小説 | ナノ 融解


まぶたを閉じて吸った空気を溜め息のように吐き出すと、張りつめていた神経が弛み、どっと疲れが圧し掛かる。次に目を開けた時にはもう朝になっていて、スズメの鳴き声と最近活動を始めた蝉の鳴き声が外で響いていた。
何かあるとすぐに寝ている気がする。こんなに体力なかったっけ。

うつむいてぼんやり頭を掻いているとチカチカ光るものが見えた。枕もとに置かれた携帯にメールが一件入っている。知らないアドレスだ。開封すると
『昨日、路地裏から逃げたのって山田さんでしょ?副長がキレてたけど安心して。犯人が全部吐いてことの事情はわかったから』

右下には山崎と記されている。……教えてもないのに。

山崎が嫌いなわけではないが、警察組織に対する嫌悪感からアドレスを変えようと携帯を操作する。『はい』の表示をクリックすると画面に“アドレスは変更されました”という文字が現れる。しかし、安心してとはどういう事だろう。そのままの意味?
考えながら携帯を握る右手が視界に入る。
「……」
爪の中に昨日の路地裏の砂が詰まっている。携帯を置いて人差し指から順番に爪の中に親指の爪を差し込んでパチン、パチンと砂を弾き出していく。小指まで終わると、左手を使って親指の爪に取り掛かる。その途中に目に映る髪や着物に血が付いているのが気になって仕方ない。うっすらとみかんのにおいが残っている。……何度同じ経験を繰り返せば気がすむんだろう。
「馬鹿だね」
誰に言うでもなく呟いて、咄嗟に掴んだ携帯を投げると壁が大きな音をたてた。

そのすぐ後に玄関のベルが鳴った。音に驚いた大家が来たのだと思って、「はい」とドア越しに声をかけた。
するとカチッと何かスイッチを押したような音の後に大音量で「あー、あー、テステス」と聞き覚えのある声が辺りに響く。

「《山田花子ー、お前は完全に包囲され》」
―――ドン!
勢いよく玄関を開けると、してやったり顔の沖田が拡声器片手に立っていた。もちろん他に人はいない。
「……なんですか」
「あんたの家を拝みに来たんでさァ」
ボロいな、と言いながら私の横をすり抜けて勝手に家に上がっていく。
「ちょっと!」
もしかすると、この少年は坂田銀時よりも厄介かもしれない。
「あの、聴取受けなくていいんですよね」
「ええ」
「じゃあ」
「言っただろィ、家見に来ただけだって」
勝手に上がって勝手に座って、勝手にくつろいでる沖田に鋭い視線を送るも、気にもとめていない。
「あ、茶菓子は煎餅でいいですぜ」
「ありませんよそんなもの」
「じゃあケーキ」
「ないってば」
苛立ちを隠さずそう言うと沖田は舌打ちをしてテレビをつけた。
部屋には蝉とテレビと外で遊ぶ子どもの声が入り雑じる。
「本当は何しに来たんですか」
問うても沖田は何の気なしにテレビを見続けている。

「……いいご身分ですね、権力使って住所割り出して、許可もとらずに家に上がってテレビ見て。サボリ?普段からこういうことしてんの?てかこれ不法侵入ですよ。近所に響き渡るように拡声器なんか使って……さすがチンピラ警察ですね」

沖田の後姿を見ていたら開いた口からこぼれだす言葉が止まらなかった。

すると先程まで私を居ないものとしていた沖田はむくりと立ち上がり、居間の入口に立つ私の方までやって来ては少し上から見下ろして、壁際へと追いやるように距離を詰め始める。自分の背中がトンと壁についたとき、どこかで一度体験した覚えがあると思った。
ああ、一年前も銀時にやられた。
「誰のこと考えてんですかィ?男か」
「……」
「あんた、神様なんだろ?」

同じ組織に属しているんだ。土方が言ったんだろうことは容易に想像つくが、神様というワードに眉がピクリと反応した。同時に沖田が動きだす。
「っ、」
気づいたときには、首に沖田の腕を圧されて身動きが取れない状況で、ただ私は目の前の不安げな顔をする少年を見上げていた。彼の反応とかすかに揺れる瞳を見て思う。

沖田はたぶん、私という不安定な存在がいろんな意味で怖いんじゃないだろうか。私は沖田を知っている。この“世界”を知っている。その事に違和感を感じて、そして土方という身近な人間が困惑し予想を反する行動をとる私が、彼の世界を脅かす存在なのではないかと感じ取っているんじゃないだろうか。
「私は、真選組に関わる気はないですよ」
「質問の答えになってねェ」
「……神様じゃないし、神様なんかいない。まさか信じてるんですか?そんな訳わかんない話」
「信じてまさァ。俺ァ信仰深いんでィ。神様がいるなら一度お目にかかりてェ」
やっぱり厄介だ。ひねくれた人間同士の探り合いなんて何も生まない。せいぜい誤解と疑心を生むくらいだ。そして私が否定をするほど、沖田は焦っているようにも見えた。


私が生前から守り続けてきた心の壁と、沖田が守りたい世界が同じレベルなら、崩されるのは怖いと思う。
もし彼が私と同等のひねくれ者なら、徹底的に戦えた。なのに、根っこがやっぱりこの世界の人間で、純粋なんだ。

というか、そう考えると小さい人間だな、私は。



坂田さん、あの説教無駄にしてごめん。
「どっか怪我してませんか?病気でもいい」
「は?何言ってんでィ」
「神様に会いたいんでしょ?」

皮肉を込めたその言葉につられるように沖田は腕まくりをした。いくつかの古傷の中にガーゼからはみ出すほどの真新しい刀傷があって、思わず顔をしかめる。
「……命懸けてるんですもんね、出来るだけ邪魔な奴を排除したい気持ちはわかります」
「……」
ガーゼをはがし始めると浸出液で傷口と癒着しかけている。痛いだろうけどゆっくりはがしていく。そして自分の右手を傷口に乗せ、軽く腕を握る。クチャ、と少しだけ嫌な音がした。
「おい、」
その冷たさと異常な行為に沖田が口を開くが、視線は傷を向いていて集中しているようだった。

右手が温かくなる。同時に左腕に痛みが走った。
沖田と目が合い、先ほどとは逆に左腕をギュッと握られた。少し痛いくらいに。
「やっぱそこ気づきますよね」
「なんなんでィ、あんた」
「さあ、私が一番知りたいですよ」
沖田は全てがつながったとばかりに力なく笑った。

「病気も、治せるんですかィ?」
私の左腕を握ったまま、ぼそりとした声で言った。
「たぶん。可能性は高いです」
誰のこと考えてるんだと今の彼に問うたら残酷だろうか。

「誰にも言わないでください」
「さあそれは分かりやせん」

少し晴れやかになった少年の顔を見上げると、私が知ってるいつもの沖田総悟がいた。

なんだか、たまに家に来そうな気がするな。
あーあ、お風呂入ろう。




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