「…手を、繋ぎましょうか」
「歩きたくない!」
三月の初旬、珍しく快晴のウィンチェスターの町の一角
長い間補装工事のされていない歩道と車道を降りたり登ったりしながらジグザグ歩行で進むメロは不機嫌だった
将来有望の烙印を押される為の、Lによる荒々しい洗礼を受けた初めての顔合わせから半年が経っていた
「そんなことを言ったって」
甲高いわがままに、10ヤード先を行くLがくるりと上半身を翻(ヒルガエ)した
メロを捉える黒くてまん丸い目は無機質とまではいかないものの、まだ5才の彼の疲労に同情を抱く様子はなかった
「歩かなければいけませんよ。施設まではまだ1.14マイルあります。あなたの歩幅にして凡そ…」
言いかけたLの低い声に被せるように、甲高い叫びが町中に響いた。
「重いよ!腕がちぎれそうなんだ。持てよ!!」
メロは頭を左右に振るって癇癪を起こし、大切な物が入った袋を振りかざして地面にぶちまけるぞと威嚇した
「そんなにたくさん買うからですよ。自分で持つと言ったのはあなただ」
「もう歩きたくない!!」
「じゃあ歩かなければいい」
「わあぁあぁ」
一言で済ませ、少しも動揺せずに自分を置いて行こうとしたLにメロは大声をあげ、天を仰いで泣き出した
Lは足を止め、チラリと後方を見た
「やだあー!」
負けん気の強いメロの意地は、動じないLの淡白さに突き崩された
出会った当初は涙もなしに何日にも渡って、よくどちらの辛抱が持つか意地の張り合いをしたものだ
あれから数ヶ月のうちにメロは子供らしく、Lの前だけではあったが、優しさや愛情欲しさに涙を見せることも出てきた
あざといと言われればそれまでで、心身ともに鉄の鎧のように強固なLが幼い自分の涙を見ると脆くなることをメロはすぐに覚えたが、嘘泣きを完遂出来たことは一度もなく(試みたとしても、演技はLの鍛えられた観察眼の前に砕け散った)、いつも計らうよりも先に、真の感情から溢れ出た涙で愛らしい造りの顔はぐちゃぐちゃになった
幼い彼にとってもそれは不本意だったが、どうしてか、目の前のひょろ長くてぱっとしないこの男に背中を向けられるのは耐え難い苦痛だった
相手の男も同じで、キャンキャンと吠える目の前の小さな"面倒"(Lはそう認識していた)に感情を揺さぶられるのは不愉快で不本意だったけれども、その面倒に実際に素通りで蓋をしてしまうことは何だか違った
二人は出会った時から心の何処かで惹かれ合っていた
メロがワタリに連れられて施設にやって来た時、喜怒哀楽も母親との別離の場に置き去りにして、落ち窪んだ瞼の奥にある目は酷くくすんでいた
美しい顔に墓場の死人からくり抜いてきて取ってつけたような何も語らぬ双眼が奇妙で、強烈な印象を受けたあの日のことをLはよく覚えている
"何て不細工な表情をしているんだ。そんなにきれいな顔で"
メロの顔に、何の関心も感じさせない冷淡な目を貼り付けながらそう思った
「早く来なさい」
「歩きたくないよー!」
メロが初めて自分にまともな言葉(かえし)をくれたのは、その後どのくらい経ってからだっただろう?
何故なのかはわからないが、メロの喚きをBGMにLはそんなことを考えた
「いくらわめき散らしたって、私はロジャーのように折れたりはしませんからね」
しょっぱい雫を目から滝のように流しながら、メロは沢山のチョコレートが入ったビニール袋を道路に引きずった
「メロ、袋が破けています」
とぼとぼと歩んできたこれまでの道のりを振り返ると、チョコレートの大半を損失したことに目を丸めてメロはギクッとしたように一瞬固まり、泣き止んだ
それから押し寄せた疲労と色々な感情の波に攫われ、一層の悔し涙が溢れて視界は完全に失われた
「引きずるから」
「わあああーっ」
Lはキョロキョロと辺りを見回し、それから大泣きするメロの顔をしばらく見つめた
店舗が犇(ヒシ)めくメイン通りで子供の泣き声は、貴重な日光を浴びながらカフェテラスでお茶を楽しむ人や、出来たてのパスティ(※ベーコンやチーズなどの具材をつめて焼き上げるパイのような食べ物)を店の前で頬張る人、薬局で買い物を終えて次々に出てくる人などの視線をさらった
Lは反射的に人目を避けてバタークロスの横から大聖堂に向かって伸びる静かな脇道に飛び込みたい衝動に駆られたが、辛抱をしてとどまった
短い溜め息のようなものを吐いて空になった袋を拾い、ようやくメロに救いの手を差し伸べる
「そんなに泣くことか?チョコレートはまた買えばいいでしょう」
袋一杯のチョコレートを失った程度では、彼のポケットマネーには響かない
じっくりと観察するような落ち着き払った彼の声は、10代半ばの実年齢よりも幾分もの経年を感じさせた
Lは慣れたようにメロを片腕で胸元に抱き上げ、もう片方の腕に巻きつけた役目を終えた破れた袋をジーンズのポケットに無造作に押し込んだ
「大きらいだあぁ」
「どうして?先に行こうとしたから?」
「僕が歩けないって言ってるのに、バカああぁ」
Lは至近距離で、周囲の同情を一心に攫うほど泣きじゃくるメロの顔を気の済むまで眺め、メロが首元にしがみついてきたのを機にようやく彼を抱きしめて愛情を表した
Lもメロも他人からのスキンシップは好まない性分だったが、互いについては特例だった
触れると蝋燭の火が灯ったように心の中が温かくなった
行き交う辺りの人間の反応は、可愛い子供がチョコレートを逃したことに同情を示してその幾つかを拾って届けてくれたりだとか、兄弟(に見えた)のやり取りに顔が綻んだりだとか、泣き声の大きさに迷惑そうに驚いたりだとか、様々だった
Lは親切な届け人から何枚かチョコレートを受け取りながら、メロの体を揺すってあやした
「そうですね。ですが、どうか嫌いなんて言わないで。メロ、あなたにはつい意地悪をしてしまうんです。どうしてでしょうね。ほら、見てください。あなたの泣き声を聞きつけて、チョコレートの何枚かが返ってきましたよ」
柄にもない台詞を子守唄のような優しい声音で囁くようにすると、メロの悲しみは引き潮のように去っていった
Lは少々不慣れな様子で濡れたメロの目尻にキスをして、彼の柔らかな髪に指を通した
メロは少し抵抗し、足をばたつかせて彼の胸に頭を擦り付けるようにしてぐずった
「このまま帰る」
「ワタリを呼びましょうか?」
「いやだ!!」
メロはそう言って差し出されたチョコレートには目もくれず、心変わりで引き離されないようしっかりと彼の首にしがみ付いた
「はぁ…。骨が折れる…。ではせめて背中に乗ってください。さすがに私だって、ずっとこの状態では歩けません」
メロはブツブツと小言を言いながら、Lの背に移った
「人目はたくさんです。ちょっと、こちらの脇道を行きましょう」
Lは静かにそう言ってくるりと身を翻し、猫背にメロを背負って左手の狭い小道に足を踏み入れた
グレート・ミンスター通りの脇から大聖堂の敷地内に入り、黙々と歩を進める
「何処に行くんだい?」
散々泣いて鼻声になったメロが、脇に点在する墓跡を眺めながら尋ねた
「大聖堂の向かいにカフェがあるでしょう?チョコレートを幾つかダメにしたあなたに、甘いチョコレートケーキをご馳走します」
「やった!」
Lが言葉を綴り終えるより先にメロが叫んだ
「ワタリとロジャーからあまり甘やかすなと言われているので、このことは2人だけの秘密ですよ」
警戒したように言うLにつられて、興奮冷めやらぬメロもまた周りを見回して用心した
子供は秘密事が大好きなのだ
「チョコレートも、また買ってくれる?」
ヒソヒソ声が耳元に届くと、Lは口の端を吊り上げて「フフ」と、低い笑いのようなものを漏らした
「ええ、でも。まずはリュックサックを買いましょう。今日みたいに袋が破れて大事なチョコレートを台無しにしてしまわないように。今度はちゃんと自分の力で施設まで持って帰ると約束してくださいね」
破けた袋を引きずる泣きべそを思い出しておかしかったのか、その後しばらく含み笑うLの背中でメロは短く承諾の返事をした
その後寡黙になったLの温かい背中と早春の風が心地よくて、メロはしばらくの間目を閉じた
「Lとメロのある一日」
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