短編


「お嬢、先そっちのやつに餌やらねェと腕持ってかれるぞ」
「へ?」

 リザルの鋭い爪が、私の向いた反対側を指差した。
 呑気な顔をしつつ指先に従うよう振り返ると、ケモノ型の魔物が獰猛な牙と涎にまみれた口をばっくりと開けていた。

「ひぃ!?」

 私は引きつった悲鳴をあげながら、反射的に持っていたお肉をその子に投げる。興味はお肉に移ったようで、ケモノくんはガジガジと鋭い牙でごはんを貪り始めた。
 私は冷や汗が伝うのを感じたまま、一息ついてリザルの方へ振り返る。

「ありがとリザル……私の腕がご飯になるとこだった」
「たしかにお嬢は美味そうだからなァ」
「……洒落にならないですリザルさん」

 今日はリザルと一緒に魔物たちのお世話の日だった。

 ギラヒム様に仕えている魔物は多種多様である。
 多いのは四つ足のケモノ型からボコブリンやモリブリンなどの鬼型、そしてリザル筆頭のトカゲ族を含む半獣型。その他にはスタルチュラなどの虫型。ポウなどの霊体や邪精霊などなど。もちろん地方によってはもっと奇抜な種族もいる。
 ただここで飼われている子たちは即戦力になる鬼型や半獣型、ケモノ型が多い。血の気が盛んな彼らのお世話をする時は毎回腕やら足やらを持って行かれないかのサバイバルだった。
 隣にいるリザルも本当はこんな雑用はしない立場なのだが、今みたいな私の命の危機が度々あるため暇があれば同伴してもらってる。つくづく面倒見の良いトカゲさんである。

 今日も危ない場面はありつつもなんとかお世話完了。
 部屋に戻ってギラヒム様のご機嫌窺って、お世話して……その後は訓練かなぁと、ご飯にがっついている魔物たちを前にしながらぼんやり考える。

 すると、目の前の多種多様な魔物たちを眺めながらある疑問が浮かんだ。

「…………」
「どうした? お嬢」
「ねぇ、リザルってさ」
「おう」
「……オスだよね?」
「…………なんで俺ァ唐突に喧嘩売られたンだ?」

 彼の大きな瞳に私が写り込んで、いやそういうわけじゃなくて!と慌てて訂正する。

 目の前の子たちを見ながらふと思ったのだ。
 魔物にオスメスの区別あるのか、と。
 まあリザルの反応を見る限りあるのだろう。というよりあるようでホッとした。
 主人ならともかくリザルがメスでしたなんてことがあったら別れたてのカップルみたいな気まずさが走る。が、しっかりオスでいてくれたらしい。良かった。

 そんなことをリザルに弁解するように説明し、またよくわかんねェこと考えてンなと呆れられながらも彼はしっかりと私の疑問に答えてくれた。

「そりゃ繁殖しなきゃなんねェから基本的にはあるだろ。今ここにいる奴らのオスメスなんぞは気にしたことはねェが」
「まあ、ここの子たちはどっちだろうと血の気多いだけだからいいんだけど……」

 と言いながらお茶を濁すのは私の悪い癖だと思う。

 正確に結論を言うならば。ギラヒム様に今まで私のような女、もしくはメスの部下がいたのか気になったのだ。
 なんともまあしょうもない疑問なのだが、リシャナさんも一度気になってしまった訳なのでこれはしょうがない。

 リザルは私の悶々とした表情を窺い、横からそっと告げる。

「ギラヒム様の今までの部下については俺もよく知らねェぞ」
「なんで考えてることわかったの!? トカゲ族ってエスパー使えたの!!?」
「そンな器用なトカゲ族はいねェよ。お嬢の顔に描いてあっただけだ」

 さすが目ざといトカゲさんである。
 主人と私の付き合いは言わずもがな深いものだけれど、長さだけで言えばリザルと私の付き合いもなかなかだ。小娘ごときの考えなど察するに余り有るのだろう。

 リザル曰く、基本的にギラヒム様がお気に召して使う部下が私みたいに他の魔族と馴れ馴れしくすることなんて今までなかったらしい。
 リザルもリザルで自身の一族を率いる役割があるためその点を気にしたことは特になかったそうだ。

 ……となれば、自分で聞くしかない。
 私はそれだけ心に決め、主人のもとへと帰っていった。


 * * *


 今日のギラヒム様のご機嫌は、良くも悪くもない普通の日だった。
 湯たんぽ代わりの私は主人の膝の上でかれこれ数十分は大人しくしている。彼はそんな私の髪を片手で弄びながら魔族の次の行動計画を練っていた。

 無条件でギラヒム様のそばにいられて嬉しい反面、あんまり動けないのが難点である。
 けれど、今日ばかりは彼に例の疑問をぶつけるまたとない機会でもあった。

「マスター」

 首を斜め上に傾けて、自然と上目遣いに主人の顔を覗き込む形になる。当然そんな行為で主人の動揺を誘えるわけではないので、私は返事を待たず勝手に続ける。

「……今まで、私以外に女の子の部下っていたんですか?」

 ……なんだか浮気を問いただす彼女みたいな言い回しになってしまった。しかし私の頭じゃそれ以外の聞き方が思いつかなかったのだから仕方ない。

 ギラヒム様は無表情のまま指先の動きをピタリと止め、そのまま少し考え込むように何も返さなかった。
 そして何かの結論に至ったようで、口角を上げながら私に視線を寄越す。悪い大人の笑みだった。

「気になるか?」
「……そうです、ね」
「ワタシの容姿に魅入られる者は雌雄問わず星の数ほどいるからねぇ?」

 この……心の底から弄ぶ気全開の意地悪な笑み。どうやらただで教えてくれるつもりはないらしい。
 私は質問の仕方に失敗しまったと今さら悟る。主人が私をいじるためのスイッチをいれてしまったのだ。

 ギラヒム様は心なしか上機嫌で私の髪をくるくると指に絡めて遊ぶ。そしてもったいぶらせるように考える振りをしながら「そうだねぇ……」と頬杖をついた。

「お前以上の戦闘力のある者に、劣情の刺激を武器にする者……あと機械のように従順な者もいたな」
「劣情の刺激……!?」

 つまりあれか、サキュバスみたいなやつか。主人はその魔物の雌雄がどちらだとは口にしていないもののさすがに動揺を隠しきれない。
 しかし言葉の綾に惑わされないよう私は頭をしっかり働かせる。

「そ、そもそも、私みたいなどれ……側近みたいな存在って、前からいたんですか?」

 危うく奴隷といいかけたがそれだけは自分で言ったら終わりだと思った。危ない危ない。
 私の掘りかけた墓穴はあえて指摘せず、彼は「当然」と前置きをし答える。

「お前の千倍優秀なのがいたかもね。戦闘においてもその他においても」
「最早それ生き物じゃないですよね……!?」
「雌だったかどうかは……どうだろうねぇ?」

 つう、と私の顎先をギラヒム様の細い指が撫でる。
 死ぬほど意地悪い目で見下されているのに綺麗な顔をしてるのだから腹が立つ。
 私の反骨心を掻き立てるのが楽しくて仕方ないらしい。むう、と反抗的な視線を送るがこうなればもはや彼の手のひらの上である。情報を引き出したければそれ相応のご奉仕や何やらをしなければ意地でも教えてくれないだろう。
 でも嫉妬に駆られた結果ご奉仕で機嫌をとる……なんて構図はさすがの私でも気が引ける。

 彼はそんな私の胸のざわめきすら見透かした目を向け口元を歪める。

「で? お前は何が気になるんだっけ?」
「くっ……!」

 素直に答えてくれればいいものを、スカイロフトの生意気な子供たちすら顔負けする屈折度を誇る捻くれ者の主人である。
 ここまでくればもはや埒が明かない。彼が全力で私をいじり倒して満足するまで納得する解答は得られないだろう。

「……もういーです」

 そしてとうとう折れた私は、ぼそりと呟くしかなかった。やっぱりギラヒム様には勝てない、と白旗を上げる。

 私がいじけたと踏んだ主人は満足げに口角を上げる。
 こんな時は追撃するように彼に遊ばれる。私はいつものパターンに陥ることを覚悟した。……のだけれど、

 その前にと私は主人に向き直り、少しだけ見開かれた彼の目を正面から見つめる。
 そして、

「……マスターにとっての一番の部下になれるよう、私が千倍頑張りますから」

 私は両手を握り軽く鼻を鳴らしながら、捨て台詞のつもりでそれだけ呟いた。

 もちろん妬ける気持ちはある。主人に弄ばれた反抗心もある。
 けれど話を聞いているうちに素直な気持ちも混じった謎のやる気が湧いてきたのも事実だった。
 結局のところ、私の生きがいが主人と一緒にいることだからだろうか。

 そして──言ってはみたものの、肝心のギラヒム様からの返事はなかった。
 予想だにしなかった反応にあれ、と肩透かしを食らった気分になる。「せいぜい頑張ることだね、駄犬なりに」とか罵られると思ったのに。

「マスター?」
「…………」
「い……いたたたた痛いですマスター……! 」

 主人の顔を窺おうとすると、その前に後ろから手が伸びてきておでこをぐりぐりされた。覚悟していたものの悲鳴をあげるほどの痛みはない。いつもはこんなことされたら比喩でなく穴が空きそうなほど痛いのに、今日はなんていうか、スキンシップの範疇というか。痛いけど。

「ま、マスター?」

 振り返ろうとしたが、ぐりぐりをし終えたギラヒム様が私の頭に顎を乗せたためそれは叶わなかった。
 かわりに心なしかわずかに動揺したようなため息が降ってきた。

「……いじけるかと思ったが」
「何ですか?」
「別に」

 そのまま両手を回し私を抱え直す主人。
 表情はこの姿勢じゃ見えないけれど、なんとなく想像ができてしまって私の口元は緩みそうになる。たぶん顔の温度はとっくに上がっている。……白々しく聞き返しておいて、彼の言葉はしっかり聞こえていた。

 なんだかわからないけど、彼に思わぬ一撃を加えられた……気がする。

 今回はどうやら私の白星らしい。
 私のうなじの辺りに頭を押し付けた主人の熱にほんのり浮かされながら、声には出さず笑みをこぼした。


 ヘタな鉄砲、たまには当たる。



天邪鬼からストレート球投げられてまともに食らった魔族長