短編


「り、り、リザル! リザルーッ!!」
「!!?」

 半泣きになりながら私が助けを求めたのは、大きなトカゲの魔物さんだった。半獣型の彼の表情は一目で読みとりづらいものがあるけれど、間違いなく今は唐突な来襲に驚きを隠しきれていない。
 彼の種族名はリザルフォスだから、リザルと呼ばれている。魔族の中でも長いこと生きているらしく、ボコブリンたちと違い会話が出来る貴重な存在だ。

「何だ何だお嬢……顔真っ青だぞ?」
「お、お願いがあるの……」

 死に物狂いで彼の元へ駆け込んだ私は息も絶え絶えに膝をつく。その私の背中をさすってくれる大きな手は爬虫類独特のひんやりとした冷たさがあった。
 巡る身体中の血を抑えるために何度か深呼吸をしていると、リザルは「相変わらず体力なさすぎだろお嬢……」と悪態をつきながらも、私が落ち着くまで介抱してくれた。同じ魔族なのにどこかの魔族長様とは雲泥の差の優しさだ。


「ンで何だよ、お願いッてのは」

 ようやく会話が出来る状態になり、リザルのぎょろりとした両眼が青い顔の私を映す。
 出会った当初はちょっぴり怖いと感じたけれど、面倒見のいい彼の性格を理解してからは真っ直ぐに見つめ返すことも出来るようになった。
 しかし、今の私は彼にしようとしているお願いに後ろめたさを覚え、視線を少し外す。

「マスターが……ギラヒム様が来たら、私はここに来てないって、言ってほしいの……」
「……あァ」

 その相槌一つでリザルから呆れの念がびりびりと伝わってきて私はさらに恐縮する。
 ──そう、いつも私が主人にお仕置きをされる時、された時、またはその真っ最中。逃げ場にしている場所の一つがリザルのところだった。
 もちろん魔族長の命令は絶対のため彼も主人に逆らうことは出来ないけれど、隠れ蓑になってくれたりさりげないフォローを入れてくれたり……詰まるところ、広大な面倒見の良さなのだ。

 そういう訳で、例の如く縋ってきた私に対しリザルの理解はとても早かった。
 ──しかし、今日の場合はその例から外れることになる。

「……お嬢、またやってンのか?」
「違うの! 今回はお仕置きとかじゃなくて! 生命に関わる一大事で!!」
「はァ……?」
「理由はマスターが来たらわかるから! とにかくお願い匿って!!」

 私の怒濤の勢いに押されたリザルは半信半疑ながらも了解してくれ、私は部屋の隅にある死角へ入り込む。ちなみに今いるこの部屋はリザルのような上位の魔物たちがたくさんいる“ねぐら”だ。体の大きな子も多くいるため、室内の広さ自体は充分ある。

 一方私は隠れれば最後、主人の気配は聴覚と気配で感じるしかなかった。
 だって、万が一にも彼の姿を"もう一度見たり“したら──。


 ──バンッ!!

「っ……!!」

 私が隠れ場所に収まるのを待っていたかのごとく、お上品ではない音を立てて扉が開かれた。
 あまりにも唐突すぎる魔族長様の襲来に、リザルをはじめ休憩していた魔物たちも何事かと静まり返ってしまう。ああ……こんなにも早く来てしまうなんて……。

「……ギラヒム様、どうかしやしたンで?」

 おずおずと切り出すリザルの声で、やはり乱入者がギラヒム様だと理解する。派手に部屋へ押し入られた魔物たちの動揺は相当なものだっただろうけど、私の鼓動ははるかにそれを上回っていた。
 自ら空気となるべく最小限の呼吸に留め、意味がないとわかりながらも身を小さくする。あとは神とリザル頼みだった。

「……悪いねリザル。ここへ頭のおかしくなった犬が入り込んだんだよ」
「お、お嬢がまた何かしたンで……?」

 ギラヒム様の言う犬がイコール私というのは悲しいながらもリザルを筆頭に他の魔族の中でも図式が成り立ってしまっている。

 そしてリザルに対する主人の受け答えは至って普通だ。むしろ……楽しそうだ。
 そう、彼は私に対するお仕置きをしに追いかけて来ている訳ではない。むしろ、悦楽の感情で私を追いかけ回しているのだ。
 リザルの逡巡が伝わってきて、罪悪感が増す。しかし今ここで呼吸をする訳にはいかない。

「えーと、ギラヒム様、お嬢は……」
「構わないよ。お前に聞きたいことは何もない。──もう、見つけたからね」

 意味深な低さを宿した声にぞくりと悪寒が走り、私は反射的に振り向く。
 さっきまで数メートル離れたところにあった気配が、すぐそこに、あって……。

「ひ、あ、ああああああーーっ!!!」

 それを、主人のその姿を見て私は絶叫した。

 ギラヒム様の今の姿は──綺麗な白い髪を後ろに小さく束ねて、おまけに眼鏡とやらをかけていた。

「お、お嬢……?」
「め、め、目が、肺が、心臓が……機能不全になる、なっちゃいます、マスター……!!」
「なればいいだろう。目が焼けるまで見ればいい」

 ギラヒム様の姿を見ただけで断末魔をあげる私を見て、リザルは何が起きたのかさっぱりわからず目を白黒させている。

 が、今の私はそれどころじゃなかった。
 普段私が見てきたギラヒム様はいつものマント姿か全裸か半裸かそれだけだったのに。綺麗な髪を一つにまとめて、振り向けば官能的でもあるうなじが見えてしまって。
 おまけに私が興味本位で空から買ってきた眼鏡というファッションアイテムをまさか彼がかけてくれると思わなくて。

 数分前にそれらのダブルアタックを唐突に受けた私はまず腰が抜けて立てなくなった。なんとか心のアルバムに収めようと二度目の凝視を試みたら心臓がとまりかけた。
 流石にそれ以上は生命の危機を感じ、私はリザルのところに命からがら逃げてきたというわけだった。

 そして主人はと言うと逃げ惑う私がただただ単純におもしろくて追っかけて来ている。
 私も大概マスターにべったりだということを知られているわけなので、これで虐められるなら満足するまでとことん虐め抜いてやろうというスタンスなのだ。鬼だ。

 ギラヒム様は逃さないとばかりに私の頬を両手でがっちりホールドして無理矢理自らの方に向かせる。たったそれだけのことなのに私は迫り来る死を覚悟した。

「ま、ます、マスター、もう許して……心臓が……内臓が……あらゆる器官が悲鳴を……」
「いいじゃないか。ワタシの美しさが生命活動まで左右するなんて最高の一言に尽きるだろう」
「その場合左右されるのは罪のない哀れな部下の命なんですよ!! もう無理ギラヒム様輝きすぎててほんとに見られない……死んじゃう……!」
「……叫んでいることが滅茶苦茶なあたり本当に頭がおかしくなったか」

 最終的に、私は主人の肩に担がれ持ち帰られる。ただでさえ死にかけなのに、後に死体蹴りというか死体嬲りをされるのだろう。

 悲痛な叫びが虚しく残った部屋には魔族長のただならぬ勢いに戦々恐々としている魔物たちと、嵐が過ぎ去り呆然としたままのリザルが取り残された。魔族長とその部下のわけのわからない騒ぎに巻き込まれた一番の被害者だった。

「……ま、ギラヒム様とお嬢が楽しそうならそれでいいかァ」

 どこまでも身内に優しいトカゲ族に、後日私は謝罪の意を込めスカイロフトで仕入れた高級お肉を献上するのだった。