短編


*series設定、リザルフォスのリザル視点

 魔族の世界において、弱者もしくは利用価値のない者は同族であれ容赦なく切り捨てられる。
 それは自我を持つ上位の者は勿論のこと、動物的な思考しか持たない下位の者においても通ずる普遍的な考え方だった。

 故に、自身が付き従っている魔族の長が部下を切り捨てた光景など何度も見てきた。
 戦地において見限られ、肉壁として使い捨てられる者も珍しくはない。文字通り剣で切って捨てられる者ですら、数えきれぬほどに。

 ……その過去に鑑みれば。
 今の状況を“奇跡”と称しても過言ではないはずだった。


「おー……」

 思わず腑抜けた声が漏れてしまったのは魔物部屋に入り真っ先に来訪者の姿を確認したからだった。
 主に獣型と半獣型の魔物が押し込められているだだっ広い空間。来訪者──我らが魔族長とその部下は、そこにいる魔物たちを見ながら何やら二人で話し込んでいた。

 距離があるため会話内容は途切れ途切れにしか聞こえないが、普段通りであるなら魔物の様子を見ながら次の作戦でも練りに来ているのだろう。
 魔族長に恐れをなしている一部の魔物たちはその様に戦々恐々としているが、自身は既に見慣れてしまった光景だった。

 他にすることもなかったので、暇つぶし程度に主従の会話に聞き耳を立ててみる。予想通り、次の遠征における作戦について話しているようだった。

「……結局、」

 魔族長、ギラヒム様が腕を組みそこで区切った。意味深に細められた視線は否応なく傍らの部下、リシャナに突き刺さる。

「お前が特攻して全部切り伏せれば済む話だけどね?」
「……考えるの面倒くさくなったからって私を鉄砲玉に使うのやめません? マスター」

 真顔で本気か嘘か判別しづらい解決策を嘯くギラヒム様に対し、青ざめたリシャナが反論する。

 その様子を窺いながら、そういえば先日リシャナと会った際、近々砂漠に赴く予定があると話していたのを思い出した。
 過酷な環境である砂漠へ行くとなれば必然的に率いる魔物の編成は慎重に考えなければならない。だからこそ主人を伴い魔物たちの様子を見に来たのだろう。

 ギラヒム様がこぼしたのは冗談の範囲だ。が、面倒くさくなったというのも半分本気だろう。
 ……あの人もそんなことを言うのか、と初めて思ったのはあの半端者の部下が従うようになってからだった。

「……そもそも砂漠じゃ私、ほとんど無力ですよ。砂嵐で何も見えなくなるし流砂に呑まれるし」
「だから連れて行くんだろう。わざわざ遠方まで足を伸ばすんだ。せいぜい主人を楽しませろ」
「日に日に扱いが雑になる……!」

 無茶苦茶を言う主人に部下が泣きそうな顔で精一杯の抵抗を示すが敢え無く無視される。
 そして傍から見ればその光景はただの痴話喧嘩にしか見えず、それを眺める目には無意識にも呆れが浮かんだ。

「……あの人が、ねェ」

 自身の耳にしか届かない呟きは無論本人へと届くことはない。

 上位の魔族が誰しもそうするように、あの人も今まで何度も部下と手下を捨ててきた。慈悲も情けもなく。むしろ他のどの魔族よりも非情に、容赦のない形で。
 そのはずだった魔族長があの少女にご執心なのはいろいろ役に立つ部下だからだと、最初こそ思っていた。

 ──それが変わったのは、いつ頃からだっただろうか。

 正確なところは思い出せない。気づけばあの人はどこへ行くにもあの部下を連れ回すようになっていた。
 加え、部下も部下で基本的には考えナシの小娘なのに主人のことになるとイカれている。素面で命を懸けるような真似をする。ほぼ普通の人間と同じ体をしながらあの人に付き添っている時点でおかしなことには変わりないが。

 こうなるまでに、あの二人の間で何か転機でもあったのかどうか。知らないし聞くつもりもないが、おそらく何かしらはあったのだろう。
 そうでもなければ、見慣れた今でも目の前の光景が現実であると鵜呑みにすることは到底出来ないのだから。

 と、何とも言えない感慨に耽っていると、視線の先ではギラヒム様の嗜虐心に火がついてしまったのか完全に作戦会議をする空気ではなくなっており、リシャナにとって不穏な気配が漂い始めていた。

「たしか砂漠には三つ首の魔物がいたね。ちょうどいい。ついでに試してみようか、リシャナ」
「その子を何にどうやって試すのか具体的に話してから同意を求めて下さいませんか……?」
「……聞きたいか?」
「あ、嘘です、どちらにせよ却下です、嫌です」

 低く向けられたその声に危機感を悟ったリシャナがすぐさま反駁するが、その口の端は更なる拒絶の言葉が出せぬよう主人の指に摘んで引っ張られる。
「いらいれふまふたー!!」と喚くリシャナの訴えを聞き流し、ギラヒム様は悠然と嘆息した。

「いずれにせよ今回も現地の魔物を使うことになるか、仕方ない。早々に手配をしておけ」
「まふたーふぁはなひてくれはらふぐにれもいひまふよ」
「主人に聞き返す手間をかけさせるな。一字一句明確に話せ」
「むりれふよッ!!」

 ギラヒム様の口振りから、とりあえず今回の方向性は決まったらしい。そして話し合いが終わればあの人が後にするのは部下を虐めることそれのみだ。
 そうなってしまえば聞き耳を立てる理由も無くなる、そろそろ潮時だろう。そう考えながらあの主従がこれから起こす行動の予測すら立ってしまっていることに対し、肩を竦め内心で苦笑した。

「……また捕まってら」

 再び主従の方へ視線を寄越せば、その予想通りの光景が出来上がっていて思わず呟く。
 見ればギラヒム様がリシャナの体を捕縛し、肩に担いで連れ帰っていた。おそらく自室にでも放り込むのだろう。

 今まで何度も見た光景だ。
 ──だがそれを目にしているうちに、気づいてしまったことが一つあった。

 ああやってギラヒム様がリシャナを直接的に捕まえる時はさることながら……そうでない時も日常的に部下の髪を弄ったり、服の端を摘んだりしている、ということに。

 詰まるところ……リシャナに触れている時間がとても長いのだ。

「落ち着くンだろうなァ……」

 音になるかならないかという程度の呟きをこぼす。本人に聞かれればいくら短くない年月を仕えてきたとは言え、ただじゃ済まないだろう。
 ついでに言えば、触れられている当の部下はおそらくそのことには気づいていない。自身を弄ぶ主人の手から逃れるのに必死でそれどころではないのだろう。

 甘ったれてる、と昔の自分なら思っていたのだと思う。今もそう思わない訳ではない。
 しかし──それを見て呆れはするものの、悪感情は全く抱かない。

 あの主従が前に出る戦線で、剣を握る後ろ姿を何度も見たからだろうか。仕えてきた中で今が最も悲願の叶う可能性が高いからだろうか。もしくは、あの主従が時折見せる狂気に奥底で恐れを抱いているからだろうか。

「……考えてもしゃーねェわな」

 結論はまた、独り言となって消えた。

 理由がどうであれ、自身はあの主従と共に先の戦場でも戦い続けるのだろう。
 それだけを思って、騒々しく魔物部屋を後にする二人を見送った。