Log


*series設定ですが、女神側にも普通に会える世界線のお話


「──というわけで、」

 手のひらに乗せた小瓶。その中でころころと転がる小さな星屑。温かな灯火のような色をしたそれを一杯に映し、黄色の両眼が丸くなった。

「なンだこれ?」
「“こんぺいとう”ってお菓子。頑張って手作りしてみましたっ」

 グッと拳を作ってガッツポーズをとる私と星屑たちを見遣り、黄色の目の持ち主──リザルフォスのリザルは訝しげな視線を送る。
 初めて見る食べ物に対して本能的に警戒心を抱いているのだろう。大地に生きる魔物として、それは当然のことだと思う。
 試しに小瓶を開けて、手のひらに一粒転がしてみる。それを自分の口に運び、かみ砕いてみた。

「んむ、甘い」
「ふーン。まァ、お嬢の行動が突拍子ないのはいつものことだケドよ……」

 異種族である後輩の行動に頬を掻き、リザルが吐息する。
 理解はせずとも許容はする大らかな先輩。彼はその視線を私の腕にぶら下がるバスケットへと移して、

「その小瓶、いくつ作ってあンだ?」
「ん? んーと……二十個くらいかな」
「どンだけ食うつもりだよ」
「あ、ううん、私が食べる用じゃないの」
「ンあ?」
「これは日頃の感謝を込めてみんなに渡す、“感謝の気持ち”ってやつ」

 リザルから返ってくるのは「はァ」という生返事だ。魔族には贈り物という文化がないから、わざわざ他人に食べ物を渡す気持ちが理解できないのだろう。
 バスケットの中には私が手にしている小瓶と同じ、星屑を詰めた小瓶がずらりと整列している。一つ一つは小さいとは言え、ここまで作るのはかなり骨が折れた。

 と、苦労を乗り越えた満足感に浸っていると、リザルが続けて、

「魔物どもにバラまくには、足りなくね?」
「あー……魔物の子たちに配りたいのはやまやまなんだけど、それはキリがないし、たぶんお肉の方が喜ばれるかなと思って」
「ンじゃ誰用なンだよ」
「……空の人も含めた、いろんな人たち」
「まじか」
「まあ、大人の事情とかいろんなものがありまして……」

 そう。この中の一部……というより半分以上は、魔族ではなく女神側の人物に渡すために作られたものだ。
 立場的にそれがよろしいのかと問われると疑問ではあるけれど、魔物の子たちはこういうものでは喜ばないので致し方ない。

「今日は特別。“ぶれーこー”ってやつ!」
「感謝すンのに無礼講なァ……ま、お嬢が良いならいいケドよ」

 相変わらず呑み込みが早いリザル先輩。彼に言った通り、今日は女神も魔族も関係なくこれを配り歩くつもりだ。
 中には無事渡せるのか不安な面々もいるけれど、なんとか全て配り終えたい。

 ──そんな流れで、私の“感謝の気持ち”運びは、始まったのだった。


▼最初は大感謝の大先輩<リザル>

「それで、やっぱり最初に渡すのはリザルかなって思って」
「ご主人サマじゃねェのは……あの人が特別枠だからか」
「さすが先輩、いろいろと察しが良い」

 主従への理解が深いリザルは「あンがとよ」と言って小瓶を受け取ってくれた。
 いろいろ事情を説明した直後だというのに、こうして改めて贈り物をすると少しだけ気恥ずかしくなってしまう。

「リザルは……うん。なんだか感謝しかなくて、改めて何て言ったらいいのかわからないかも」
「わざわざ何か言わなくてもいいッての。気色悪ィ」

 私が魔族として生きてきて、主人の次に親しくなった魔物がリザルだ。
 頼れる先輩として、苦楽を共にする魔族部下ズとして、そして時にはトカゲ族の長として、彼にはあらゆる場面で助けられてきた。彼がいなければ私はとっくに死んでいたと言っても過言ではない。
 リザルもそんな感慨が湧いてきたようで、黄色い目を細めて肩を竦める。

「ま、感慨深くはあッケドよ。絶対にすぐ死ぬって思ってた人間のガキがここまで生きてンだからな」
「それは私自身もびっくりかな……」

 リザルと出会ったのは私が大地に降りてきてから約一年後。それまでの私にとって、主人以外の魔物たちはいつ襲われるかわからない恐怖の対象であったけれど、その不安はリザルに出会ったことで変化をしていった。
 魔物としての理性を持ち合わせているだけでなく、冷静な判断を下せる、さらに仲良くなった今では広い懐を見せてくれる頼れる先輩。彼にはこれまでも、これからも、たくさんお世話になっていくのだろう。

「そんなリザル先輩にはいつか、ちゃーんと恩返しをさせていただきたい所存で、」
「あーあー、ウザってェからそーゆーのはいい」

 私が恭しく頭を下げるとリザルは心底嫌そうな顔をした。謙遜ではなく、本当にいらないという顔だ。
 据わりが悪そうに「ンあー」と頭を掻いたリザルはプイとそっぽを向く。そのまま話は終わるかと思ったけれど、リザルがぽつりと呟いた言葉に私は目を丸くして、

「お前ら主従にゃ、死なずにいてもらえばそれでいい」
「────」

 淡白に言い切られたその言葉。数秒置いてその意味を飲み込んだ私の胸奥には、温かな熱が湧いてきた。

「リザル先輩はやっぱりかっこいいなぁ……」
「なンでそうなるンだよ、寒気がする」

 やっぱり、リザルから返ってくるのは心から辟易とした苦い顔だった。


▼敵であり、『勇者』であり、そして<リンク・ファイ>

 親しい先輩に「ご主人サマがへそ曲げる前に帰って来いよ」と見送られ、私は空の世界へと訪れていた。
 早速街を巡り、すぐに見つけたのは目立つ緑衣を纏った青年。私は彼に声をかけ、少しだけ驚かれながらも二つの小瓶を差し出す。

「嬉しいけど……もらっていいのか?」
「うん。嫌いじゃなければ、ぜひ」

 ──『勇者』、リンク君。魔族にとっての最大の宿敵だ。
 彼は敵である私から遠慮がちに小瓶を受け取り、空色の目で中の星屑を眺める。少しだけ戸惑いながらも、どちらかというと申し訳なさを感じているのだろう。彼の生来の人の良さが滲み出ていた。

 そんな様子を見て「毒とかは入っていないから安心して」という言葉が喉元まで出かかった、その時。

「──分析の結果」
「わ」

 二人の耳に、透明な声音が響いた。一拍置いて彼の背中の剣からふわりと現れたのは、青色の美しい精霊。
 二つの小瓶のうち一つを渡そうとしていた相手だった。

「ファイ?」
「注目の対象、金平糖菓子に含まれる毒素はゼロパーセント。肉体に害を及ぼす可能性は極めて低いと推測されます」
「ど、毒素って……」
「ほらリンク君。優秀な相棒さんもこう言ってるし」

 平板な声のナイスフォローに私も追撃をする。やはり剣の精霊さんのアシストは優秀だ。
 リンク君はまだ少しだけ迷う素振りを見せたけれど、一つ頷き、ようやく笑みを返してくれた。

「ありがとう。いつかお礼するよ」
「んーん、気にしないで。……それに、次にリンク君に会うときは戦うことになるかも、だし」
「……そうだな」

 いつかに待ち受ける現実を見据え、お互いに苦笑を交わす。
 本当は、こんなコウモリのようなどっちつかずなことをするのは良くないのだろう。
 けれど私にとって、彼は敵以前に騎士学校の同級生だ。時に殺し合いをする相手であっても憎めはしない、というのが私の人間としての本音だった。

 そこまで考えると、やはり私は『半端者』なのだと思う。
 ……それでも、こんな『半端者』だからこそ出会えた人たちもきっとたくさんいるから。

「次は負けないから、覚悟しててね」
「そっちこそ」

 私は空色の目を正面から見据え、小さく頷いた。


▼『友達』でありたい子<ゼルダ>

「わあ、すごくかわいい!」
「もしよければ、フィローネの森のおばあちゃんにもぜひ渡してあげて」
「ええ! きっと喜ぶわ」

 騎士学校の同級生、ゼルダちゃんは蒼い大きな瞳の中に星屑を映し、きらきらとその目を輝かせた。
 彼女もリンク君と同じく、魔族にとっての対抗勢力だ。けれど今は、こんなささやかな贈り物にも喜んでくれる天使と言える存在だった。

 ゼルダちゃんは二つの小瓶を受け取り、大事そうに抱え込む。その姿を見た私もちょっとむず痒いような、でもとても温かい気持ちが湧いてきた。

「いつかまた、ゼルダちゃんとお菓子作りしたいな」
「うん、わたしも。それにいろんなお話聞きたいわ。リシャナのことも……リシャナが好きな人のことも」

 さらりと付け加えられた鈴の声音に「むぐ、」と言葉が詰まる。
 苦い顔をした私に、ゼルダちゃんからは桜色の頬を緩めた可愛らしい微笑みが返ってきて、

「えっと、ゼルダちゃん……私が好きな人のことは、いろいろな意味で聞かない方が良いんじゃないかと……」
「そんなことないわよ。リシャナのお話を聞くことに悪いことなんてないわ」

 胸を張ってそう言い切るゼルダちゃん。ゼルダちゃんがそう言うなら、と納得してしまうのは彼女の清純さゆえなのか、それとも彼女の中に眠る血がそう思わせているのか。

 ……本当なら、彼女と私たちの間に絡む因縁は根深いもののはずだ。
 それなのに、こんなふうに真っ直ぐ“私”を見つめてくれる優しい眼差しは、彼女の役割とは関係のない、彼女自身のものなのだろう。

「だから、ね? また会いに来て、リシャナ。わたしはいつでも待ってるから。約束」
「……うん。約束」

 細い小指を絡め合い、笑顔を交わす。
 来たる未来に私たちの関係性がどうなっているのか、それは誰にもわからない。

 けれどこの約束は、いつまでも覚えておきたいと思った。


▼腐れ縁ってやつかもしれない<バド>

 騎士学校の同級生はまだまだいる。彼とその下っ端にこれを渡すか正直迷ったけれど、私は胡散臭げな顔をする彼に会いに行った。

「“感謝の気持ち”だぁ? なんで鳥ナシがんなもん俺に渡すんだよ?」
「んじゃ、渡さない」
「いらねぇとは言ってねぇだろ!! 三つとも寄越せ!」
「だから、二つはラスとオストの分!!」

 おっきな声と図体で私を引き留めるバド。
 昔から犬猿の仲である私たちはいつもと変わらずぎゃあぎゃあと言い争い、最終的には小瓶をぶん捕られる形で私が敗北した。

「仕方ねぇから受け取ってやる! ありがたく思うんだな!!」
「アリガトウゴザイマース。……ちゃんとラスとオストにも渡してね」
「わぁってるよ!」

 これはラスとオストには直接渡した方が良かったかもと少しだけ後悔しつつも、先に出会ってしまったものはしょうがない。
 星屑の行く末を一旦胸に仕舞った私。対するバドは何かを思い出したように「そーだ」と切り出し、

「そういや、あのバアさんは元気か?」
「バアさん……って、フィローネの森のおばあちゃんか。私は会える立場じゃないからわからないけど……ゼルダちゃんの話を聞く限りは元気だと思うよ」

 私がそう返すと、バドはどこか安心したような顔を見せた。
 もう少しで騎士学校の試験の時期だから大地へと降りられず、あのおばあちゃんのことが気掛かりだったのだろう。
 自分の表情が緩んでしまっていたことに気づいたのか、バドは気を取り直すように大きく鼻を鳴らした。

「そろそろオレ様が行ってやらねぇと寂しがるだろうからな。まったく、モテる男は辛いぜ!」
「……そだねぇ」

 肩を広げて胸を逸らすバド。その結論に突っ込みたい気持ちはあったけれど、それは無粋なことだろう。
 そしてなんだかんだで、彼に星屑を渡して良かったなと私は思ったのだった。


▼私にとってのひだまり<ホーネル>

 星屑を渡したい相手は同級生以外にもいる。
 私は騎士学校へと訪れ、その足で迷いなく教員室へ向かった。

「ありがとう、リシャナ。大切に食べるよ」
「うん。召し上がれ」

 最初に訪れたのは騎士学校教師、学科担当ホーネル先生のもとだ。彼は穏やかな笑顔で私を迎えて、和やかな声音でお礼を言ってくれた。
 いつだって彼の声はとても落ち着く。授業を受けていた頃は子守唄だなんて思っていたけれど、一方で彼の鷹揚な雰囲気には何度も救われてきた。

「アウールのところにもこの後顔を出すんだろう?」
「……うん、もちろんそのつもりなんだけど」

 その人物の名前を聞き、歯切れの悪い私にも変わらず先生は微笑んでくれている。
 私はその微笑みに促されながら、おずおずと続ける。

「……せんせいに何て話せばいいのか、まだ考え中」

 先生は笑うことも呆れることもなく、ただ優しげに「そうか」と頷いた。
 私がホーネル先生のもとに訪れるのは、昔からこんな時だ。彼の双子の兄弟であるあの人に言えない悩み事がある時。
 ……かつて先生はそんな私のことを『家族』と言ってくれたけれど、今もそう思ってくれているだろうか。

 きっとそんな迷いも彼は見透かしているのだろう。
 ホーネル先生は私に温かな眼差しを送り、一度顎を引いた。

「どんなことを話しても、あいつはリシャナの話なら聞き入るさ。……むしろ、どんなことでも話してほしいと思っているだろうな」
「……そう、かな」

 頷く彼に、自然と口元が緩む。
 そして少しの間、私は彼のもとでひだまりの暖かさを感じながら平和で静かな時間を過ごしたのだった。


▼実は気になるあの人たち<クラネ・キコア>

 次のターゲットは二人一緒にいた。
 相変わらず仲が良い。早くくっつけばいいのにと下世話な感想を抱きつつ、私は彼らを呼び止めた。

「あら、私とキコアくんにもくれるの?」
「うれしいよ。ありがとう、リシャナ君」
「いいえー」

 騎士学校の上級生であるクラネ先輩とキコア先輩。私が騎士学校時代に唯一交流があった先輩方だ。
 二人とも真面目で実直な、いわゆる模範生。そんな彼らが問題児である私に優しくしてくれたのは、とてもありがたいことなのだろう。

 という感慨をよそに、クラネ先輩は小瓶を受け取りながら小さく小首を傾げる。

「“感謝の気持ち”って、私、リシャナに感謝されるようなこと、出来た覚えないけど……」
「いいえぇ、空にいた頃からすごく感謝してますよ、お二人ともに」

 ちょっとだけ不安げなクラネ先輩に私は首を横に振る。
 そして私はクラネ先輩のもとへと歩み寄り、こっそり耳打ちして、

「……人の恋路って、見てて楽しいじゃないですか」
「娯楽だと思ってるでしょ、あんた」
「応援してるんですよ、心の底から」

 キコア先輩はその光景を見て「二人は仲が良いな!」とニコニコだ。そんな彼に見られないよう訝しげに眉根を寄せるクラネ先輩へ、私は心の内側で舌を出す。

 今後も私やゼルダちゃんにとって、動向が気になる二人なのだった。


▼剣の道の始まり<イグルス>

「おお、甘いものは大好物だぞ。ありがとう、リシャナ」
「どういたしましてです」

 快活に笑いお礼を言ってくれた彼に、ぺこりと頭を下げる。
 剣道場の主であり、騎士長であるイグルス先生。大地に降り立ってからは滅多に出会うことはなかったけれど、私にとって、剣技の初歩の初歩を教えてくれたのが彼だ。
 そう考えると、今私が主人の隣で戦えているのは彼のおかげでもある。

「しかし、お前と会うのも久しいな。お前の剣技も、久しぶりに見てみたいものだ」
「えー……たぶん、イグルス先生が求めるような成長の仕方してないですよ」

 私の今の剣技は主人に教えてもらった死なないための、そして敵の命を奪うための剣技だ。
 一方で騎士学校で学んできたのは、言わば伝統を重んじ、心身の成長を促す手段としての剣技。
 同じことをしているようでその目的は全く違うし、必然的に身につける技術も変わってくる。

 それでもイグルス先生は「はは」と笑い、大きく頷く。

「なに、剣技の道に正解はない。強いていうなら、リシャナが剣のことを昔より好きになったなら、それに越したことはないよ」
「それは……そうですね」

 二重の意味で、とは付け加えなかった。
 彼の言う通り、剣に対する想いも理解も、昔に比べたら深いものとなっている。
 当然まだまだ足りないと思うけれど、彼の言う通り、その変化を素直に受け入れようと思った。

 渡すものも渡せたし、そのまま次の人のもとへ向かおうとした私は一歩踏み出そうとして足を止める。
 立ち去る前に、どうしても言っておかなければならない言葉があったことを思い出した。

 だから私はイグルス先生に改めて向き直り、きょとんとする彼へもう一度頭を下げて、

「……私と剣技を出会わせてくれて、ありがとうございました。先生」

 本当は、もっと早くこう言うべきだったのだろう。それでも今、こうして伝えられて良かったと思う。
 イグルス先生は満足げに頷き、大きな手を差し出す。今でこそ価値のわかる、何度も剣を握って豆だらけになった手だ。

 おずおずと伸びた私の手を、彼はその手でぐっと握りしめた。


▼空の世界の“味方”<アウール>

 特に意識していたわけではないけれど、やはり最後に訪れるのは彼のもとになってしまった。
 彼がいる場所は、誰に聞かずともわかる。やはり彼はこの時間、自家製菜園で植物の様子を見ていた。

 見つけられたは良かったものの、やっぱり何と話しかけたらいいのかわからない。
 踏ん切りがつかないままここへ来てしまった私は不審者のように物陰に潜んで、彼の様子を窺っていて──、

「そこにいるのはリシャナだろう?」
「!!」

 呆気なくバレた。為す術もなくなった私はしぶしぶ彼の前に姿を現す。
 騎士学校の実技担当であり──私の後見人、アウールせんせい。
 彼は少しだけ呆れながらも、昔と何一つ変わらない眼差しで私を見つめる。

「……なんでわかったの」
「わかるさ。……少し久しぶりだな」
「……うん」

 ぎこちない言葉を交わし、私はここに訪れた理由も告げられずもじもじと口籠ってしまう。なんでせんせい相手だと、言いたいことが空回りしてしまうのだろう。

 しかしせんせいはそんな私の様子を見ながら、何をしに来たんだとも聞かずに私が話し出すのを待っていてくれる。
 彼の視線に見守られながら私は心を決めて、おそるおそる小瓶を差し出した。

「これ、作ったの。ぷれぜんと」
「これは……“感謝の気持ち”、か?」
「うん、そう」

 星屑を目にし、せんせいは数度瞬きをする。
 やがて彼は小瓶を大切に握り、優しげな笑顔をたたえた。

「ありがとう、リシャナ」

 アウールせんせいから受け取る「ありがとう」は、私にとって少しだけ響きが違う。
 温かで、柔らかで……どこか救われたような気持ちになる。
 それはきっと、彼がこの空の世界で一番最初にわたしの“味方”をしてくれた人だからだ。

 大地に降り立った今、私と彼はかつて空の世界で生きていた頃のような関係性には戻れないのだと思う。
 それでもこうして迎えてもらえて、“感謝”を伝えられるのは、とても幸せなことなのだろう。

「せんせい」
「ん?」
「また、来るね」
「……ああ、いつでも来い」

 大きな手が、私の頭を撫でる。空で生きていた時と変わらない心地の良い手の感触。

 ここで配ったたくさんの星屑の輝きを胸に仕舞い込み、私は『故郷』を後にした。


▼怒らせると怖い水龍様<フィローネ>

 大地へと戻った私。これから会おうとしている人たちを思い返し、「さあ大変だ」と改めて意志を固くした。

 ──のだけれど。

「悠久の時を生きる大精霊へ、魔族に魅入られた半端者が貢ぎ物、とな」
「……なんかすみません」

 早々にその意志は折れ、私は大量の冷や汗を流しながら鋭い眼光から目を背けていた。
 場所はフロリア湖。私にとっての因縁の地。そしてその人──大精霊、水龍フィローネは私にとっての天敵だ。
 フィローネは長い尾をくねらせ、剣呑な視線を真上から突き刺して鼻を鳴らす。

「無礼と知りながら、それでもこの地へ足を運ぶか。その思考の足らなさは魔族ゆえか、そなたのもともとの気質か。どちらにせよ、愚かなこと極まりないのう」
「いつも通りの散々な言われよう……」

 とは言え、ここへ踏み入った瞬間抹殺ということも有り得たのだから自分の悪運の強さに内心で胸を撫でおろす。
 そしてその様子を見破ったのか、人間の数倍ある手で小さな小さな小瓶をつまみながら、フィローネはしげしげと私を見遣って、

「愚かなりに、ここに来れば妾に殺されることは危惧していたようじゃのう。そうわかりながら何故ここへ来た」
「えーとまぁ、一応知り合いでもあり、私と初めて相手ありきの恋バナをした方でもあるので……なんとなく渡した方がいいかなと思い……」

 歯切れの悪い回答にフィローネは「ふむ」と腕を組み、考える素振りを見せる。
 最後に鋭い黒目にぎょろりと睨まれごくりと唾を呑み込んだけれど、それは数秒を置いて伏せられて、

「まあいい。これに免じて、八つ裂きはまたの機会にとっておくとしよう」
「あ、ありがとうございます!」

 これ、つまりこの星屑のおかげで命の危機はなんとか去ったようだ。
 しかしフィローネの言う通り、次またここに来て生きていられる保証はない。
 そこまで魔族を憎む水龍が、“感謝の気持ち”を受け取り何を思ったのか、魔族の私に知るすべはなし。
 そうあるべきだし、それでいいのだろう。


▼豪胆な殺意<ラネール>

 そんな経験をしながら再び殺される可能性がある場所へ訪れた私は自分でもどうかしていると思う。
 けれどこんなところまではるばる来てしまったからには、星屑を渡してしまいたい。

「魔族のくせに雷龍様に貢ぎ物なんざ、やっぱりイカれてる嬢ちゃんだなぁ!」
「またさらっと貶される……」

 かかか、と豪快な笑い声が響き渡る。雷龍ラネールは相変わらずの威勢の良さだった。
 なかなかに酷い言われようだけれど、悪意はないのだろう。一度剣を交えたからこそ、それはなんとなくわかった。

「しっかし、なかなかしぶてぇ嬢ちゃんだな! さすがはオレっちが見込んだだけあらぁ」
「それはどうもです……今後もお手柔らかに……」
「かか! それは無理な話だな!!」

 切なる願いも呆気なく跳ね除けられる。気の良い性格だけれど、次に私と剣を交える時は本気で殺しにかかってくるのだろう。それはたぶん、敵対する魔族に対する彼なりの礼儀なのかもしれない。
 と言いつつ、礼儀であったとしても彼の本気は私にとっての生命の危機なのだけれど。

「そんじゃあせっかくだ! 荒修行本気版、受けていけや!」
「いえ! お断りします!!」

 そんな具合に大剣を振り回そうとする雷龍のもとから、私は命からがら逃げ出したのだった。


▼癒し枠そのいち<機械亜人>

 今更ながら、この子に小瓶を渡すにあたって一つの疑問が湧いてきた。
 小瓶とその子を交互に見比べながら、私は小首を傾げる。

「ロボケロちゃんて、これ、食べられるの……?」
「ケロ?」

 ロボケロちゃん──もとい、ラネール砂漠の機械亜人。
 小瓶を渡そうと決めたものの、彼ら機械亜人は魔物と同様たくさんいる。故に代表の一台に渡すことに決め、私は彼のもとに訪れた。区別がつかないからこれは致し方ない。

 ロボケロちゃんは目をぴかぴかと点滅させながら、私が差し出した小瓶の中をじっくり観察する。外見からわかる情報を必死に集めているのだろう。
 ただ集められる情報には限界があったようで、彼は「ケロケロケロ」と唸って私に問いかける。

「これは珍しい石ケロ?」
「んー……砂糖の塊だから、ひろーい範囲ではそう、かな?」
「ケロ! それなら売ったら高く売れるケロ! ケロロ!!」
「売れるかわからないけど……まぁ、喜んでくれるならいっかぁ」

 なんとも適当な返事をしてしまったとちょっと反省したけれど、普段主人を連れてきて怯えさせてばかりだから、可愛らしい笑顔が見られてよかった。

 ロボケロちゃんは「お宝ダ!」と言いながら仲間のもとへと去っていく。
 やっぱり亜人の行動は癒されるなぁとほっこりしながら、私はその後ろ姿を眺めていたのだった。


▼癒し枠そのに<マチャー>

「へんな姉ちゃん、これなにキュー?」

 ぱちぱちと丸い目が瞬き、全身を傾けて問いかけられる。
 フィローネの森に住む亜人、キュイ族はかわいい。癒しだ。
 今までの行いから「へんな」人間と認識されてはいるけれど、数少ない逃げないでいてくれる友好的な亜人だった。

「あまーいお菓子。見たこと……はないか」
「キュー。はじめて見るキュ」

 当然だけど、大地の亜人にとってお菓子は馴染みがない食べ物らしい。一応森で採れた材料を使っているから体に悪いってことはない、はずだ。

「キューちゃんは癒し枠でお世話になってるから、ぷれぜんとです」
「キューちゃんじゃないキュ。マチャーだキュ。ありがとキュ」

 マチャーは短い手で小瓶を受け取り、物珍しそうに中の星屑を覗いている。
 そんな愛くるしい姿を見ながら、私は「それでね、」と切り出して、

「キューちゃんに一つ、お願いがありまして」
「キュー?」
「これから、渡すのに勇気がいる人三連続だから、十二分に癒されたくですね」

 ……そう、このタイミングでここに来たのはそういう理由もあった。
 この後控えている、星屑を届けようとしている面々は、これまで以上に渡すための勇気が必要な人たちだ。
 だからこそ、今のうちに存分に癒されておきたい所存だった。

 私は失礼しますと一言断り、丸い体を抱っこする。短い体毛と柔らかい体の感触がなんとも心地よい。
 慣れているのか嫌がる素振りも特に見せず、マチャーは「キュー」と一鳴きして蕩ける私の顔を見上げた。

「へんな姉ちゃんもへんな兄ちゃんも、やっぱりへんキュ」
「それほどでもー。んふー……」

 これは内緒の話だけど、キュイ族のもふもふ感は私の主人の心さえもつかんでいる。彼らの癒し効果は絶大だ。
 心ゆくまで癒されて、最後の三人に星屑を届けに行こう。
 だから今だけは、存分にもふもふしたい。

 もふもふ。もふもふ。
 もふもふ。


▼見届ける者<インパ>

「────」
「あ、あの……」

 気まずい。

 そもそもこの人が普段どこにいるのかすら、私は知らなかった。
 ゼルダちゃんに情報を聞き、なんとか見つけることが出来たわけだけれど、当然ながらめちゃくちゃ警戒されている。というか、何故きたこいつ感がすごい。

「えっと、毒とかは本当に、入ってないです。もし不安なら、リンク君やゼルダちゃんに聞いてください」
「…………」
「……やっぱり、いらないですかね?」

 苦し紛れに話しかけても彼女──シーカー族の戦士、インパからの返事は何も返ってこない。ただ、赤い瞳がこちらをじっと見つめている。

 警戒しているのは確かだけれど、それ以上の感情は読み取れない。
 やがてかける言葉を失い、困り果てた私が小瓶を戻そうとした瞬間。ふと、その目が伏せられて、

「……受け取ろう」
「!」

 彼女の手が小瓶のうち一つを掴み取った。もうこれは受け取ってくれないだろうと思っていた私は、しばらく目をしばたたかせる。
 しかしその後は感想を言われるわけでもなくお礼を言われるでもなく、また気まずい沈黙が戻ってしまった。

 それでも受け取ってもらえただけで満足だ。
 そう自分を納得させ、それじゃあ、と一言残して私がその場を立ち去ろうとした、その時だった。

「お前は」
「?」

 そう切り出した彼女に私は振り返る。
 彼女は赤い目を細め、その中に驚き顔の私を映していて、

「女神側の人間を、恨んでいないのか?」
「────」

 一つ、問いかけられる。
 それが純粋な興味なのか、何かの考えがあっての問いなのかはわからない。
 けれど茶化すのも誤魔化すのも違う気がして、私は静かに答えを返す。

「……さあ。どっちなのか、自分でもよくわかりません。現にこうして“感謝の気持ち”を配ってるわけですし」

 それが正直な気持ちだった。
 彼女が女神側の中で星屑を渡す最後の人物だ。
 少しだけ怖い思いはしたけれど、それでもみんな私の“感謝の気持ち”を受け取ってくれて、だからこそこの質問への答えは今導き出すことは難しい。

 インパは少しだけ逡巡の気配を見せた後に、くるりと踵を返す。
 そして、一言だけ告げた。

「礼は言わない。……私はただ、『運命』からこぼれる『半端者』の行く末を見届けるだけだ」
「────」

 それだけを残して立ち去る彼女の後ろ姿を私は見つめ続ける。
 いつか、赤い瞳の奥に秘められた感情の名前を知る時が来ることを願いながら。


▼たった一人の“同族”<ダークリンク>

「…………」
「え、えーと……」

 気まずい。

 たぶんこの人のことを一番知っているのは私だと思う。
 それでも普段彼がいるところなんて知らないのだから、こうして見つけられたことは奇跡と言ってもいい。
 だけど会えたからと言って、素直に話を聞いてくれるわけでないことは重々承知だった。

「あの……これ、受け取ってもらえたら嬉しいかなって、」
「馬鹿だろ、お前」
「う」

 ぐさりと返された一言に呻き声が上がる。
 彼、『勇者』の影であるダークリンクは、赤い目に心からの呆れを滲ませ表情を歪めた。

「わざわざこんなところにまで来てこんなものを渡して、どこまで能天気なんだよ。殺してやろうか?」
「うう……」

 過激な言葉に対して彼が剣を抜く気配はない。けれどおそらく、本気で苛立っているのだろう。

 何故なら、彼が私と同じ『半端者』だからだ。
 どっちつかずで中途半端なことをしている私が、同族として心から気に食わないのだと思う。
 事実、彼がそう思うであろうということはわかっていた。

「そもそも俺に“感謝”なんてする必要あんのかよ。……今でもお前を否定したいと思ってる俺に」

 そう付け足したダークリンクは本当に自分が“感謝”をされる謂れがないと思っているらしい。
 私は少しだけ逡巡し、やがて静かに唇を震わせる。

「必要性は、わからないけど」
「……?」
「この気持ちはやっぱり、“感謝”だと思う」

 そうこぼした私の言葉にダークリンクは赤い目をわずかに見開く。
 ようやく視線を交わした私たち。赤色の中に映り込む自分の姿を見ながら、私は続ける。

「同じ『半端者』がいるってこと。君にとっては憎い事実なんだろうけど。……私にとっては、救いでもあるから」
「────」

 言葉はない。しかし明白な驚きの気配が彼から伝わってきた。
 数秒を置いて、一つ舌打ちをこぼしたダークリンクは私の手から強引に小瓶を奪い取る。赤い目は最後に一度だけ私を睨み、それはすぐに逸らされた。

「……本当にバカなヤツ」

 短く吐き捨てて、彼は私の前から立ち去る。

 また会えた時は、彼の前で胸を張れる自分でありたい。
 私はそれだけを思い、最後に残る人のもとへと向かった。


▼世界で一番“感謝”をしたい人<ギラヒム>

 結局、この人が一番緊張するし、何から伝えたらいいのかわからない。
 でも。私にとっての全てで、あらゆるものの中での“一番”である人だ。

「──主人を放って一人勝手に抜け出して、さらに空の世界にまで出向くとは。躾が足りていないようだね? リシャナ」
「……ごめんなさいでした」

 ──魔族長、ギラヒム様。私の大切な大切な、主人。

 空の世界に訪れていたことはやっぱりバレてたらしい。氷の眼差しが突き刺さり、私は素直に頭を下げる。
 今日はこのままお仕置きコースなのだろう。けれど、

「お仕置き、受けます。でもマスター」
「何」
「……先に、受け取って欲しいものがあるんです」

 そう切り出して、私は主人の真正面に立つ。
 大きく開いた身長差。隣にいることが当たり前で、いつも見上げて、いつしか寄り添った居場所。それは私にとって命に代えても守り抜きたいものとなった。

「“感謝の気持ち”。きっとマスターへ渡すにはあんまりにも小さくて、これっぽっちじゃ全部伝えられないかもしれないですけど」

 星屑を運んだたくさんの人たち。
 空の世界にいた時に出会った人も、その後に出会った人も、きっと今の関係性となったのはわたしが私として生きることとなったからだ。

 わたしが私になって、この世界で生きて、さまざまな人に出会えたのは、今の私となれたのは、

「私の世界を変えてくれて、ありがとうございます、マスター」

 彼──魔族長ギラヒムのおかげなのだから。

 ギラヒム様はわずかに目を見開き、やがてその顔に美しい笑みを浮かべる。
 次いで彼は「仕方ない」と呟き、私に向けて手を伸ばして、

「……おいで」
「!」

 私の体を、自身の懐へと連れ込んだ。
 すっぽりと包まれる体。少しだけ冷たいけれど、すぐに熱を帯びる肌の感触。ちょっとだけ胸がざわつく甘い匂い。
 全てを全身で享受して、私はそこで深呼吸をする。柔らかく髪を撫でる手の感触が心地良い。
 甘やかな時間に溶けかける私に、彼は薄い唇を寄せた。

「リシャナ」
「……はい」
「……このまま、どうされたい?」

 低い囁きに私は目を見開く。
 今日は機嫌が良いのだろう。整った顔に数瞬魅入られながら、私はくすぐったさに体をよじって彼の胸に身を委ねる。そして、

「……ちゅー、したいです」

 素直なおねだりに「フ、」とこぼれる低い声音。途端、体を抱え直され彼の魔貌がグッと迫ってくる。

 恥ずかしさに溺れて瞼を閉じて、数秒。温かな唇同士が触れ合い、呼吸が止まる。
 淡い熱を分かち合い、離れた唇から漏れる吐息の感触すらも愛おしくて、私は再び彼の胸の中へと舞い戻った。

「せいぜい“感謝”するんだね。たったこれだけで、こんなにも甘やかしてあげる寛大な主人のことを、ね?」
「心からしてますよ。世界で一番感謝してますし……一番、想っています」

 彼が指でつまみ、掲げた星屑を私も見上げる。
 私が彼へ抱く星屑はもっともっと大きなものだ。
 ……願わくば彼の中に、この掲げた金平糖のように小さな小さな星屑たちが存在していたならいいなとも思う。

「マスター」

 彼の手に触れれば互いの指が絡み合い、幸福感に包まれる。視線を交わし合い、やがて惹かれるように再び触れる唇。
 この瞬間を、この気持ちを、いつまでも忘れないように。二人の奥底に仕舞い込むように。長く、長く唇を重ねる。

 そして私は、この世界をまた生きていくのだ。

「──大好きです。今までも、これからも」

 世界で一番、「ありがとう」を伝えたい貴方と。

(原作12周年記念)