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「ダメだ」

 それは自室で何やら作業をしていたせんせいへ、一つお願い事をしてみたわたしに対する回答だった。

「ほんとーにだめ?」
「ダメだ」

 寸分の間も与えられず全く同じ言葉を返され、わたしはあからさまに頬を膨らます。
 年相応の拗ね方ではあったはずなのに、目の前の彼からは何のフォローもない。その様を見てますますわたしの眉間に皺が寄った。

「技は出し惜しみせず使っていこうってよく言うじゃんか」
「どこで言われているのか知らないし、そういう問題でもない」
「……せんせいのけち」

 未練がましく負け惜しみの悪態をついたわたしへ若干の呆れを滲ませた視線が送られる。
 が、その後に「仕方ないな」と言葉が続くことはなかった。

 見たかったのに、やはり一筋縄では見せてくれないようだ。
 ──せんせいが、剣を持つところを。

 彼、騎士学校実技担当教師のアウール先生は鳥乗りを専門としている。
 剣技の授業は稀に受け持ちをすることがあるものの、彼自身が剣を握る機会はほぼないに等しい。……さらに言えば、長い付き合いのわたしですらその姿は見たことがないと気づいたのだ。

 だが、彼は騎士学校の卒業生でもある。その上教師という立場についているのだから、専門外とは言えある程度の技術は持っているはず。

 そう思い至ったわたしは考えなしにも真正面から「せんせいの剣技が見たい。本気出してるやつ」と頼みに行き──結果、玉砕をした次第であった。頭と話術が足りなかった。

 ……なんて脳内で反省会を行いながらジト目で長い白髪を眺めていると、剣呑な視線を感じ取ったのか彼がこちらへ振り返る。

「なんだその顔は」
「……諦めきれないと思って」
「参考にしたいのなら専門の者に頼め。その方が勉強になるだろう」
「勉強したいんじゃなくてせんせいの剣技が見たいだけ!」
「剣技は見せびらかすものではない。尚更ダメだ」

 食い下がってみるも大人の対応で敢え無く一蹴される。どうやら頼み込んでの説得は難しいようだ。

 しかしわたしの奥底に根付いた天邪鬼の気質はここで引き下がることを許してはくれない。
 表面上で不満を露わにしつつも、わたしは頭の内でじっくり考えを巡らせた。

「…………、」

 教師としての事務作業をするせんせいを一瞥し、目だけで室内を見回す。
 彼の趣味である観葉植物が所狭しと並ぶ壁。難しげな名前の本が並ぶ高い棚。隅に立てかけてある掃除用の長柄の箒。考え事をするにはちょうど良い環境だが、だからと言ってせんせいの鉄の意志を覆す良い案は思いつかない。

 数分間頭を捻らせそれでも方法は思いつかず半ば諦めかけた……その時。わたしの目に、あるものが留まった。

「……!」

 瞬間、一つの案を閃く。
 そして欲に従順なわたしは、すぐさまそれを決行することにした。

「せんせい」
「……今度は何だ」
「あれ、取ってほしい」

 それだけを伝えると、せんせいの持ち上げられた視線は一度こちらを見つめた後、伸ばしたわたしの指先に沿って上方へと辿り着く。
 その先にはちょうどわたしの背が届かない位置に収められた、民俗学の本があった。

 ようやくわたしが諦めたと思ったのだろう。せんせいは小さく息をつき、緩慢な動作で立ち上がってその本棚に向き直る。……わたしに背を向ける形で。
 そのままなるべく音をたてず──わたしは置いてあった箒を手にする。

「────」

 つい最近、剣技の授業で習ったのだ。騎士は常日頃から周囲に気を払い、敵の奇襲へ即座に対応出来なければならないと。
 あくまでも理想論な上にその話が今の場面でも適用されるか否かは謎だったが、頭の足りないわたしにそこまでを考える余裕はなかった。
 純粋に……剣(らしきもの)を向ければせんせいも本気を出してくれるかもしれないと、この時は思ったのだ。

 本に向かい手を伸ばすせんせいの死角にわたしは立つ。
 もちろん怪我をさせるつもりはさらさらないため、かけるのはほんのわずかな力で。

 わたしは、箒を振るって──、

「……へ?」

 弧を描き箒が振り下ろされた先には──何もなかった。

「──!!」

 その時のわたしに理解出来たのは外した、という事実だけ。
 真っ直ぐに下りた箒は空気だけを裂いて、ある一点で受け止められる。そこは無防備なせんせいの背中ではなく、彼の手の中だった。

 そしてせんせい本人はというと──認識出来た時には既に、わたしの真横に立っていた。
 呆れた視線を向けながら片手で箒を捕まえ、空いたもう片方の手をわたしの後頭部に持っていく。
 相手が寛容なせんせいだとわかっているのに、反撃されるのではと怖気付いた体が強張る。……だが、

「こら」

 せんせいの指は、戒めの言葉と共にわたしの頭を軽く小突くのみだった。
 呆気に取られたわたしが出来る反応は何もない。
 ふわりと舞った彼の長い白髪が重力に従って落ち切る前に一連の動作は全て終わっていて、

「…………ぁ、」

 わたしは声とも息ともつかない単音をこぼすことしか出来なかった。

「…………」
「何か、言うことは?」
「…………ごめんなさいでした」

 圧のある問いかけに対し片言の謝罪をしたわたしの頭を、せんせいの手が数度撫でる。
 本来はもっと怒られるべき場面であったはずなのに彼がそれだけで事を済ませたのは、わたしの性格を熟知していたからだろう。

 同級生というなんとも狭い集団とは言え、その中でも剣技だけは負け知らずだったわたしが。
 ──初めて喫した、完全敗北なのだから。

「…………せんせい、」
「何だ」
「剣技、教えてよ」
「お前がもう少し強くなって、もっと良い子になったらな」
「……やっぱりけち」

 奇しくもせんせいが告げたその条件は──後にわたしが剣技と向き合う際の小さな目標となって、

 空から落ちたその後も、ずっと胸の奥に仕舞われることとなった。