。
次の瞬間
「――っ!」
口を咄嗟に押さえて声を殺す。
ナースステーション前の廊下、腹にナイフを突き立てられた看護師がよろめく。ナイフは抜かれ、もう一度突き立てられた。
「僕の邪魔をするな」
やはり、男は壊れてしまったらしい。
刺したナイフを抜こうとするが看護師が必死に柄を掴んで離さない。諦めたのか男は手を離して足早に奥へ進んでいく。

携帯電話を取り出して、沖田に初めて出会った翌朝に届いた一件のメールを探した。あの日山崎退から送られてきたものだ。自分のアドレスはあの時変えてしまったが、山崎のメールは――あった。
彼がアドレスを変えていなければ届く。声を出せない今、いち早く警察に状況を伝えるにはこれしか思い付かなくて、ただ無心でメールを送った。

そうしてから音をたてないように近くの処置台からタオルを引っ付かんで看護師に駆け寄る。
息はしている。だがとても浅い呼吸だ。白衣に染みる赤がすごく眩しい。ナイフを動かさないように傷回りにタオルを当ててみるが、こんなことで止血できる状態じゃないことは明らかだった。

思わず右手をぎゅっと握った時。
「…い…ぶ……あの子を……」
吐息混じりの小さな声で看護師が喋る。
“私は大丈夫だからあの子を連れて逃げて”

松子のことを言っているのだと確信したのは看護師が指で病室の数字を示したからだ。そして男が松子に会いに来たのだということも確信出来た。
“早く”と看護師の口が動いた。声がもう出ていない。医者を呼んでいる間にこの看護師はもたないだろう。

さんざん銀時のことを自己犠牲が過ぎると言ってきたが、きっと銀時はこういう場面に立たされたときこんな気持ちでいるのだろうと今思う。

助けられるなら、耐えてみせる。

苦しむ看護師に心の中で謝ってナイフを抜いた。溢れる赤の中に右手を添えて歯を食い縛る。腹に走る激痛は今まで感じたことのないものだった。
「っ、はっ、!」
倒れそうになる体を左手で支えて脂汗が額をつたう。
思わず離しそうになる右手に自分の弱さを感じた。
痛い。
死にそうなほど痛い。でもこの看護師はこの痛みのなか大丈夫だと言ったのだ。患者を守ろうと……もうもたないって分かってたのかな。

指に伝わる皮膚が繋がって手を離す。流れた血は取り戻せないけど、生きてる。その安心感で一瞬意識が飛んだが、松子のことを思い出して頭を振る。

荒い呼吸を整える間もなく松子の病室に行こうと立ち上がるための力を込めたその時、ガクンと自分が崩れる感覚と頭への衝撃をまともに受けて、ギリギリで繋ぎ止めていた意識を手放した。





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