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「マスター、なんかすごそうな場所に着きました!」

 語彙力なんて言葉とは無縁な感想を口にし、呼びかけた当人には当然のように無視される。

 ──造船所、という単語を私は生まれて初めて耳にした。
 かつては広大な青の世界、海と呼ばれる光景が広がっていたとされるラネール西部。
 残念ながら今では砂漠化の影響でほとんどが干上がってしまっているけれど、その海の上を移動するための“船”なるものがこの場所では造られていたらしい。

 通常ならば魔族が訪れることのない地。そこへ私たちが足を踏み入れたのは、女神の封印がある可能性が高いと報告が入ったからだった。

 ラネールと言えば、何日歩いても全く代わり映えのない黄檗色の砂風景という印象しか持っていなかった。
 けれど背の高い謎の建造物が立ち並び、用途不明の施設が散見されるこの地は、私にとって未知の新世界そのものだった。

 ──が、部下が探究心をくすぐられまくっているその一方。お肌に悪い砂漠の環境への嫌悪感を露骨に剥き出しにする我が主人ギラヒム様は、小さく舌打ちをこぼしていた。

「……こんな僻地にまでこのワタシを出向かせるなんて。女神の兵隊共を見つけたなら、即座に八つ裂きにせねばなるまいね」
「存分に八つ当た……制裁なさってください」

 ……どうやら気の向くまま観光をする余裕は無いらしい。主人の苛立ちの矛先が私に向く前にすべき事を終えなければならない。
 疼く好奇心をなんとか押し殺し、私は彼の背中について回ったのだった。

 *

 ──そう奮闘していたものの、大小さまざまな建物が乱立するこの地の探索はすんなりとは進んでくれなかった。

 砂漠と違って建物内部にいくらでも大事な物を隠してしまえるため、大まかな位置は掴めても結局は地道に一軒一軒中を見て回るしかない。
 そんな作業が続けば我が主人のご機嫌は急降下していくばかりで、道中に何度もいじられ罵られた。
 そうして早く目的地かもしくはマスターが楽しめそうな何かが見つかってくれと祈りを捧げ、次の建物に踏み入った、その時。

「……あ」

 私の視線はある機具に縫い留められた。
 まじまじと見れば見るほど、どこかでそれを見たことがある気がしてきて──、

「トロッコですよ、マスター!」
「……とろっこ」

 たどり着いた答えは、ラネール東部の採石場で目にしたことがある機具──トロッコだった。
 思わずそれに駆け寄った私に対し、ギラヒム様は人間が造ったものの名前に興味がないからか不自然な発音で部下の言葉を繰り返し、やれやれと後ろからついてきてくださった。

 トロッコは少し埃を被っているようだけれど、まだ充分に使えそうな状態だ。採石場では時空石を運ぶために使われていたと聞いたことがあるけれど、ここでも同じなのだろうか。

「採石場にあるやつとちょっと違う感じがしますね」
「……動力に時空石を使っていないところを見るに、旧型なのだろう。造りも粗末なくらいに簡素だしね」
「あ、ほんとだ。石乗せたら底抜けちゃいそうです」
「乗せられるとしても人間二人分が限界と言ったところか。この地が造船所として稼働していた頃の移動手段として使われていたのだろうね。……それにしても、埃臭い」

 相変わらずご機嫌は斜め加減だけれど、主人による大変わかりやすくタメになる見解を聞いて、感嘆の声が漏れてしまう。
 よくよく見れば、車輪の下からは錆びた線路が外に向かって延々と伸びていた。私の視線はその先を辿り、やがて外の世界へと運ばれていって──、

「あ、あの道、通っていくんですか……?」

 線路は外界に聳え立つ高い塔をぐるりと一周し、そのまま天に導くかのように上へ上へと続いていた。
 一体どういうつもりであんな道筋にしたのだろう。元々空に住んでいたから今さら高いところが怖いなんてことはないけれど、あの支柱の少なさはあまりにも心もとなすぎるのではないだろうか。

 ……もしかしたら、この造船所の人たちはああいうので興奮する性質だったのかもしれない。
 なんて過去の人々の趣味に勝手な思いを馳せていると、ふと背後に何かの気配を感じた。

「……リシャナ」
「はい?」

 振り向く前に両肩をがしりと掴まれ、音程が上がった声で呼びかけられる。
 その声音に嫌な予感を抱いてゆっくりと天を仰ぐと、真上から私を見下ろすギラヒム様の視線とかち合った。

「ものすごーく、楽しそうな事を思いついたんだよ。……気になるだろう?」
「いえ全く」

 口角を綺麗に上げて目を細めるその表情は、一見美麗に見えるけれど、部下を憂さ晴らしに使ってやろうという気概を一切隠せていない。

 しかしそれに気づいたところで私の否定はあえなく無視され、両脇腹を掴んでひょいと体を抱き上げられた。
 そのまま彼の体に身を押し付けながら膝裏に腕を回されれば、どこからどう見ても抱っこの体勢の完成だ。

「あ、の、マスター、良い歳して抱っこは……ものすごく恥ずかしいんですけど……」
「自分の年齢も知らないくせに良い歳とは大きく出たものだね? お望みなら背中もさすってあげようか?」
「お望みしてないです!! むしろ降ろしてほしいです!!」
「却下。……ほら、イイ子にしていろ」

 子どもをあやすようにわざとらしい抑揚をつけた声音で囁かれ、トドメに額へのキスまで落とされた私は抵抗の言葉も動作も完全に封じられてしまう。
 最近のギラヒム様は唇さえ与えれば何しても許されると思ってる節がある。実際、私も私で何も抵抗出来ず黙り込んでしまうのだから、全くもってその通りなのだけれど。

 その間にも私の体は粗雑にトロッコの中へと放り込まれ、狭い箱内に収まった姿を覆うように見下ろされた。
 恐怖に塗れる私の表情を味わうかのように舌舐めずりをし、ギラヒム様は薄く微笑む。

「ほら、リシャナ。イイ思いをさせてあげたんだ。存分に鳴き声を上げて、主人を楽しませるんだよ……?」
「ひ……」

 がしゃり、と音を立ててトロッコの縁にギラヒム様のおみ足がかけられる。
 最後の救いを求める部下の視線に、彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、

「──いってらっしゃい」

 勢いよく、トロッコを蹴り飛ばした。

「う──ぎゃあああぁああ!!!」

 空へと放たれるトロッコと断末魔。
 弾丸のごとく発車したトロッコは遠心力を存分にかけまくりながら車体をうねらせ、上下左右に駆け抜ける。
 その度に私の体はぶん回されて、せめて振り落とされないよう必死に縁にしがみついて、意識が半分、飛びかけて、とび、かけて、とんで、いって──、

 ────

 ────

 ──……。


「……ああ、見つけた」
「………………」

 終着点で屍と化していた私の耳へ、あからさまに上ずった声がかけられた。

 瞬間移動で部下のことを追いかけてきたギラヒム様は、トロッコの中でぐったりと横になっていた体をご褒美と言わんばかりにぎゅっと抱き締める。
 頭に頬擦りまでされて、彼がどれだけこの惨状を楽しんでくれたかを充分すぎるくらいに理解した。

「とてもイイ声だったよ? リシャナ」
「…………さよう、ですか」

 体が振り回されすぎて、平衡感覚がいつまでも戻ってこない。抱き上げられてる時も再びトロッコの中に降ろされた後も、どこに立ってるのかわからないくらいの奇妙な感覚に振り回されている。端的に言って吐きそう。

 ぐわんぐわんと揺れ動く視界の中では、部下のその姿を見て嘲笑うギラヒム様の表情が辛うじて認識出来た。

「ッフ、お前の滑稽……もとい楽しげな姿を見て、悩み多きこのワタシの繊細な心も晴々と澄み渡ったよ。褒めてあげようじゃないか」
「…………」

 悠然と髪を掻き上げ、鼻から抜けるご満足げな笑声を落とした彼はたしかに先ほどと比べてとてもとても上機嫌だった。平静を装ってはいるけれど、部下の断末魔を聞いて興奮していたことはすぐに見て取れる。

 そしてだんだん意識が戻ってきた私に、ふつふつとある感情が芽生え始めて──、

「やはり適度な娯楽は大切にしなければなるまいね? これでこの地の探索も捗るというものだ」
「…………なら、」

 私のその声に、愉しげに語っていたギラヒム様が何気なく振り向く。
 次の瞬間、その双眸に映り込んだのは、

「次は一緒に……乗りましょう? マスター」

 ──トロッコから這い出て、細い腰をがしりと抱いた、部下の姿。
 その怨念漂う迫力に、彼には珍しい「ヒッ……」って顔を向けられた。

「……せっかく、こんな場所まで一緒に来たんです。おねだりしますから……一緒に、地獄、見ましょう? ねえ……?」

 まるで呪詛のように低い声のおねだりをしながら、腰にしがみついて離れようとしない部下。血の気が引いた顔色も相まって、さながら地獄の亡者のように愛する主人へおねだりをする。

「きっとマスターも楽しめますよ……? 何ならずうっと腰、抱いててあげますから、ね……?」
「こ、このワタシが人間が造ったものなどに、乗るわけがないだろうッ……!」
「人間が造った物に人間乗せてとーっても楽しそうにしてたのは誰ですかッ……! 一緒に、仲良く、主従揃って、乗りましょうッ……!!」

 頭を鷲掴んで引き剥がされかけながらも今回ばかりは私も粘る。散々馬鹿にして好き勝手してくれた彼への鬱憤が屍となった体を突き動かしていた。

 両者一歩も引かない主従の攻防。この時ばかりは使命のこともそっちのけで、私も主人も相手を屈服させることに全力を注ぐ。──その最中だった。

「……は」

 ついにギラヒム様が私の体を引き剥がしかけた時。
 ガコンと鈍い音が鳴り、トロッコが今走ってきた道を逆走し始めた。

 と同時に、数瞬油断したギラヒム様は私に引っ張られてバランスを崩し、大きな体ごとトロッコの中へと倒れ込んだのだ。

「ぶぎゅ!!」

 主人の体に正面からのし掛かられた私の潰れた声が漏れる。
 二人分を乗せたトロッコはミシミシと嫌な音を立てながらも健気にレールを遡り始め──、

「────ッッッ!!!」

 ──声にならない二つの断末魔が、無限の砂地に尾を引いて木霊した。


 やがてトロッコが終着点に辿り着いた頃には、盛大に体を振り回され酔って立てなくなった主従の屍が搬送されていたのだった。

(211231/りゃめ様リクエスト作品)