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*夢主が変態です。

 上からいこうか下からいこうか。
 悩むべくはそれだけだった。

「…………」

 一度、意志を確認するように目線を上げる。
 そこで待つ艶やかに細められた目は、当然のごとく私をじっと眺めたままだ。
 その視線に耐えかねて、私は尋ねてみる。

「あの、」
「何」
「……触り終えるまでそっぽ向いていただくというのは」
「却下」
「ですよね」

 部下のささやかな申し出は一言で鮮やかに撥ね付けられる。
 しかし既にここまでのことを許されているのだから、多少要求を聞き入れてもらえずとも良しとするべきだ。許可を得ただけでも奇跡と言えるのだから。

 唾を飲み込み、私はハードルが低い下からにしようと決意する。
 下──つまり、ギラヒム様の膝下から足先。
 そこへ、手を伸ばすことを。

 無論、膝上であっても膝下であっても今からの行為に対する緊張感は変わらない。
 それでも下を選んだのは、最も魅力的でありながら覚悟を決めなければ至れない極地──またの名を太腿と呼ぶ──にたどり着く前に、心の準備をしておきたかったからだ。……それにほら、足先とかは舐め“させられ”たことがあるからまだ慣れてるし。

「では──参ります」
「…………」

 両手を握り宣言する私と、呆れと軽蔑が入り混じった冷ややかな視線を向ける我が主人。
 が、どれだけ冷たい目を向けられようと、せっかく死ぬ思いをして勝ち取ったこのご褒美を手放すわけにはいかない。

 音のない呼吸を数度繰り返し、握った指先をゆっくりと解いて手を伸ばす。
 そうして私は──彼の膝へと、触れた。

「…………おおぉぉ……」
「……蹴り飛ばしてやりたくなる声を出すな」

 語尾が震えた私の歓声に、温度の下がった主人の声が突き刺さる。それでも私は衣装越しに触れた彼の肌の感触に、感激を抑えきれなかった。

 最初に指先が触れたのは彼の膝裏のラインだ。おそるおそる手のひらを添えてみたが、中途半端に触れれば逆に蹴られると思ったので思い切って撫でてみた。

 無駄な脂肪がなく引き締まったそこは固いというのが第一印象だったが、指と手のひらを馴染ませるように触ってみると跳ね返すような弾力を感じた。
 衣装越しではあるが彼の場合半裸と大差はない。試しに布の切れ目から覗く生肌へ触れてみると、それまでの感触につやつやとした肌ざわりが加わって、二重の感動が押し寄せてきた。

「……こうなってくると、ずるいって感情を通り越してありがとうございますとしか言えないです、キョーエツシゴクってやつです」
「フン、抱いて当然の感情だね。大地のどこを探してもこの造形美はここにしか存在しないのだから」
「造形……芸術品……いやその言葉でも足りない……? 私、適した言葉がないか今度空で調べてきます」

 突っ込み不在、という単語が刹那過ったがそんな些細なことは気に留めるまでもない。

 しなやかな筋肉の鎧とは彼がかつて口にした言葉だ。
 その言葉を聞いた時からいつか寝込みを襲ってでも触ってやろうと密かに画策していたが、まさかこんな瞬間がくるなんて。
 彼の願いが叶うまで死ぬつもりはないが、今死ねたら本望と一瞬でも思ってしまったことは内緒だ。

「……凶器だ。兵器だ。これだけで人殺せますよ。いえ、国が滅ぼせます」
「否定はしないとも。お前の残念な頭はそれだけの武力をもっても矯正されないだろうけどね」

 私はすべすべした彼の肌の感触を全身に刻み付けるつもりで堪能する。
 ……だが、人間とは欲深い生き物なわけで、そうしているうちに別の欲求が蠢き始めた。

「…………」

 それは思わず自分を褒め称えたくなる発想だった。しかし同時に、あまりにも罪深い行為でもあった。
 とは言え、そもそも私たちは悪者だし今さら一つや二つくらい罪が増えたところで何も変わりはしないだろう。

 そういうわけで、

「えい」
「────、」

 わざとらしく声をあげて──私は彼の右脚に、抱き着いた。

 途端、私は息を呑んで大きく目を見開く。

 なんだ……この、抱き心地の良さは……!?
 きっとこのまま眠れば、日頃の疲れが吹き飛ぶどころか現世と確実にさよならできる。天界へと導かれる。

 想像の遥か彼方を上回り得られた感触に私の意識は数瞬飛びかける。
 するとほぼ同時に、彼の脚に頬擦りしていた私の顎下へ何か固いものが潜り込んできた。──瞬間、

「許可もなく主人の脚を抱え込むとは、よほど踏まれたいらしい」
「うげ」

 彼の肌に密着していた私の顔は、割って入った主人の左足の爪先に無理矢理掬い上げられた。
 不自然な慣性が働き私の首筋へ間接的にダメージが与えられる。そのまま彼の足の甲が艶めかしく私の顎を撫で上げた。

「いくらご褒美だとは言え幼気な主人をこんなにも凌辱して楽しむなんて、繊細で澄み切ったワタシの心が折れてしまいそうで敵わないよ」
「今日ばかりはその誇張表現にもなにも返せないでずがふッ」
「しかし……それでもなお寛大な器を持っているのがこのワタシだ」

 そこでわざとらしく区切るギラヒム様。ちなみに今しがた私の頭に振り下ろされたのは顎から離れた彼の左足だ。端的にいって、踏まれている。
 彼は私の頭にぐりぐりと足裏を押し付けながら、口角を歪めた。

「お前が踏まれながらでもワタシの脚を求めるというのなら……続けさせてあげようか」

 低く奏でられたその言葉と共に、頭を踏んでいた足の踵部分が乗っけられる。リーチが長いからこそ出来る所業だ。

 おそらく、このまま続行すれば今度は踵から足を振り下ろされるのだろう。さすがに頭蓋骨を割られることはないと思いたいが、意識は確実に持っていかれる。もしかしたら頭の形が変わるくらいはされるかもしれない。

「────」

 ──しかし。
 私にはまだ、為すべき事が残っているのだ。

「ご忠告、ありがとうございます。マスター」

 一つ息を吸い、愛しの主人と真っ直ぐに向き合った。
 柔らかな笑みをたたえ彼と視線を重ねれば、頭に乗った足は緩く下ろされる。
 そうして見つめ合う主従の間に、数秒静寂が生まれた。私は小さく手を握り、唇を震わせて穏やかに沈黙を破る。

「たしかにこれは、禁忌とも呼ぶべき行いなんだと思います。でも……それでも、私は……っ、」

 告げることが罪だとわかっていながら、それでも徐々に感情が溢れ、止められない言葉。
 その様は、これが私の心からの望みであることを鮮明に表していて、

「ここに触れられさえするなら、足蹴にされることもまた至福だって──そう、言えてしまうんです」

 透き通った声音が尾を引いて響く。
 その余韻が消え去る前に──私は彼の太腿へと、手を伸ばした。

 もう覚悟は決めた。だからその手が一直線に到達するのは、彼の内腿。

「──!!」

 そうしてたどり着いたそこの感触は、言葉にして脳内で実況することすら無粋と言えた。
 この手触りを、感動を、経験を、言語化するというのは──きっと神にしか出来ない。
 当然だ。だってここに触れるということ自体、本来ならば神にしか許されていないはずなのだ。

 私はなんて、罪深いのだろう。
 しかしそうありながら、なんて……恵まれているのだろう。

 人間としての言葉しか持ち得ないことをこれほどまでに後悔したことはない。
 それでもあえて、抑えきれないこの想いを口にするというのなら、

「控えめに言って最こ、ォグへッ!!」
「救いようがなかったね。予想通りだが」

 容赦なく叩き下された鉄槌は私の頭のど真ん中を抉り、浮ついた意識を根こそぎ刈り取る。
 そのまま部下の首に絡みつき捻り上げようとする彼のおみ足は、やはり暴力的な美しさを保っていた。


(2021春企画)