短編


*無双の世界線

「っ……クソが!! 役立たずどもめ!!」

 けたたましい破壊音が背後から聞こえた。具体的に言えば、今まさに激昂している私の主人の方からである。
 犠牲になったのはその辺りの木なのか岩なのか……はたまた哀れなボコブリンくんなのか、振り返れば一目瞭然ではあるけれど、鬼気迫る勢いのギラヒム様に近寄ることの恐ろしさの方が上回り、私は少し離れた今の距離間を維持した。

 冷や汗を流しながら私は手元の地図を開く。今私たちがいる森全体の見取り図に相手軍とこちらの戦力分布、そしてつい先ほど書き加えた戦況が記されている。
 五分五分だった戦力は先陣を切っていた魔物たちが女神側の策にあえなくかかってしまったため、こちらが劣勢になり始めたところだ。……そしてそのタイミングで、主人の沸点の限界がきてしまったわけだ。

「クソ餓鬼ども……絶対に返り討ちにしてやる……」

 ギラヒム様は呪詛を吐き捨てながら細い指で白銀の髪を掻き毟る。心の底からお怒りのご様子だけれど、魔族側の動きを見るための魔鏡を叩き割らず踏みとどまってくださったのはよかった。
 舌打ちを一つ漏らし再び魔鏡を手に取るギラヒム様。魔力を使いながら部下たちを扇動し崩れた包囲網を再構築していく。そうしながら背後の私へ口を開く。

「……リシャナ、わかっているな?」
「い……いつでも出られます」

 もうここまで攻め込まれたらいよいよ私たち本陣の勢力が動く必要がある。主人は今回の作戦の総大将。私は彼に敵の手が及ばないよう、なんとしてでも防衛線を死守しなければならないお役目。

 最近はこんな事態が無かったから、久々の実戦だ。頑張らないと……!
 私は一人気合を入れるため、彼に見えないところで小さく握り拳をつくった。

 ──パキンッ!!

「!?」

 と同時に、背後から何かが割れるような、弾けるような乾いた音が響く。何が起きたのかと振り返った時には砕けた魔力の残粒子が辺りに散っていた。

「チッ……使いすぎたか……」

 どうやら魔鏡を通し魔物たちを動かしていた魔力が切れてしまったみたいだ。
 いくらギラヒム様の魔力が並大抵の魔族や魔術師の比じゃなくても、これだけの軍勢を一人で動かしていればいずれは底を尽きてしまう。激情に駆られ余分に使ってしまった魔力もあるのだろうけれど。
 彼もそろそろ魔力が尽きることは予想していたのだろう。口元に手を当て次の策を思案している。

 私にも魔力は多少なりともある。が、使い方がからっきしのため彼のように魔物へ指示を出すことは到底無理だ。だからその分、足と手を使って道を切り開かなければならない。

 深呼吸と共に決意をし、「私が出ます!」と鮮やかに宣告しようと顔をあげる。
 ──が、ついさっきまで思案顔だった主人と不意に視線が重なり、私の言葉はそのまま出なくなる。

「……なるほど、そこにあったじゃないか」

 ……何が、だろう。
 彼が見せた艶やかな笑みに、何故かぞくりと嫌な予感を抱いた。

 次なる作戦を練っていた主人が、私を突撃させるという策を今更思いついたなんてことはきっとない。もっと別の方法……否、私の利用方法を、見つけた?
 先ほどとは違う冷や汗が背筋を伝い、ゆっくりと歩み寄ってくる彼に対し淡い警戒心を抱く。そして、

「リシャナ」
「なんです……んむっ!!?」

 返事をする前に、無理矢理顎をすくわれ荒々しいキスをされる。
 後頭部を大きな手でつかまえられて、漂う甘い匂いと纏う熱に思考が持って行かれる。加え、重なった唇からなのか拘束された身体からなのか、私の奥底にある形容できない何かが急速に萎んでいくのを感じる。熱いし、ピリピリするし、クラクラもしてきた。

 まさかこの人……私を文字通り食い物にして……!!
 頭をわし掴みにされながらも抗議の視線を向けると、先ほどまであんなにキレ散らかしていたくせにどこか満足気な視線がかち合う。
 最後におまけと言わんばかりに舌が絡んで溢れかけた唾液も吸われ、私はようやく彼の手から解放された。

「──ごちそうさま」

 とにかくいろんなものをごっそりと抜かれた私は肩で息をしながら固い胸板へ倒れ込む。抱え込んだ私を見下ろし、彼はペロリと舌舐めずりをした。

「むん……思いつきで試した割には随分満たされた。褒めてあげるよ、リシャナ」
「そりゃ……ようございました……」

 咄嗟の思いつきで部下の、しかももともとそんなに無い魔力を──このお方は副作用も顧みずドレインしなさった。
 初めて食らった感覚にしては、だるくて力が入らなくて立てなくなるくらいだ。このまま死んでしまうなんてことはない。……が、一歩さじ加減を間違えれば危なかったのではないだろうか。あとこの人、しれっと性欲まで発散しなさった。

「あの……マスターに魔力ちゅーちゅー吸われた私はもう立つのもしんどいんですけども……」
「この魔力があればあとはワタシだけで充分だ。今から三分で終わらせてきてあげよう」

 主人はそれだけ言い残し、自身が大将であることも忘れ一人女神の軍勢へ突っ込んでいく。そして本当に三分で片付けてきたのだからもはや何も突っ込めない。
 最初から一人で片付けられたのではというささやかな疑問は、私への肩書きに名実ともに非常食と追加されてしまったことで吹き飛んでいった。