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*夢主登場ナシ

 ──見渡す限りの砂の世界だった。
 雲が覆う地平線の果てには淡い光が差し込み、束の間ちらちらと瞬きを見せた陽光は、やがて黄檗色の大地を薄赤く染めていく。

「わあ……!」

 少女──ゼルダは朝日と同じ色をした長い髪をたなびかせ、砂の世界の黎明に感嘆の声を上げていた。

「綺麗……。森や山から見る朝焼けの色と全然違うのね」
「……ええ、その通りです」

 澄んだ蒼色の瞳に広大な砂風景を映したゼルダの言葉を、傍らの従者が首肯する。
 従者──護衛人のインパは辺りに警戒の気を巡らせながらも、生まれて初めて見る景色に胸を躍らせる少女を穏やかに見守っていた。

 ──時はインパとゼルダがラネール地方へ訪れ、数度目の朝だった。
 砂の大地に照りつける太陽光は、分厚い雲を隔てているとはいえ人の身にとって過酷なものであることに変わりはない。故に二人は日差しが弱まり、視界を十分に確保出来る早朝と夕方を主な活動時間として砂の世界を歩いていた。

 本格的な砂漠地帯に入って以来それなりの距離を歩き続けているが、白い巫女服の上に丈の長いローブを纏ったゼルダに一見疲労感は見当たらない。
 正確に言えば、疲労感はあるもののそれ以上に好奇心が勝っているのだろう。これまでに訪れた森や火山も同様だった。

 彼方を見遣るゼルダの傍らにインパが追いつくと、ゼルダは胸の内の感動を小さな吐息と共にこぼした。

「本当に砂漠ってずっとずっと向こうまで砂が続いているのね。こんなに広いと思わなかったわ」
「昔はここも緑豊かな地でしたが数百年のうちに一気に砂漠化が進んでしまいました。機能が残る建造物もこの先にある錬石場のみで、西部には廃採石場も多く存在します」
「そうなの……」

 蒼穹を閉じ込めた両眼を見開き、ゼルダはなだらかな凹凸が続く景色をじっと眺める。その瞳の中には今、かつてここにあった新緑の景色が描かれているのだろう。
 無機質な土地だというのに飽きることなく首を巡らせていたゼルダは、ふと一点に視線を留めた後、インパの方へと向き直る。

「ねぇ、あそこの丘……登りに行っていいかしら」

 白く細い指が指し示したのは周囲に比べてわずかに小高い砂丘だった。ほのかな期待を滲ませた声音に対し、インパは浅く頷きを返す。

「構いませんが……足元の悪いところがあるのでお気をつけて」
「わかったわ」

 ゼルダはその答えに華やぐ笑顔を見せ、砂の地面を踏みしめながら砂丘へと駆け寄った。
 ローブの隙間から覗く白い衣装に砂埃を纏いながら、不安定な地の上で懸命にバランスを取って丘を登る。そうしてあと数歩で頂上へとたどり着こうとした──瞬間。

「きゃっ!!」
「ゼルダ様!」

 体重を乗せて踏み込んだ足が砂の中に沈み、ゼルダの体勢が一気に崩れた。目を丸くしたインパは慌てて彼女の元へと走り寄り、地に着いたその手を取る。

「お怪我はございませんか……?」
「ううん、大丈夫よ。ちょっとびっくりしちゃっただけ」

 言葉の通り、彼女の体に怪我はなさそうだ。その表情も年相応のあどけない笑顔で彩られたままだった。

 インパの手を借りながら、ゼルダは砂丘の頂にまで足を進める。やがて目的の場所へ到達し、目に飛び込んできた景色に彼女は数秒言葉を失った。

「────」

 少し高い場所に上がっただけなのに、世界はさらに雄大なものとして少女の瞳に映る。
 一見代わり映えのしなかった砂の大地は陽光を受け赤から薄黄色へ彩りを変化させ始めている。白く乾いた地がところどころに覗き、地平線の間際には赤茶けた土地が横たわっていた。二人が目指す目的地、その前に走る渓谷だろう。

 ゼルダはその景色を網膜に焼き付けるように、瞬きすらしないまま前を見据えていた。そうして不意に、音も無く唇を解く。

「……大地に来てから、驚きっぱなしだわ。本で読んだりお話の中で聞いていた景色と全然違うんだもの」

 空の島に伝わる、分厚い雲を隔てた先に広がる世界の話。それは神話の地として文献に記され、ゼルダの家系においては伝承として語り継がれていた。彼女は幼き頃からそれらの話を見聞きし、憧憬の地を胸中に描き続けてきた。

 しかし実際に降り立って見た世界は、当然のことながら彼女が想像していたものと全く異なっていた。空に継がれた伝承が色褪せていること以上に、記録では伝えきれない世界がそこには広がっていたのだ。

 ゼルダは眼前の景色を胸の奥底へ仕舞い込むようにぎゅっと瞼を伏せる。そうしてふとそれを緩め、インパの方へくるりと振り返った。

「……でもね、スカイロフトの景色だって負けていないのよ?」

 空のことを思い出しているうちに懐かしさと恋しさが湧いたのだろう。ゼルダは砂風景を眺める目と違った温かみを帯びた微笑を浮かべ、記憶の中の故郷を手繰り寄せる。

「騎士学校の屋上から見える街の景色や、町外れの滝の上から見える畑の景色は見るたびに違っていて、毎日見ても飽きないの。あと、女神像の島から見える空もわたしはとっても好き。それに……、……あ」

 話しながらつい夢中になってしまったと言うようにゼルダは口元に手を当て少しだけ顔を赤くする。対しインパはその表情に「フ、」と短い笑みをこぼし、

「……お聞かせ、願えますか?」

 優しく促され、ゼルダは再びその表情を綻ばせた。彼女は愛する空の島の美しき光景を語り、従者は目を逸らさずありのままの彼女の思い出を受け止める。

 ひとしきり話し終えた後、ゼルダは胸の上に片手を置き、その指を小さく結んだ。

「本当なら、どっちの世界も繋がっていたはずなのに。片方の景色しか見ることが出来ないなんて……きっと勿体無いことなのよね」

 その声音は傍らの従者に向けて伝えたというよりも、自身に言い聞かせるような音色を宿していた。
 含まれていたのは簡単には戻れない故郷への哀切か。彼女の内側にいる、もう一人の自身へ教え諭す現実か。──そして、

「──私が、」

 次に紡がれた鈴の声音は、数秒前とは違った神聖な響きをしていて。

「“私”のすべきことを、きちんとやり遂げたなら。……大地からも、空が見られるようになるはずなのよね」
「────」

 彼女が続けた言葉とその姿に見入った従者は、肯定も否定も出来ずただ唇を結ぶことしか出来なかった。

 ゼルダは数拍置き、わずかに眉を下げながらも緩く口角を上げる。その表情は元の純朴な少女のものへ戻っていた。

「今この大地から見えるのは、どこまでも続く雲ばかりだけど」

 彼女の細い体には、その身には抱えきれないほどの重い使命が乗せられている。けれど、透き通った瞳を通しこの地に親愛を抱いているのは使命など関係のないたった一人の少女だ。
 だから今度こそ。空に向かって、万感の想いに満たされた微笑みを浮かべて。──彼女自身の心が紡いだ願いを謳う。

「──いつか、インパとも一緒に青い空を見てみたいわ」

 空を望む少女は、刹那従者の瞳に走った感情を目にすることはない。従者自身もそれを目の前の少女に見せることは決してしないまま、柔らかな笑みを返した。

「ええ。……いつか、きっと」

 胸に手を当て低頭し、インパは自身の主であり──守るべき存在である少女へ誓いを立てる。
 その隣にこうして立てていることに、確かな幸福感を抱きながら。

(HD発売記念カウントダウンSS-ゼルダ・インパ)