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「──終わらせてやる」

 耳にした者に自身の終焉を悟らせる宣告。次いで聞くに心地よい指の弾ける軽い音が響く。
 しかし痛快なその音に続くのは……慈悲の無い刺突音と絶望にまみれた断末魔だった。
 彼が召喚した無数の短刀は、見るも無惨な屍の山を一瞬にして築きあげていく。

「さて、帰るよ。リシャナ」
「お疲れ様です……」

 一仕事終えてすっきりとした面持ちのギラヒム様。今さらながら、自身の主人が魔術を使う際に相手を蹂躙する容赦のなさに身震いしながらその後ろ姿を追った。


 今日も今日とて女神の軍勢との戦闘。
 毎度のことながら、魔法や魔術を使って数十、数百単位の敵を一網打尽にする主人の姿には圧倒される。
 対する私はそんな力が無いためせっせと動き回り一体ずつ魔剣で切り裂くことしか出来ない。その場から動かず優雅に戦う主人とは滑稽なほど対照的だった。
 もちろん魔術や魔法には対価としての魔力が必要だし、使い過ぎると体力以上に回復が難しい。だから比べているわけじゃない。……わけじゃないんだけど。

 涼しげな顔で敵を駆逐するギラヒム様を見て、かっこいいのはもちろん……ちょっと羨ましいと思ってしまった。

 つまり要約すると、
 私も指パッチンして魔法使ってみたいなー!
 ……というわけなのです。


 ──そして帰還後。
 私は早速先の旨を彼に相談してみることにした。もちろんギラヒム様のお役に立てるから、という理由を前面に押し出して。

 が、お気に入りの椅子に腰掛けた彼から呆れ混じりの視線と共に返ってきたのは、

「……雨水の無い土地で植物を育てても成長するのは虚しさだけだろう?」

 何とも詩的に告げられたが、つまり「お前にその才能は皆無だ。寝言は寝て言え」ということである。これくらいの意訳は長年付き従っている経験から難なく為せるけれど、もはやストレートに言われるより傷つく。

「でも、私にもちょっとは魔力あるって……!」
「あるのと使うのは天と地ほどの差だ。お前の場合実戦で使えるようになるまで時間がかかりすぎる」
「方法さえ教えてもらえれば! 後は練習して!」
「面倒くさい」
「…………」

 さっきまで遠回しすぎるくらいに大げさな表現をしていたくせに今度は子どものごとく一言で撥ね付けられた。
 清々しく一刀両断され床でいじけた私に対し主人は小さく嘆息する。

「それに使い方を覚えたところでお前の魔力量で試せば干からびて死ぬだけだろうね」
「……火をつけたり水を操ったりとかも、ですか?」
「蒸発して消えたいのなら、教えてあげるけど?」
「ううー、夢のない……」

 なんとなく予想はしていたが適性、というものなのだろう。ギラヒム様は別格として、魔族の中でも剣術と魔術の両方が使える者はそう多くはない。
 悲しくなるほど呆気なく主人に言いくるめられ私の魔術デビューの夢は潰える。後は彼の座る傍らで蹲る他なかった。

「憧れてたのになぁ、魔術で一騎当千するの」
「そうなるまでにお前の寿命の半分は終わっているだろうね」
「あ、あと治癒魔法とか使えたら便利ですよね。そうすればお仕置き受けた後も自分で回復して……」
「フン、それこそ専門の兵以外に使えるのはワタシくらいのものだよ。お前には数百年かかっても無理だ」
「へぇそうなんで……ん?」

 不意に流されるまま相槌を打とうとした口に静止がかかる。今、しれっと聞き逃せない事実を聞かされたような。
 頭を落ち着かせて彼がたった今口にした言葉をゆっくりと反芻する。

 ──そして、

「……ええッ!!?」

 私は思わず、叫んだ。
 挙動のおかしい部下に対して主人は容赦なく冷ややかな視線を突き刺してくるがそれどころじゃない。
 だって、長い間一緒に戦ってきたというのに、今初めて私は知ったのだ。

「マスター……治癒魔法使えたんですかッ!!?」

 衝撃の事実だった。
 治癒、ということは当然どこかしらが回復するということなのだろう。だとしたら回復するのは何なんだ、MPなのかバフ効果があるだけなのかまさかまさか暴虐の使徒であるマスターがHPを回復するなんてそんなことは絶対、

「何を考えているか大体はわかるけれどそのまま止めないのならお前の遺伝子を改造してそのあたりの小虫と融合させてあげようか?」
「すみません、黙ります」

 口には出してないけれど脳内がうるさいということらしいので即座に頭を無にした。

 が、隠されし主人のギャップに未だ私は動揺を隠し切れない。
 これまで主従で乗り越えた戦闘は数知れないし、私もギラヒム様も少なからずその中で負傷や命の危機に瀕した経験は何度かある。それでも彼がその力を使った姿は一度も見たことがなかった。そんな素振りを見せたことも。

 部下の驚きようが心外だったのか、彼は私を見下ろしたまま片肘をついて顔をしかめた。

「疑わしい目をするものだね。実の主人の言葉が信じられないと?」
「信じてない訳じゃないですけど、衝撃すぎて……」
「ふぅん?」

 そう鼻を鳴らす主人の整った面持ちには不満げな色が滲んでいる。半信半疑な部下の反応が気にくわないらしい。
 数秒考え、再度寄越された視線の温度は先ほどより格段に下がっていた。

「……いいだろう。部下の浅慮な我儘に付き合ってあげようじゃないか」

 言いながら、彼の手が伸びすぐそばにいた私はいとも容易く捕らえられる。
 心づもりをする時間も与えられなかった私は無理矢理体を引き寄せられ強制的にギラヒム様の膝に座らされる。
 柔らかいし温かいけれど、そこは私にとって審問椅子という意味合いも持つ。

 故に前置きなしに私の肩へ彼の唇が宛てられると、本能からの嫌な予感が駆け巡った。

「いッ……!?」

 瞬間。肌を軽く撫でるような唇の感触が先行したと思えば、いきなり肌を刺した痛みにくぐもった悲鳴が上がる。
 唐突すぎて理解が遅れたけれど──ギラヒム様が、私の肩に歯を立て噛み付いている。

「ま、すたー、なにを……!」

 生温さに包まれた肌はじくじくと鈍い痛みを保ったまま主人の歯を食い込ませている。
 おそらく本気を出せば肉ごと持っていかれるのだろうけれど、どちらかというと痕を刻むことが目的というような力加減で咥えられた。

 数十秒痛みに耐えた後、滲んだ血はぬるりと舐め取られようやく彼の唇が離れる。
 突然魔物みたいなことをしだした主人への憤りを目で訴えると、返ってきたのは部下を虐めて幾分か機嫌が良くなった笑みだった。

「もう少し喜んだらどうだい? せっかくこのワタシが可愛い部下のために魔力を使ってあげようというのに」
「へ……」

 その意味を問う前に、今度は私の体を抱えたままの彼の片手が噛み跡の残る箇所へ添えられる。
 すると一拍置いて、ふわりと仄かな光が灯った。

「……!」

 魔族らしからぬ、優しくて温かな光。それに包まれた部分から心地良い熱が生まれていく。
 傷口から全身へ、穏やかな安息を抱く熱。初めてかけられた……正真正銘の治癒魔法だ。

 ずっと抱かれていたい心地良さも束の間に、徐々に光は萎んでいきやがて主人が手を離す。
 ゆっくりと自身の肩に手を運ぶと傷は何事も無かったかのように綺麗さっぱり消えていた。

「な、治った……」
「疑っていたというなら元の状態に戻してあげてもいいよ」
「魔力の無駄遣いしてまで部下虐めないで下さい」

 よくは見えないけれど恐らく跡すら残っていないのだろう。
 噛む必要があったのかは謎だけど、身をもって立証された魔法に改めて主人の実力を痛感する。痛みが残らないだけならともかく、この短時間で治療を終えるのは専門の回復兵でも難しいからだ。
 感慨深さを隠さない眼差しを主人に向けると納得の得意顔を返される。その綺麗な顔を見て、私はふと一つだけ純粋な疑問を抱いた。

「でも、なんで今まで一回も使わなかったんですか? マスター自身が怪我した時もあったのに」

 部下の問いに今度は主人の方がわずかに目を見開く。彼はそのまま推し量るように視線を逸らし、代わりに私の頭へ無造作に手を乗せた。

「この力ではワタシの繊細な体は治せない。治せるのはお前のように普通の肉体を持つ者だけだ。……それに、以前まで傷の治癒など必要が無かったからね」
「前って、魔王様といた時のことですか?」
「……そうだ」

 彼自身の治癒のためでないのなら残る可能性は魔王様のためというのが妥当だと思ったけれど、どうやらそれも違うらしい。
 それならば何故主人はこの力を修得したのか。疑問は深まるだけだったが思案げな表情を目にしてしまえばそれを口に出すことはできなかった。

 私はもう一度だけ治癒が済んだ自身の肩を指で撫でる。先ほど纏った温かな熱の名残を感じて無意識にも口元が緩んでしまった。


「──ああ、言い忘れていたが治癒魔法はそれなりに魔力を使うから、その分お前に対価をいただかないとね」
「……え、聞いてないです」
「伝えていないからね。それに、このワタシの貴重な魔力を使ってやったのだからむしろ喜んで支払われるべきだろう?」

 つう、と首から肩にかけて彼の指先が官能的に伝い肌が粟立つ。

 主人の微笑を目にしたのを最後に、細い指が撫でたのは主人が改めて噛み跡を残そうとしていた場所だったということを、私は身をもって思い知らされたのであった。


 *


 ──そうして、数か所歯形を残された部下が疲労で寝入ったのち。

「……本当に、今さら治癒魔法の修得などという手間隙をかけさせてくれるとは」

 傍らの主人は隣で散らばる部下の髪を柔らかく梳いて、小さく囁く。

「……放っておけばすぐ壊れようとする、向こう見ずな部下のせいで」

 彼がこぼした苦笑は、誰の耳にも届かず消えていった。


(2020夏企画)


ちなみに導入編開始前の話。この後魔銃を造ってもらった部下はなんだかんだ言いつつ非常に喜びました。