短編


「リシャナ、どうしたんだそれ!?」

 ふと私の足を止めたのは緑色の彼の唐突な吃驚だった。振り返ればそこにいるのはやはりリンク君。非番なのか大切な聖剣はその背には無く、服装もいつもに比べてラフな感じだ。
 一応、私と彼は敵同士なので今本気でやっつけにかかれば勝ててしまう可能性があるのだけれど……そういう気分でもないので考えないことにした。

 そんなことより、リンク君の言う“それ”が何なのかわからず私は体をくるりと捻る。

「おはようリンク君。……それって何のこと?」
「肩のところだよ! 傷というか跡というか……」
「あ……」

 跡と言われ“それ”が何なのか理解したと共に、サッと血の気が引く。
 まさか、見えるところにもついていたなんて……!!

 その跡は見た目の痛々しさも相まって、優しいリンク君は本気で心配をしてくれている。しかし、彼の優しさはとてもとてもありがたかったけれど、出来れば触れて欲しくなかった。

 ──この噛み跡をつけた犯人がギラヒム様だなんて、絶対に言えない。

「あ、あーーこれね! くっきりつけなさったこれね! 見た目こんなだけどもう痛くないから大丈夫!!」
「本当か……? 出血したところ、瘡蓋になってるみたいだけど……」
「うん平気! ちょっと手懐けられない魔物がいてガブっとやられちゃっただけだから!」

 実際はガブっとどころか効果音で表せない、そのまま食いちぎられるんじゃないかって勢いだったけれども。
 加えて言えば、今リンク君に指摘された肩以外にも服の下には同じような歯形が数カ所残っている。悲惨な見た目のためなんとか服で隠していたのに、油断した。

「あ……なら、これやるよ。薬屋でよく聞くって評判の塗り薬。さっきストック買ったばっかりだし」
「り、リンク君……!」

 なんて優しいんだこの人は……!
 彼の優しさこそ世界を救うにふさわしい資質なのだろう。自分の立場をすっかり忘れた私はリンク君に深々と感謝をし、ありがたくお薬をもらって別れたのであった。


 * * *


「で? 手懐けられない魔物がどうしたって?」
「うううお噛みになられたのは偉大で美しくて私を足蹴にするマスターですうううう」

 リンク君と別れてから数分後。例によって例の如く、しっかりと私を監視していた主人に捕獲されるまでいつも通りの流れだった。
 今日のギラヒム様は私とリンク君が仲良くお話していてもご機嫌斜めにはなっていない。……自分のつけた歯形に大変満足していらっしゃるからだ。
 が、当然被害者の私は文句の一つや二つ言いたくなる訳で、しかしそれは彼の前では為す術なく弾圧される訳である。

「そもそも種を撒いたのはお前だと言うのにねぇ」
「誰も日常会話から物理的に食われるなんて思わないですよ……!!」

 呆気なく捕まった私は主人にぺろんと服を捲られ、まじまじと腰や腹部に残った跡を観察される。これをつけた張本人でも、こう凝視されると恥ずかしいものがある。

 ギラヒム様の言う通り、もとを辿れば私のふとした疑問がきっかけだった。
 日課である魔物たちのお世話をしていた私はあることに気づいたのだ。獣型や半獣型の魔物たちは皆鋭くて痛そうな牙がついている。これは噛まれたら洒落にならないだろうとその時は注意しながらお世話を終えたのだけれど。

 何気なく思ったわけだ。
 魔族の特徴としてこ皆にこんな牙が生えているのなら、マスターにもあるのかな……と。

 幸か不幸か、その日の主人の機嫌は悪くなかった。
 故にここぞとばかりに私は聞いてみたのだ。

「マスター、魔族ってみんな立派な牙があるんですか?」
「いきなり意味のわからない質問をしてくるな、お前も。……種族にもよるが魔族の大半が持っているだろうね。ほとんどが肉食なのだから」
「なるほどー。……ってことは」

 主人の視線がちらりとこちらを見る。
 ……その時に察していればよかったのだ、我が身に彼の照準が合わせられていることに。
 が、脳みその足りていない私はそのまま彼に問いかけてしまう。

「マスターにも、あるんですか?」
「────」

 そう、純粋な気持ちで質問した私は数秒後、身をもってそれを体感することとなったのだ。


 そうして歯形まみれの体は見事出来上がる。覚えている限りだと捲られている腰や腹部だけでなく、太腿や二の腕にもそれはある。要はいくつつけられたのか検討もつかない。

「いいじゃないか、官能的で美しくて。お前も好きだろう?」
「…………」

 そりゃ、噛まれているところを客観的に見れば耽美的というかマスターの鋭い犬歯が私の肌に食い込んでてそれはそれはえっちな光景だったのかもしれない。
 が、噛まれた側としては「マジ痛い」の一言に尽きた。当たり前のように見えるところをがぶがぶやられるし。

「お前が野生の生き物として生まれなかったことを幸運に思うんだね」
「私が野生に生まれたとしても生まれなかったとしても、好き好んで捕食するのマスターくらいだと思いますけど……」
「ふむ、お前にしては的を得ている。……じゃあ望み通り、食べてあげようか」
「あ、うそです今のなし……っぎゃあ!! もう噛まないでーーッ!!」

 リンク君にもらったお薬が底を尽くのは時間の問題だな、と主人のギラついた犬歯を目にした私は悟ったのだった。