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 ──そういうわけで。
 ギラヒム様と私が訪れたのは、今回の戦場である広大な渓谷だった。
 今日はここで二つの陣営が争うらしい。人数の多い、大規模な戦いになることが予想される。

 今は争いが始まる前、一時の安寧の時間。
 私はギラヒム様から、同じ陣営の人への“挨拶回り”を命じられていた。

 当然、挨拶というのは大義名分だ。一時的に味方ではあるが、各々の目的によってはいつか剣を交えることになる可能性も大いにある。
 そんな勢力が揃った今、敵情視察を兼ねたこの挨拶回りはそこそこに重要なお務めであった。

 ──のだけれど、

「……何故このワタシがこんなところにまで来てお前のお守をしなければならない」
「わ、私一人だと大変そうな人をチラホラお見かけしたので! それにマスターの美しさを知らしめるいい機会だと思い……!」
「……お前、主人のあしらい方を身につけたとでも思っているだろう」
「う、バレてる……」

 結局、遠くから眺めているだけでも物騒な人たちが多すぎて、怖気ついた私は主人の同伴つきで戦場を巡ることに決めた。

 傍から見れば私たち主従も負けず劣らず異質な存在であることなど、露知らずに──。


▼敵じゃないのに敵すぎる魔女さん<シア>

「……あら、見たことのある顔だと思えば、魔族長さんと小犬ちゃんじゃない」
「!!」

 主人のご機嫌を損ねて冷や汗の止まらない私を一気に臨戦態勢へと追いやったのは、いつか耳にした艶やかな女の人の声だった。
 私が振り返る前に、傍らの主人がその正体を目にし唇を解く。

「……これはこれは、いつぞやの魔女様」

 予想した通り、その人は以前出会ったシアという名の魔女さんだった。まさかこんなところで出会ってしまうとは。
 同時に、さっきまであんなに不機嫌だったはずの主人が瞬時に猫をかぶったことに私は瞠目する。
 たまにあることだし普段も素は隠しているけれど、この変わり身の早さは流石の一言だった。

 魔女さんも主人の態度には何の違和感も覚えなかったらしく、警戒心を隠せていない私の方へと視線を送る。

「まさか同じ陣営なんてねぇ。その小犬ちゃんに噛み付かれないようにしないと?」
「う……」

 主人とは違った方向性の色気に一歩近寄られて呻き声が上がる。相変わらず寒そうだし、胸囲の格差社会を感じさせる立派なモノを抱えていらっしゃる。

 すると傍らの主人が私の頭に手を置き、その背に隠すように引き寄せた。

「駄犬には違いないですが、戦場では重宝するのでね」
「!! ま、マスター……!?」

 唐突に与えられた評価に思わず彼を仰ぎ見る。普段の扱いは雑だけれど、本当は大切に思ってくれているのだろうか。
 期待の眼差しで主人を見つめると、彼は整った笑みをたたえ、一言付け加えた。

「──肉壁として」
「マスター…………」

 やっぱり、どこであっても誰に対しても部下を弄ることは忘れない主人であった。


▼いつも見てる魔物に似た子は安心する<ウィズロ>

「マスター、おっきなポウがいますよ!」

 次に出会したその子は、立派な見た目の幽霊だった。正確にはポウではないのかもしれないけれど、外見はすごく似ている。
 いずれにせよ私の目には普段お世話をしている魔物の子たちの成長後の姿にしか見えず、大いにテンションが上がって主人のマントを引っ張ってしまった。
 が、はしゃぐ部下に対して彼の反応は冷ややかなものだった。

「あれはポウよりかウィズローブの近似種だろうね」
「ウィズローブって、初耳の種族……。ポウ族の子たちと何が違うんですか?」
「な、なんだこいつらは……魔族と、人間……?」

 幽霊さんも私たちの存在に気が付いたらしい。ローブの下から覗く赤い一つ目が怪しいものを見る眼差しでぎょろりとこちらを窺う。
 だが今の私にそんなことは気にならなかった。それよりも、

「マスター! 今この子喋りましたよ!」
「別に珍しくないだろう。つまらないものばかりを見ているなら置いていくよ」
「つまッ……!?」

 喋り出した幽霊さんに私の好奇心はくすぐられてばかりだった。のだけれど、彼の興味の琴線には全く触れなかったらしい。
 そしてショックを受けたらしい幽霊さんの一つ目があった部分に、今度はわなわなと震える口が浮かんで見えていた。一体どういう仕組みなんだろう。

「き、貴様ら……この私に向かってなんて態度を……!」
「あ、ごめんね。マスター今そんなに機嫌良くないから後にしたほうがいいかも」
「何故上から目線なんだ小娘ッ!!」

 怒り出した幽霊さん。しかし、癖の強い人が多そうな戦場でこうして情緒豊かな魔物を見ているとかえって安心感を抱いてしまう。私も疲れているのかもしれない。

 ──というところで、ようやく私は飽きた主人の後ろ姿が既にはるか遠くへ離れてしまっていることに気がついた。名残惜しいけれど、幽霊さんとはここでお別れだ。

「あ、でも最後に一つ……!」
「な、何だ……!?」
「……何食べたら、そこまで立派な魔物になれたんですか?」
「バカにしているのか、貴様ッ!!」


▼話を聞いてくれないタイプの武人さん<ヴァルガ>

 怒り狂う幽霊さんを宥めて解放された時には、完全に主人の姿を見失っていた。絶対に一度はやらかすと思っていたけれど、まさかこんなにすぐ迷子になるとは……。
 とにかく、身の安全のためにも早く主人と合流をしたい。私は彼の魔力をたどりながら一人戦場を巡り、

「…………」

 ──そして、自分でも気づかないうちに“その人”を目の前にしていた。

 一見して、“武人”と言うべき風貌だった。
 ひどく大柄な体躯はそのほとんどが真っ赤な装甲に包まれていて、身の丈ほどの長さの槍を携えている。

 ある程度の距離を保ちながらも立ち尽くした後ろ姿から伝わる覇気に、本能が警鐘を鳴らしている。
 その指示に素直に従い、私は音をたてずゆっくりと踵を返した。

 だが、それですら目の前の武人からしてみればあまりにも遅すぎる判断だったと、私は思い知らされる。

「おい、貴様」
「!」

 踏み出そうとした私の足は、鋭く光る槍の穂を顔の真横へ添えられたことによりすぐさま制止をする。詰められるには数秒を要する間合いがあったはずなのに。
 冷や汗が背筋に伝い、首だけを捻って背後へ視線を向ける。武人さんは刃を完全に静止させたまま低く問いかけた。

「見たところ人間のようだが、魔族の匂いがするな。……そしてトカゲ族の匂いもだ」
「……トカゲ族?」

 まず投げかけられたのは半ば予想していた言葉だった。が、後に続いた予想外の種族名に私は思わず聞き返してしまった。

 トカゲ族と言えば、魔族の中でも一番仲の良い先輩リザルフォスが即座に思い浮かぶけれど、彼は今回同伴すらしていない。
 加え、ギラヒム様と違い彼とは四六時中一緒にいるわけではない。匂いとやらはそれでもついてしまうものなのか……。

 疑問を巡らせながらもとりあえずこの場から逃れることを優先し、私は武人さんを刺激しないよう丁重にお返事をする。

「えーと、仲の良いリザルフォスが一人いまして、それでかと……」
「仲の良い、だと?」

 ようやく武人さんは私に向かって首を捻った。
 立派な兜の下の表情は半分も読み取れないが、鋭い眼光を注がれているのはわかる。全身にのし掛かる圧力に、膝を屈してしまいたくなった。

「誇り高きリザルフォスが心を許すなど……小娘、貴様何者だ」
「か、飼い主が強烈なだけのただのモブですっ!」

 訳もわからず突き刺される敵意に私は慌てふためき弁解をする。しかし数秒間を置いた後、武人さんは突きつけていた槍をあっさりと引っ込めた。
 意外に話がわかる人だったのかと安堵の吐息をこぼした、瞬間。

「……ならば、手合わせ願おう」
「て、あわせ?」

 意味深な一言と共に武人さんが槍を地に突き立てると、その身は一瞬にして真っ赤な業火に包まれる。
 呆気にとられた私の目の前に現れたのは、

「へ」

 ──灼熱の炎を纏った、巨大な“竜”だった。

 ああ、だから似た種族のリザルフォスにやたら執着していたのか。……なんて呑気なことを考えている場合じゃない。

「だから……私は食べても美味しくないモブですってッ!!」

 悲痛な叫び声を上げ、私はなりふり構わず全力で竜から逃げ出す。しかし悲しいかな、こちらはほぼ普通の人間であるのに対し、追ってくるのは立派な翼を持つ巨大な竜だ。
 あっという間に距離を詰められ、間近で上がる咆哮に私の判断は狂わされてしまう。

 そしてその末、私はここが高低差の激しく非常に崩れやすい地盤を持つ渓谷だということを失念し──、

「あ……、」

 それを思い出した時には、予告なしに足元の地面が崩れ、高い崖から真っ逆さまに落ちていた。

「──ッ!!」

 まさか、ギラヒム様にも再会出来ず迷子のまま終わるなんて……!!
 重力に逆らえず、声も上げられないまま私は谷底へ一直線に落下していく。あの竜のような翼を持たない私はもはや両目を瞑って祈ることしか出来ない。

 ──が、来たる結末は、いつまで経ってもやって来なかった。

「……?」

 痛みの代わりに私の体を包んだのは何かに体を受け止められたという感触。状況が理解出来ず、恐る恐る瞼を開いて視界に飛び込んできたのは、

「おいおい……まだ始まってもないのに人が落ちてくるなんて、どうなってやがるんだ?」

 夕焼けの色をした、長い髪だった。


▼姉さんとの出会い<ミドナ>

「た、助かった……」
「危ねーなー。あのまま落ちたら死んでたぜ、オマエ」
「あ、ありがとうございます……」

 地面に解放された私は息を切らしながらその場に跪く。
 さっき落ちたばかりの崖を見上げると、あの赤い竜が追って来る気配はなかった。唐突に獲物が崖から落ちて姿を見失ってしまったのか、あるいは諦めたのか。どちらにせよ不幸中の幸いだった。

 ようやく落ち着きを取り戻した私は安堵の吐息をこぼし、助けてくれたその人に目を向ける。
 改めて見ても彼女は見たことのない種族──もしくは人種だった。

 身長は私の半分ほど。頭には重そうな冠らしきものを被っていて、先ほど私を受け止めた長い髪は今が本来の大きさなのか冠の後ろで結われている。
 一見小さな女の子にも見えるけれど、その立ち振る舞いにはどこか妖艶な雰囲気が漂っている。

 悟られないようそこまで分析すると、今度は彼女の方から私の姿をまじまじと見られ、その瞳が小さく見開かれた。

「よく見たら……オマエ、あのヤバそうなやつと一緒にいた人間?」
「ヤバそうって……」

 彼女の言う人物が主人を指していることはすぐにわかった。どうやら一緒にいるところをどこかから見られていたらしい。
 彼女は瞳にわずかな警戒心を宿して、低い声で続ける。

「……さっきシアと話していたな」
「へ、は……はい」
「オマエ、シアの関係者なのか?」

 剣呑な眼差しを向けられ、私は理解する。どうやら彼女が敵愾心を抱いているのは主人に対してではなく、あの魔女さんに対してのようだ。
 内心で若干の安堵を覚えながら、私は首を横に振る。

「いや……全然です。前に会ったことがあって今回同じ陣営ってだけで。何ならあの魔女さんを見てると自分の胸の無さが悲しくなるからあんまり近寄りたくないくらいで……」
「……よくわかんねーけど、仲間じゃないならいいや。なんか必死そうだし……」

 私の口振りに、彼女は若干引きながらも納得してくれたみたいだ。詳細はわからないけれど、あの魔女さんに何らかの因縁があるらしい。
 つくづくここはいろんな思惑が絡んでいる、本当に不思議な戦場だと思い知らされた。

 警戒を解いた彼女は『ミドナ』と名乗った。聞くと、彼女も私たちと同陣営に属しているらしい。

「にしても、なんでオマエは一人で死にかけてたんだ? 魔族長と一緒じゃないのかよ」
「純粋に置いてかれてはぐれちゃって。危ない人と出会す前に合流しようと思ってたらさっきのあんな目に……」
「へぇー、抜けてんだな。それに危ないって言ってもオマエのところの魔族長も充分ヤバそうな空気が漂ってる気はするけどなー」
「実際ヤバいので何も否定出来ないですねー……」

 ここまでの会話を主人に聞かれたら絶対怒られるのだろうけど、置いていかれた恨みも少しはあったため気にしないことにした。

 と、主人の姿を思い浮かべ、ふと私の頭に疑問が浮かぶ。

「でも、なんで助けてくれたんですか? 私がマス……魔族長の部下だとわかってて」

 彼女と幾分か打ち解けたこともあり、素直に気になったことを尋ねてみる。するとミドナさんは数秒きょとんとした顔を見せた後、ほのかに頬を赤らめて目を逸らした。

「べ、別に理由なんてねーよ。個人的に因縁のある奴は何人かいるけど、それ以外の奴らに対しては何も思っちゃいないしな」

 かわいいなぁと思いつつ、彼女の口振りから魔女さん以外にも敵対心を持つ人物がいるのだと察した。
 この戦場に参加したのは何か理由があるのだろうが、そこまで聞くのは野暮というものだろう。

「どーせ、後々嫌でも腹の探り合いになるだろうし、結果敵になるならその時はその時で容赦なく戦うだけだしな」
「────」

 いくらか思惑の滲んだ表情はしているものの、何でもないことのように言い切るミドナさん。
 私はその姿を目にし、しばし呆気にとられる。

 ……なんていうか、かっこいい。
 ざっくばらんな彼女の姿を見て、私はそんな想いを抱いてしまった。
 そうして私は羨望の眼差しをたたえながら、ある考えに至る。

「一つ、いいですか」
「え?」

 ──この時、生まれて初めて“憧れの女の人”を持った私は、

「宜しければ」
「お、おう」
「ぜひ、姉さんと呼ばせて下さいッ……!」

 真顔でそう頼み込み、当の姉さんに大いに引かれたのであった。


▼癖が強くなければ支配者にはなれないのかもしれない<ザント>

「次に離れたら首輪をつけて四つん這いで戦場を歩かせるよ」
「ごめんなさいでした……」

 ミドナさんと名残惜しいお別れをした後、私はようやくはぐれた主人を発見し、合流を果たした。
 離れていた分のお仕置きはしっかりと受け、私たちは再出発をする。

 次に出会したのは、ミドナさんと別れる際に「気を付けろ」と聞いていた人物、まさにその人であった。

「あの人……!」

 息を呑み、無意識にも身震いをしてしまう。
 もしかしたら主人と同等の力を持っているかもしれないと思うほどの気迫が、その人物から感じられたからだ。同陣営とはいえ、警戒をするに越したことはないだろう。
 万が一のことがあった時、彼の盾になるのが部下の務めなのだから。

「──で? その部下のお前は何故主人の後ろに隠れているのかな」
「だ、だ、だって私が出て行っても絶対相手出来ませんよあれは。絶対無理、こわい、おんなじ陣営でも無理です。私マスターの相手専門ですもん」
「……おい」

 その人物からは、見るからに怪しすぎる空気が漂っていた。
 第一に、すごく体が曲がっている。何の最中なのか見当もつかないけれど、後方に向かって大きく体を反って天を仰いでいた。もともとそういう姿勢の生物、という訳ではないはずだ。
 頭部そのものにも見える奇怪な仮面を被っていて、何を考えあの行動を取っているのか全く読み取れず、ひたすらに怪しさを助長させていた。

「あ、あれが影の王様……?」
「そうだとも、半魔の娘よ」
「ッぎゃあ!!」

 たった今まで正面にいたはずのその人の声が今度はすぐ背後から聞こえ、素直な悲鳴があがった。微かに驚きを見せるギラヒム様の腰へ、私は即座にしがみつく。この人も瞬間移動を使えるらしく、奇妙な姿勢をしながら私たちのことを認識していたようだ。
 そして何より、近い。ギラヒム様もだけど魔族の偉い方々は全体的に距離感がおかしいと思う。

「その恐怖と絶望、影の王を前にして当然の反応である。安心してひれ伏すがいい」
「ひ、ひれ伏すのは慣れてるのでいいんですけど、とりあえず近いんで離れてください……!」

 仮面越しとは言えこの近距離は恐怖でしかない。何より板挟みになった主人の氷の視線が何故か私に突き刺さって、別角度の恐怖にも苛まれてしまう。

 影の王さん(ミドナさんは偽りの、と言っていたけれど)は満足したのかようやく数歩離れてくれた。
 しかしまたすぐに大袈裟な身振りで両手を広げ、今度は主人に向かって体を向けた。

「時に、其方は噂に聞いた魔族長と見る」
「……フッ、わかりきっていたが、まさか影の世界にまで知れ渡っているとはね」

 恐怖に捉われる私に対し、ギラヒム様の余裕が崩れる気配は全くない。
 私がこの場から逃げずに踏みとどまっていられるのも、彼の落ち着きがあるからこそだった。腰にしがみついてるから、というのもあるけれど。

 影の王さんはこちらの様子は気にも留めず、朗々と続ける。

「確かに貴様の力は並大抵のものではないと見受けられる。──しかしッ!」

 そう区切り、彼の両手は天へと掲げられる。
 まるで私たちには見えない神からの啓示を受けたかのように。そして、

「私こそが、この戦場で最も我が主にお力添え出来る存在であるという事実は覆せないッ!!」

「……ほう?」

 絶対的な自信に溢れた言葉とともに両腕を魔族長へと突きつけ──、対する主人が漏らした殺気を孕む声音に、私の背筋が凍った。

 それはギラヒム様にとって、最も地雷である喧嘩の売り方だ。

「ま、マスター、まともに聞いちゃだめですよっ……! ね?」
「……ああ、当然わかっているとも。世迷言はいくら喚いても荒唐無稽な妄言でしかない。故に、その仮面の中の脳を切り刻んで矯正してあげないとねぇ……!!」
「後半全くわかってないじゃないですか!!」
「その通りッ! 魔族の長ごときに王たる私が戯れる理由などないッ!!」
「……あァ?」
「張り合わなくていいですマスター!! 同陣営ですから!!」

 かくして。
 ちっぽけな部下ごときに止められなかった支配者同士の争いは、小さな谷が一つ分消えるという凄惨な結末を迎え、終焉したのであった。


▼果てに行き着く彼の主の面影<???>

 こうして様々な人に出会って、時には戦って。
 最後の最後、行き着いた果ては──少しばかり“特別”な人のもとだった。

「…………」
「……マスター?」

 傍らの主人は表情には出さないものの、心なしか緊張しているようにも見える。
 珍しいどころか、初めて見る姿だと思ったが無理もないことだろう。

「……やはり、同じではない」

 おもむろに呟いた彼の声音は、自身に言い聞かせるような複雑な感情を滲ませていた。
 私は唇を結んだまま視線だけを彼の横顔へ向け、その続きを待つ。

「だが……似ている」

 その声の響きが純粋な喜びに満ちたものなら良かったのかもしれない。
 だが実際に在るのは葛藤を含んだ迷いだ。そこには部下の身で理解をするにはおこがましい程の深さがある。

 でも、それでも。

「嬉しいと思っても、きっと大丈夫ですよ」
「…………、」

 ギラヒム様は微かに目を見開き、視線だけを私へ寄越す。それに対し返すことが出来るのは小さな笑みだけだった。

 今だけはきっと、許されるはずだ。
 この特別な地で。様々な思惑が交錯しあった、奇跡のような世界で。

 いつか私たちは、自身の戦場へ戻るのだから。
 ──だから、せめてそれまでは。

「フン、こちらの世界でも生意気は粛正されなかったか」
「マスターの部下である限り、私はきっとそのままですよ。どこであっても」

 最後に一度だけ、互いに笑みを浮かべ合い、
 私たちは陣営の総大将──守るべきヒトのもとへと、歩き出した。


(2020夏企画)