*if ギラヒムのマスターが夢主だったら 剣の精霊は主の力の化身。
主の願いを、希望を、欲望を叶えるために彼らはその身を捧げると言われています。
忠誠心は奈落の底より深く、命を懸けて主を護り、主が朽ちる最期の時まで傍らに。
主は彼らの存在理由そのものだと、謳われているのです。
────……
──────……
「ぎ、ギラヒム……さん」
「何ですか?」
「……これどういう状況?」
背景が見えない。物理的に。
というのも、私の視界には自身より数十センチ上背がある男が迫っているからだ。
私の背中は壁にぴったり張り付き、あろうことかすぐ隣りでは彼の長い片足が私の行手を阻んでいる。所謂足ドンというやつである。
そこまでは辛うじてわかる。
問題は今もなお高い位置から私を見下している彼が──私の従者、という点だ。
「貴女がこのワタシを使いこなせていないからですよ、主様」
開いた身長差は私と彼の額を突き合わせることすら容易にさせてしまう。最早蔑みすら含んでいる冷たい視線が間近に迫り、逃げ場を与えてくれない。おかしい。絶対主に向ける視線じゃない。
「け、けどちゃんと相手、倒したじゃん!」
「倒した……ねぇ? 一度手を滑らせてワタシを落としたくせに」
「……だって、私が持つには重いか、」
「何ですか?」
「すみませんでした」
主のプライドもかなぐり捨てて謝ったのに細い指に額をぐりぐりされ悲鳴をあげる。
そりゃ戦闘の大事な局面でギラヒム……つまり剣が重くて落っことしたなんて格好悪いことこの上ない。けれど私が持つには厳つすぎる外見をした剣モードの彼にも問題はあると思う。……他の魔族が持てば自然な風体なのだろうけど。
それでもギラヒムは──昔魔王様と共に闘ったという由緒正しき魔剣である彼は、何故か私を主と呼ぶ。
私もこの世界で悪者と呼ばれる存在ではある。しかし大きな力を持っているわけでも魔王様の側近や上級兵という訳でもない。
にも関わらず、私はある時選ばれてしまったのだ。彼の──マスターとして。
……何故か立場が逆転してることが多々ある訳だけれど。
主をさんざん弄り倒したギラヒムはようやく満足したのか私を解放してくれた。
私も一応戦地には出向いてるはずなのに、敵より彼に痛めつけられる回数の方が圧倒的に多いように思うのは気のせいじゃないはずだ。
額を抑え軽く睨むがその程度で彼が怯むことは決してない。
「ところで主様」
「なに?」
「命じられた敵隊のせんめ……もとい片付けは終わってますので」
「ひえっ……」
その言葉に逆に私の方から怯えが漏れた。
彼が言っているのはおそらく昨日伝えた敵の動きを探っておいてほしいという命令のことだろう。任務遂行の早さは流石の一言に尽きるが、殲滅って言いかけたしなんならお片付けしろとも言ってない。
正直私が命じる前に彼が上に立って魔族を指揮した方が手っ取り早いのではという気すらする。本当に彼は私が持つべき力なのだろうか。
──加え、私が彼に困惑する要因はこれだけではない。
軽く頭を抱えていると、彼の視線が私を捉え続けていることに気づいた。
「終わってますので」
「は、はい、おつかれさま……」
「ご褒美は」
そう訴える彼との距離は近い、ひたすらに近い。少しでも動いたらその薄い唇と自身の唇が重なってしまうくらい近い。且つ目が本気である。
ほぼゼロ距離まで近づいておいてなお触れようとしないのは、あくまでも私からのご褒美という体で欲しいからだろう。
「わかった! わかったからすぐにちゅーをねだってこないで!!」
「ご褒美はすぐにいただきたいと幼気な従者が切願しているのに、ですか?」
「主の両腕つかんで無理矢理押し付けてくる従者のどこが幼気だ!!」
どんなに叫んでも退かない彼にはもう観念せざるを得ない。ため息混じりに「あげるから、お早めにお願いします」と口を開くと言い切る前には唇を塞がれていた。
──これが私を困惑させている要因のもう一つ。自分で言うのもなんだが、とりあえず彼は私のことが大好きなのだ。
なんでここまで好かれているのかわからない。剣の精霊とは皆このようなものなのだろうか。
彼は許可を得たから何してもいいと言わんばかりに容赦なしに唇を食んでくる。後頭部を抑えられて呼吸すら許してくれない勢いにこのまま食われるんじゃないかという危機感すら覚えた。
小一時間ちゅーちゅーされた後、ようやく解放された私はぐったりと彼の懐に寄りかかる。その頃には彼もご褒美を貰う前の不機嫌さは消え失せていた。
「……ほんと」
足りなくなった酸素を肺に入れながら彼の固い胸の中で呟く。彼は何も言わなかったが私に視線を向けたことはわかった。
「何でギラヒムは、私を選んだの」
これで何度目なのかわからない問いだった。
理由不明の愛を一身に受けるといつもその疑問は口からこぼれ落ちる。
──しかしそう呟く私も、返ってくる答えはわかっていた。
「……貴女がワタシを望んでいたからですよ」
必ず彼はその目を細めながらわずかに唇を緩め、慈しみすら滲ませた自然な笑みを浮かべるのだ。
私が彼に選ばれる前、彼に出会ったことはなかったのだからそんな理由は成立しないはずなのに。
決まり切った回答を準えるように、わかりきった事象を唱えるように。いつだって同じ答えを返す彼に対して、私は決まって何も言い返せなくなる。
その答えに、私自身も根拠のない納得感を持つからだ。
「そこまで疑うのであれば試しにいなくなってみましょうか? ワタシがいなければ何も出来ないくせに」
「私のこと本当にマスターだと思ってる?」
「勿論思っていますよ」
もしギラヒムの言う通り彼がいなくなってしまったら私はどうなるのだろうか。何かを為す以前に、彼がいない現実をどのように受け止めるのだろうか。
そう考えてる時点で──彼に選ばれた理由は理解せざるを得ない。
「さあ、主様。とっとと帰って粛正会でも開きましょうか」
「主なのに粛正される側なの? 私」
「そうですが、何か?」
「…………従者を持つって、厳しい……」
私より先に足を進める彼の後ろ姿を目にし、やがて小走りでその傍らへ寄り添う。
ふわりとした安心感が胸を満たし、無意識にも口元が緩んだ。
──────……
────……
午後の微睡みからふと意識が戻ってくる感覚。私を包む暖かさは昼下がりの太陽がもたらすものと、それ以上に私を膝に乗せたまま分厚い魔導書に向かう彼の肌から伝わっていた。
ゆっくり瞼を開き、私は舌で一音ずつ確かめながら彼の名を刻む。
「ギラヒム…………様」
愛しい主人の敬称を忘れかけたのは、私が寝ぼけていたからなのか。今まさに見ていたはずの夢の片鱗を探るがもう既につかめなくなっていた。
漠然とした違和感を抱いた頭をやわらかく撫でられ、私は顔を上げて彼と視線を交える。
いつもと変わらない整った顔を見て……しかし浅い既視感を覚えて、さっきまで見ていた夢にも彼がいたのだと朧げながらも理解した。
「主人の膝の上で爆睡とは、いいご身分だ」
「……あったかいんです、ここ」
文句は言われるものの、寝ている間に床に落とされたりしていないのだから素直に甘えてもいいのだと判断する。彼の声音も暖かな空気のせいかなんとなく穏やかに聞こえた。
「……マスター」
いつも口にしているはずの主人への敬称が、何故か懐かしく感じる。少し高い位置から私を見下ろす彼の視線はついさっき受け取った感覚がするのに。
──夢の中で見たマスターは、私をどんなふうに見てくれていたのだろうか。
私はその視線に、もう少しだけ甘えてみる。
「もうちょっと、ここにいていいですか?」
「……勝手にすればいい」
寛大な主人に感謝するんだねと付け加え、彼はもう一度私の頭を撫でた。私は再び心地良いその場所に身を委ねて瞼を下ろす。
──もし、もう一度夢の中で違った彼に出会えたとして。
それがどのような形で、どんな私でどんなあなたであったとしても。
あなたのそばにいる私でありたいと願いながら。