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長編2-3_オルディン火山前哨戦



 ざわめく血の示す道標が主従を巫女のもとへと導く。

 山肌に沿って伸びる山道は上層に向かってほぼ一本道で造られていた。他地方からの道中と違い、鉱石の採掘に訪れる亜人たちの手によって人の足でも越えられるほどに整備されているためだ。
 山道はやがて火山内部をたどる道にまで続き、そこを抜ければ上層に位置する『大地の神殿』へ到達することとなる。初陣での戦地となった天望の神殿と同じ役割を持つ建造物だ。

 故に、巫女の一行が目指す地はその場所だという推測は容易に立てられた。そこに至るまでの道のりと神殿内は多くの魔物たちが監視をしているわけだけれど──、

「いた……」

 私たちがその後ろ姿を目にしたのは、山道の中腹。火山内部に足を踏み入れる一歩手前の、切り立った壁面に沿う道だった。

 朝の薄い陽光を反射して煌く金の髪。無骨な岩肌をたどり歩きながら、身に纏った真っ白な衣装が清純な美貌を際立たせている。
 ただ、その身を狙う脅威から姿を隠し、辺りを見回しながら足を進める様はやはり彼女が同じくらいの歳の女の子なのだと思わされてしまう。

 いずれにせよ、巫女──ゼルダを、私たちは見つけた。

「……一人?」

 目を凝らし、数十メートル離れた位置にある姿を見据えながら私は眉を上げる。
 フィローネの森では大地へ降り立った時から泉の戦闘で逃げられるまで、シーカー族の老婆と行動を共にしていた彼女。かの地からここに至るまでも同様に護衛がつくと予想していたけれど、今私と主人の目に映るのは彼女一人の姿のみだ。
 しかし単身でこの地までたどり着いたとは考えづらい。何らかの理由があって同伴者と離れているのか……もしくはどこかに潜んでいるのか。

 彼女にとっての死角である岩陰から頭を出して思考を巡らせていた私。その横で主人が一度鼻を鳴らした。

「理由はどうでもいいよ。捕まえて禊をさせるだけだ」

 部下の胸中を読んだように言い捨て、彼は切れ長の目で巫女を見遣る。それに倣うように私は防火コートについたフードを目深に被り、魔剣の柄に片手を置きながら顎を引いた。
 その様を横目に、主人が口角をわずかに上げる。

「か弱い少女を生け捕りにするなんて、ワタシの繊細な心が際限なく痛むけれどね」
「か弱い部下は昨日穴空けられかけたおでこが未だに痛みますけどね……」
「か弱い部下が誰なのかは知らないけれど、生け捕りでなく戦闘をご所望ならもう少しだけ手を出さずにいてあげようか?」

 旧友を捕まえるという行為を前にする部下に対し、彼は悠然とした微笑を送る。
 私に普段通りを装わせようとするその笑みは優しいというのか非情というのか。ともあれ私は彼の言葉に対して顔を上げた。

「……痛いのは嫌なので遠慮させていただきます。護衛が来る前に早いところ終わらせて──、」

 主人への軽口を紡ごうとした私の声音はそこで不自然に途切れる。
 瞬間、目標に向けて視線を送っていた主従の背後に──風となった黒い影が姿を現した。

 咄嗟に振り向いた私が両眼で捉えたのはその者の容姿ではなく、鋭利な殺気。

「シッ──!!」

 次いで鼓膜を揺らしたのは、風を切る閃音と短い呼気だった。
 瞬刻の間に真一文字に払われた赤い刃は私の体を上下に両断する寸前、突き出した魔剣の刀身に受け止められる。

「ッう……、」

 その影に振るわれた赤い刃はそれを支える長柄によって遠心力を加え、魔剣を持つ腕にのしかかった。
 当然その一撃だけで狩りは終焉せず、襲撃者が全身を捻ると同時に赤い刃は大きな円を描いて振り下ろされる。

「──!!」

 虚空を裂く唸りを耳にし、次の一閃に魔剣ごと断ち切られる予感を察した私は、それを受け止めることを諦めて即座に身を引く。
 遅れた髪の数本を分かち、地面を割る赤い刃。飛び散った石の破片を蹴って──刹那、私はそいつと視線を交わす。そこには殺気を帯び、冷めた意志に固められた双眸があった。加え、

「薙刀……!」

 その手が携えた見覚えのある武器の名を口にしながら、迫る追撃を捌き、弾く。しかし一向に緩む気配のない攻勢に私の身は山の壁面にまで追いやられた。

 このまま間合いを詰められる訳にはいかない。
 一度大きく後退して、壁を蹴って襲撃者の後方にまで飛ぼうとした、その時だった。

「────、」
「……!?」

 襲撃者が空いた手で印を結び、何か聞き取れない言葉を呟いた。
 眼前の光景だけでその行動の意味が理解出来ず、先に私が察したのは肌を刺す魔力の気配。

「え──」

 引き寄せられるように背後へ視線を走らせると、私が足を着こうとした壁面には赤い光を放つ陣が浮き上がっていた。
 その光景が襲撃者の行動の意味へとようやく結びつくが、あまりにも遅い。
 防ぐことも身を捩ることも出来ないまま、赤い陣から召喚される無数の刃に私は身を貫かれて──、

「……早々に手を煩わせるものだね」
「マスター……!」

 その結末を迎える前に、私の体は瞬間移動を使った主人に抱えられて窮地を脱していた。

 彼が寄越した視線の先では、赤い魔法陣から幾重もの薙刀が召喚され、突き出ていた。
 獲物を仕留め損ねたそれは役目を終えて音もなく消えていく。彼が助けてくれなかったら、間違いなく全身穴だらけになっていただろう。

「串刺しとはなかなか趣味が良い」
「言ってる場合じゃないです!」

 目を細めて平然とのたまう主人が地に降り立ち、私はその腕から解放される。
 そうして対峙するのは、燦然とした輝きを放つ薙刀を構え、立ちはだかる襲撃者。私は初めてその姿を真正面から目にする。

「────」

 形容するならば、戦士というべきなのだろうか。
 細身の体躯に黒を基調とした装束。その腹部には特徴的な一つ目が縫われている。敵意を宿す顔貌には民族的な文様が描かれており、赤の瞳が魔族を映して歪んでいた。
 姿を目にするだけで、予想していた通りこの人もフィローネで遭遇した老婆と同じシーカー族なのだと理解する。
 むしろ意外だったのは、顔立ちと体つきを見るに、その人が女性だということだ。先程受け止めた薙刀の一撃は、見た目から想像がつかないほどに重いものだった。

 彼女は剣呑な視線でこちらの一挙一動を捉え、姿勢を低くとる。
 不意に、その背で小さく息を呑む音がこぼれた。

「インパ……!」

 鈴の音の声が安堵と憂慮を滲ませて彼女を呼ぶ。距離を置き、蒼色の瞳が自身を護ろうとする戦士の背を不安げに見つめていた。
 彼女──インパと呼ばれたその人は駆け寄ろうとするゼルダちゃんを片手で制し、再び印を結ぶ。

「この陣の内から身を出されませぬよう」
「……!」

 低く告げたその声に呼応するように、ゼルダちゃんの周囲を赤い陣が取り囲む。それは先ほど私を串刺しかけた刃を召喚した陣と同じものだった。

 つまり、インパを倒さなければ私たちは巫女に指一本触れることが出来ない。
 さらに言うなら、彼女はたった一人で私たちを討ち取るつもりのようだ。人のことは言えないけれど、相当な無鉄砲だと言える。

 フードの下で小さく顔をしかめていると、傍らのギラヒム様の視線が突き刺さった。

「まんまと誘われたという訳だね」
「……すっごくこっち見てくるじゃないですか」
「期待をしてあげているんだよ。短絡的に主人を導いたお前がこの局面でどう挽回するのかというね」
「ストレートに責任取れって言って下さい……」

 主人のねちっこい追及に私は表情を歪ませる。言われずとも挽回はするしこの機会は逃さないつもりだったけれど、わざわざプレッシャーをかけてくるあたり彼の余裕が窺えた。

 切り替えるように私は魔剣を両手に取り、主人は指を鳴らして召喚した魔剣を携える。

 そして、牽制し合う視線が戦士と魔族の間で交錯し──相手が地を蹴ると同時に、私も大きく踏み出した。

「ッ──!!」

 黒刃と赤刃が快音を立てて交わされる。赤い目の瞳孔が押し開かれる様を眼前で見据えながら、私は足を踏み込み剣先を跳ね上げた。一度は弾かれた刃。それでも互いに一歩も退くことはなく武器を振るう。

 長柄を振るって叩き下される一撃一撃が速く、重い。一瞬でも気を抜けば、次の瞬間には体の一部が切り離されてしまうだろう。その上、

「いッ!?」

 刃が弾かれ合ったわずかな間隙を縫ってインパが印を結ぶと、足元に赤い陣が浮かんだ。
 私が引き攣った悲鳴を上げて身を翻した瞬間、召喚された薙刀が獲物を貫くべく襲いかかってくる。辛うじてそれを躱せば、次は直接魔剣を薙ぎ払うための刃を振われた。

 殺傷力の高い一閃で首を刈り取られるか、赤い陣から身を穿つ刃に絶命させられるか。
 動ける範囲が制限された戦場では、あまりにもこちらの分が悪い。真正面からの戦闘ならば命を奪われるのも時間の問題だ。

 ──でも、

「私はいつだって、囮ですよ……!」
「!」

 苛烈な攻勢に気圧されながらも虚勢を張るように舌を出し、刃を押し返した瞬間私はその場に屈み込む。
 予想外の行動に数瞬呆気に取られたインパ。その眼球が捉えるのは──部下の背後に控え、不敵な笑みを浮かべる魔族長。

「撒き餌と呼んだ方が正しいかもね?」
「──ッ!!」

 伏せた私の頭上で主人の一閃が空気を真っ二つに裂きながら払われる。インパは不測の剣撃を間一髪受け止めたが、荒々しく放たれた一撃にその体勢は一気に崩された。
 凶刃の追撃から逃れるべく引き下がった体。だが彼女の視界にはまた別の影が映り込む。

「ッるぁ!!」
「ぐゥッ──!!」

 インパの目と鼻の先にまで迫ったのは短い咆哮と共に懐へ飛び込んだ部下の剣撃。不完全な形でそれを防いだ彼女は薙刀ごとその身に一閃を受け、固い岩壁へと吹き飛ばされる。
 昨晩の付け焼き刃の演習に手ごたえを感じながら地に足を着けた私に、背を眺めていた主人が薄く笑った。

「フッ……久々の共闘の割には悪くない」
「嬉しいですけど、いま私が避け切れなくてもそのまま真っ二つにする気でしたよね……!?」
「可愛い部下のことを信じてあげたんだ。感謝してほしいくらいだよ」

 主従での共闘はたまにあることだけれど、巻き添えをくらう危険を常に孕んでいるため頼もしさとは裏腹に一切気が抜けない。
 澄まし顔で言ってのける彼に辟易した視線を送っていると、掠れた深い呼吸音が耳へと届いて首を捻る。

 目に映ったのは口の端から血を流しながらも、微塵も戦意を失わずに魔族を睨みつける戦士の姿。……さすがに、一筋縄ではいかないらしい。

 双方が再び武器を構え、呼吸を留める。
 どちらかがほんのわずかに指先を動かそうものなら即座に食らい付くという、張り詰めた空気が場を満たした。

 しかしその戦場へ──突如として終止符が打たれることとなる。

「…………地響き?」

 私がそう呟いたのは、足の裏に微かな振動を感じ、遠くで響く低い唸りが耳に届いた時だった。傍らの主人は私より早い段階でそれに気づいたらしく、剣先を逸らさないまま視線だけを巡らせている。

 振り返らないままその正体について彼に尋ねようとした、次の瞬間だった。

「────!!?」

 耳を劈いたのは、その響きだけで万物を震撼させる轟音。それは凄まじい圧力となりその場に立つ者たち全員へと降り注ぐ。
 その認識を得た時には、砂と灰を巻き上げた熱風が全身に襲い掛かっていた。

 誰かの攻撃、というわけではない。立っていられないほどの地響きと鳴り続ける轟音がそれを悟らせる。
 私は噴煙から身を庇いながら、辛うじて天を仰ぎ見る。答えは全てそこにあった。

「うそ……」

 オルディン火山が、噴火している。

 活火山だと知ってはいたものの、その光景を見るのは初めてだった。
 気高い山の頂は黒い煙を吐き出し、巻き上がった火山灰が視界を奪う。平衡感覚を失うほどの地響きに、インパやその背後のゼルダちゃんも身動きが取れずにいた。そして、

「っあ──、」

 一際大きな崩壊音が響き、ゼルダちゃんの目の前に巨大な亀裂が走った。
 そのまま断層が生み出されるかのように地面は陥没し、一歩踏み外せば岩の隙間に挟まれ飲み込まれてしまう程の巨大な裂け目が出来上がる。

「ゼルダ様ッ!!」

 叫声を上げ、その身を護るために駆け出そうとするインパ。
 しかし熱と灰を帯びた暴風が行く手を阻み、無闇矢鱈に飛び込めば逆に崩壊に巻き込まれてしまう。

 捕まえようとしていたとはいえ、巫女の命がここで失われることはこちらにとってもまずい。私は今まで何の反応も示さなかった主人の方へ振り返ろうとして、

「……リシャナ」
「え?」

 その前に、背後から場違いな温もりが私の体を包んだ。さらに頭を二、三度撫でられ、その流れでするりと頬に温かな手が伝う。
 なんでこんな時にヨシヨシされてるんだ私はと至極当然の疑問を抱いた部下の耳へ、主人が囁き声を吹き込んだ。

「──ワタシの可愛い撒き餌なら、後の判断は自分で出来るね?」
「はい?」

 彼の言葉の意味を問う前に私は防火コートごと首根っこを掴まれる。まさか、と思った瞬間、重力に逆らって私の体は宙へと吊られ、見える視界がぐるりと巡る。
 そして、誰もが息を呑むであろう美しいフォームを描いた主人は──部下の体を思いっきり、ぶん投げなさった。

「な、んでぇええええ──ッ!!?」

 撒き餌ではなくもはや投げ餌として部下を扱った主人に対する疑問を訴えながら全力で投擲された私の体。バランスを崩して崩落に巻き込まれかけたゼルダちゃんの方へと、一直線に飛ばされる。
 ギラヒム様のあまりに正確なコントロールにより、私はゼルダちゃんを攫うように横抱きでキャッチした。

「軽……!」

 されるならともかく女の子をお姫様抱っこした経験はこれが初めてだ。体に乗った感触に対する感想が思わず口からこぼれると同時に、私はお尻から着地をして崖っぷちぎりぎりのところでブレーキをかける。
 なんとか落ちずに済んだ安堵のため息をつき、いつにも増してぞんざいな扱いをしてくれた主人を睨もうとした──その時だった。

「……へ」

 高らかに響き渡った、粉砕音。それが自分たちのいるすぐ下の地面から聞こえたと認識すると共に、嫌な予感が伝った。
 間抜けな声を発して、抱いた予感を準えるように私とゼルダちゃんを乗せた地面がずるりと沈む。そうしてそのまま、

「あ、」

 二人を乗せた岩場は終に支えを失い、山肌から分離して、

 二つの高さの違う悲鳴が尾を引きながら、奈落へと吸い込まれていった。