短編


「……これでよし」

 一人せっせと準備をし、ようやく整った目の前の光景に小さく頷く。
 時刻は深夜。場所は拠点の中でも広めの一室──食堂に隣接した調理室だ。

 古の時代には女神軍の砦として使われていたこの拠点。かつて兵士たちはここで食事をとり、戦いのための鋭気を充分に養っていたのだろう。
 魔族の拠点となった現在は料理を嗜む者がいないため、この調理室が使われることは滅多にない。普通の魔物と違い生肉をかじれない私が自ら調達した食料と、一部の上位の者のためのお酒が保存されているだけだ。

 少なくとも本来の用途──料理のために使われることはまずない。
 なかったはず、なのだ。

「……よし」

 気合を込めた吐息をこぼし、私が見据えるのはかぼちゃを筆頭とした食材たち。そして、この場にそぐわない凶悪な見た目をした数種の武器。

 ──これから私は、“料理”をする。

 理由は単純明快。空にいた頃気に入っていたあるお菓子を、無性に口にしたくなったからだ。
 私が大地に降り立ってから数年が経つが、未だ甘い味が物恋しくなる時が度々ある。むしろ、日々の疲れを癒すための数少ない娯楽と言ってもいい。
 無論大地にそんな贅沢な食べ物は存在しないため、お仕事で空に行くたび買い溜めをし、自室にこっそりと備蓄していた。

 しかし、今回求めた味はスカイロフトのモールに売っている味ではなく──毎年かぼちゃの収穫の時期になると恋しくなる、遠い思い出の味だった。
 近い将来、戦いが激化して空に行けなくなれば二度と味わうことが出来なくなってしまうだろう。そうなる前にもう一度だけ口にしておきたくて、自ら作ることを決意したのだった。

 ちなみに眠る主人の腕の中を抜け出してまで夜更けに決行したのは、彼に見つかれば高確率で邪魔されるか馬鹿にされるからだ。部下をいじめることが主な趣味の主人は、私が調理台に立つだけで全力でからかってくることだろう。

「……まずは、かぼちゃから」

 頭の中に残る古びた記憶を引っ張り出して、私は早速かぼちゃを切る作業から取り掛かる。

 さすがに魔剣を使うのは主人に申し訳ない気がしたため、魔物の子から借りた首刈り包丁(洗浄済)でかぼちゃをちょうどいい大きさに切っていく。
 続いて皮をむいて種を取り出し、魔物の子から借りたこん棒(洗浄済)ですり潰す。

 次に空で仕入れたバターと砂糖をかき混ぜ、フィローネの森で取れた食用の花の蜜を加えて潰したかぼちゃと混ぜ合わせる。
 手探りながらもたどった過程と、見た目的には問題はなさそうだ。

「ん、いけそう……?」

 試しに指ですくって口に含めると、甘くまろやかな味が舌にのった。一番の懸念事項である味も今のところは大丈夫そうだ。
 やっていることとしてはかぼちゃを切って材料と混ぜ合わせただけだが、それでも数年ぶりのお菓子作りでここまで上手くいったことに自分で驚いてしまった。

「ここに火、つければいいのかな……?」

 生地の形を整えた後は、いよいよ焼き上げの作業に入る。
 気の遠くなるほど昔の建物だが空にあるものに似た窯のような設備が残っており、そこに魔石で火を灯す。
 魔物たちの武器の材料として使われる薄い鉄板の上に丸い形に整えた生地を並べ、おそるおそるそれらを窯の中に突っ込んだ。

「……おお」

 そうして緊張の面持ちで数十分待っていると、想像以上の香ばしい匂いが漂ってきて感嘆の声が漏れる。
 窯の中を覗き、しっかり焼き上がったところで魔物の子から借りた巨大な断ちバサミ(洗浄済)で鉄板を挟んで引き寄せると、

「おおおお……」

 ──鉄板には、こんがりきつね色に焼けたパンプキンクッキーが並んでいた。

 ほどよく熱が冷めた後に用意していたカゴへ移し替えると、いよいよそれっぽい仕上がりに見えてくる。
 私は立ち尽くしたままカゴの中を眺め、やがて意を決して一枚を手に取った。
 甘い香りが漂うパンプキンクッキーはゆっくりと私の口元へと運ばれて、

 そしてついに、その時が──、

「主人の許可なく寝床を抜け出すだけでなくこんなところで一人遊んでいるなんてね?」
「ぎゃあッ!!?」

 ──来る前に、一切の気配が感じられなかった背後から両肩を掴んで耳に吐息を吹きかけられ、心の底からの絶叫が上がった。

 危うくクッキーが入ったカゴを丸ごとひっくり返しかけたがすんでのところで抱え直す。
 不必要なダメージを食らった心臓を押さえつけ、私は背後にいた人物──お目覚めになられてしまったギラヒム様を睨め上げた。

「ぜ、全部落としちゃうところだったじゃないですか、マスター……ッ!」
「惜しいね。お前ごとその窯の中に入れてあげられたら良かったのに」
「部下を積極的にこんがりさせようとしないでください!!」
「そうされて然るべきだろう。……主人の世話を放り出すなんて愚行を働いているのだから」

 大袈裟なほどに盛大なため息をつき、悠然と髪を梳く主人。
 単純に一緒に寝るという行為をお世話だと言ってるのならちょっとだけ微笑ましいとも言えてしまうのに、それを投げ出した時の罰の内容は拷問そのものだった。

「それで?」

 そこで一度区切り、細められた視線が降ってくる。反射的に警戒心がざわつく嫌な目つきと微笑みだ。

「こんな夜中に一人寂しく何に勤しんでいたのか、ワタシが聞いてあげようじゃないか」
「……大人しくベッドに戻るので、見なかったことにしていただくというのは」
「尋問を受ける場所の違いでしかないと思うけどね?」

 聞いてあげようと言っておきながら、拒否権は一切与えてくれないらしい。それ以前に、何をしていたかなんてこの部屋の様子を見れば一目瞭然だろう。それでもわざわざ言わせたいのが私のマスターだ。
 私はクッキーが入ったカゴを庇うように抱え込んだまま、主人の元から目を逸らす。

「……部下のささやかな特技の一つを実践しようと思っただけです」
「へぇ……」

 渋々といった情緒を全開にした返答に、意味深に音程が下がった声が返ってくる。
 視線だけを彼の方へと寄越すとそれはすぐ目の前に差し出された彼の手にぶつかり、私は眉根に皺を寄せた。

「……何ですか、この綺麗な手」
「決まっているだろう。このワタシが、可愛い部下の、健気な努力の成果を見てあげるんだよ」

 ……つまり、試食をさせろということらしい。彼がここに来た時点でその要求をされることは半ばわかっていた。
 私は眼前に突き付けられた綺麗な手のひらと、カゴの中のクッキー、最後に主人の顔へと順番に視線を巡らせ、短く告げる。

「絶対、嫌です」
「────」

 訪れたのは数秒の静寂と、その結びに落ちる嘆息。
 次いで突き刺さったのは、強硬手段に出ることを決めた冷たい視線だった。

 瞬間、主人が一歩踏み出したと同時に私も一歩下がり、すかさず踵を返して逃げ出そうとする。が、脚のリーチの差が双方の距離を開くことを許さず即行で後ろから羽交い締めにされ、私の身柄は呆気なく拘束されてしまった。

「部下のくせに、拒否権があるとでも?」
「絶対馬鹿にされますもん! 心に傷を負うくらいなら逃げた方がマシです!!」

 そもそも彼の舌がどれだけ人間と近い感覚なのか、それすらもわからない。が、近かろうが遠かろうがギラヒム様が私を褒めてくれることはまずないだろう。

 逃げの手段が奪われれば後は拒絶を訴えることしか出来ないが、無情にも彼の拘束が緩むことはない。
 カゴの中から死守していたクッキーのうち一枚を取り上げられ、興味もないくせにじっくりと出来栄えを凝視された。

「人間の料理などに関心は湧かないけれど、見た目に作り手の性格が反映されてしまう残酷性があることは理解したよ」
「今一番残酷なのは貴方ですギラヒム様ッ……!」

 高身長の主人が腕を真上に上げてしまえば必死に飛び跳ねても絶対に手は届かない。
 クッキーはそのまま彼の口元へと運ばれて、そしてこれ見よがしに口内へと放り込まれた。

 私が出来たのは次に彼が口を開いた時に降り注ぐであろう嘲りと皮肉を覚悟し、全力で顔を背けることだけ。そうしてる間にもやけにはっきりとした咀嚼音が耳に届き、数秒をおいて飲み下される。

 やがて、その薄い唇を解いた主人は、一言呟いた。

「………………悪くない」
「ほらだから嫌って! ……へ?」

 勢いに任せ反射的に背後へ叫んだが、一拍置いてそれは気の抜けた疑問符へと変わる。
 呆然としたまま主人の顔を見上げるとそこには微かな吃驚が浮かんでいて、私の困惑は余計に深まった。

「マスター、今、何て」
「…………、……空耳だろう」
「なんでちょっと誤魔化し方ヘタクソなんですか……!?」

 珍しく歯切れの悪い主人の返事に思わず突っ込んでしまったが、小うるさい部下への制裁は忘れていなかったようで口の端をぎりぎりと引っ張られる。
 が、その手は再び私の手元のカゴまで伸び、早々に二枚目を奪い取られた。

 何を思っているのか、規則正しい咀嚼音だけを立て無言でクッキーを貪られる。
 ……天下の魔族長が、鬼畜の化身のマスターが。私の頭の上でひたすらサクサク言わせてると考えると、何故か無性に気恥ずかしくなってきた。

 閉口したまま静かに動揺する私を無視し、クッキーを飲み込んだ彼は「ふむ」と鼻を鳴らす。

「この世界の神とやらが、お前のような馬鹿部下にもささやかな美点を与えたということか」
「……褒められてるのか貶されてるのかどっちなんですか、それ」

 おそらくいつも通りの嘲りなのだろうけど、それでも褒められているように聞こえてしまうのだから私も相当毒されていると思う。
 いずれにせよ彼の反応が予想外すぎて、私は次なるクッキー求め伸びてきた手を黙って眺めることしか出来なかった。

「主人の手を煩わせること以外に能がないお前に、根気よく物事を教える人間が存在していたとはね」
「それは……そうですね」

 それだけを口にし、私の脳裏には一つの光景が浮かぶ。

 空から落ちる以前に迎えた、かぼちゃの収穫の時期。同時に再生される、澄み切った鈴の音を思わせる同級生の声音。
 その子が作るクッキーが大好きで、それなら一緒に作ろうと声をかけてくれて、完成した時には華やぐ笑顔を見せてくれた。

 楽しかった記憶が奥底に残っていて、だからこそこんなに上手くいったのだと今となっては思う。……なんて、背後の主人にはさすがに言えないけれど。

 私の表情は見えていなかったはずだが、彼からの追及は何もなかった。かわりにもう一度手が伸びてきて、クッキーを取られる。
 貶されるどころか喜ばれるなんて思ってもいなくて、口元を綻ばせながらカゴの中のクッキーへ目を遣ると、

「って! 私の分ほとんど残ってないじゃないですか!! 食べ過ぎですよマスター! 材料ももうないのに!!」
「お前の分など最初から必要ないだろう。そもそもワタシに食されなければお前の部屋に隠してある他の食料と同様、魔物の餌になる運命なんだ。感謝してほしいくらいだよねぇ?」
「魔物の餌って……あ! 私の部屋のお菓子、盗んでたのマスターだったんですねッ!? やけに減りが早いと思ったら!!」

 ドヤ顔で窃盗の自供した犯人は強奪したクッキーを一枚も残さず完食し、悲しみに暮れる部下を抱えたまま満足げに寝床へと帰っていった。


 ──そしてそれ以来。
 部下が時折作るパンプキンクッキーは、主従二人で共有される唯一の味となったのだった。


(210831/らむ様リクエスト作品)