Novel
三倍返しクライシス

 三月十四日の夕刻。
 兵舎へと戻るのが普段よりも一苦労な理由は、両手に抱えたプレゼントの山だった。菓子箱にパンの袋に小さな花束がいくつもある。
 そのうち一つが腕から滑り落ちたところで、隣に並んで歩いていたナナバさんが地面へ落ちる前にキャッチしてから戻してくれた。

「ありがとうございます」
「どういたしまして。リーベってば朝から凄かったよね、会う人ほとんど全員から何かしら貰ってたんじゃない?」
「まさか、こんなことになるなんて……今年は禁止令もあってバレンタインは全然配らなかったのに……」
「ほら、日頃のお礼的な? 気にせずもらっておけばいいよ。じゃあまた明日」
「お疲れ様です」

 ナナバさんと別れて、自室の前に着く。ポケットから鍵を出そうとして、両手が塞がった現状だとそれがままならないことに気づいた。

「どうしよう……」

 すると、自分ではない手がポケットに入った。

「ひゃ!?」
「ったく、こうなるのはわかりきってるだろうが」

 兵長だった。鍵を出して、開けてくれた。

「すみません、お手数おかけしました」

 抱えていたプレゼントの山を机へ置くと兵長はほんの少し目を眇めた。不満げな顔つきだ。わかりづらいけれどわかる。

「兵長?」

 いくつかある花束を解いて花瓶に活けながら様子を伺うと、

「……俺も用意しようとしたがエルヴィンに止められた。ハンジ、モブリット、ミケ、ゲルガーにもだ。『三倍返しではなく三百倍返しになるから』だと」

 一体この人は何を用意しようとしたんだろう。ゲルガーさんまでそんな反応をするなんてよっぽどだと思う。

 疑問が疑問のまま話は進む。

「仕方ねえから別の機会にする。確かに先走った気もしたからな」
「あの、そもそも今年は中央からの支給品だったので私は何も……」
「俺がそうしたいだけだ。――とりあえずメシ行くぞ。着替えて来い。三十分後、兵舎前だ」
「は、はい!」

 兵長が部屋を出て、何を着ようか悩んでいるうちに矢のように時間が過ぎてしまう。通りかかったニファさんの見立てで綺麗にしてもらえて本当に助かった。

「いつもすみません……!」
「お土産話、楽しみにしてますね」

 ニファさんの笑顔に見送られて、急いで待ち合わせ場所へ向かう。

「信じられない! あいつ私にマシュマロ渡してきたのよ!」
「あんたマシュマロ好きでしょ?」
「確かに好きだけど! マシュマロ好きだけど! そうじゃない、今日はそうじゃないのよ!」

 途中、新兵の女の子たちとすれ違った。
 外へ出ると、すでに兵長がいた。兵服ではなく私服で、腕組みをして壁にもたれている。

「お待たせしました」
「……何だ、今の話は」

 さっきの子たちのやり取りを兵長も聞いていたらしい。なかなか声が張っていた会話だったから耳に入ってもおかしくない。

「ホワイトデーにもらったお返しのことだと思います。ええと、確か……マシュマロは『あなたが嫌い』の意味があるので」
「そんなもん、意味なんざ知らねえだろ普通。災難だな、その男は」

 辟易した様子に、私は苦笑するしかない。全くその通りだと思う。

「お菓子屋さんの陰謀かもしれませんね。あとマドレーヌは『仲良くなりたい』で、カップケーキが『特別な人』です」
「何のこじつけにもなってねえじゃねえか」
「あ、でもキャンディの『あなたを愛している』は味が長持ちするように愛し続ける、と意味付けがありますよ」
「…………それはまだわからなくもねえが」
 
 話しながら歩いていると、ふと目に入る看板があった。

「あ、ここ……」
「何だ?」
「一日三組限定のお店ですよ。どこかから移転して来たとかで。こだわり気質のシェフだそうです」
「……ここにするか」
「え、でも――」

 戸惑ううちに兵長は店へ入ってしまう。私も後に続くしかない。
 すると店員の人が出てきて、今夜は一ヶ月以上前から予約で埋まっていると言われてしまった。
 一日三組限定ならそうだろうと納得していたら――がしっと横から強く腕を掴まれた。驚いて見れば、白いエプロン姿の女性がいた。この店のシェフらしい。何だか必死な顔つきで私を見ている。

「あの、何でしょう?」

 訊ねると、彼女が言った。

「六年前のこと、覚えてますか?」
「はい?」

 唐突な質問に、首を傾げるしかない。

 シェフ曰く六年前――歩き始めたばかりの子供と外出した際、繋いだ手を振り払って走った子供が馬車の前に飛び出したらしい。助けようにも自分の足では間に合わず、撥ねられると覚悟した時、それを救った兵士がいたという。

「その時に名前を聞きそびれて、今までお礼も出来ませんでしたが……」

 記憶を探る。六年前なら、まだ訓練兵だった。あの頃は色々なことがあった。何もない日なんてないくらいに。
 外に出て行われた訓練をいくつか思い出しながら、

「確か、市街地訓練で……あの頃は健在だったシガンシナ区で……」
「そうです、シガンシナ区です!」

 あの訓練では気絶して行動不能になった班長の穴を埋めるのに必死だった記憶が主だったけれど、そういえばそんなこともあったっけ――と思い出していたら、席を用意するからお礼をさせて欲しいと懇願された。一日三組限定でも、材料に余裕はあるらしい。

 どうしましょう、と兵長と顔を見合わせる。お前が決めろと視線で返されて、困ってしまう。

 結果、シェフの言葉に甘えることになって案内された席に腰を下ろしたけれど落ち着かない。

「……お前、何でそんな居心地悪そうなんだ」
「だって私、お礼してもらうために助けたわけじゃないのに」
「んなことは向こうもわかってる。お前はふんぞり返ってればいいだろうが。俺の立つ瀬がねえけどな」
「だから良いですよ、そんなの」
「朝から山ほど貰い続けて、俺からは受け取る気にはならねえか」

 そんなことは言ってない。
 どうしてそんな意地悪言うんだろう。

「……兵長からは、いつも、たくさん、いただいてますから」

 そのうち運ばれてきた食事は、どれも精巧な芸術品みたいで圧倒された。それに加えて評判以上の美味しさで、食べ終えた頃には幸せな気持ちでいっぱいになる素晴らしいものだった。今まで知らなかった下拵えの勉強にもなった。

「美味しかったですね。美味しいなんて言葉じゃ表せないくらいに」

 店を出て、並んで夜道を歩く。ふわふわとした足取りになるくらい、幸福な満腹感だった。
 のんびりと兵舎を目指していると、隣を歩く兵長に何となく違和感があった。

「兵長?」
「何だ」
「今、何を考えてますか?」
「――お前は昔から変わらなくて、これからも変わらねえだろうなと思ってた」
「つまり?」
「自覚があろうがなかろうが人助けして、見返りを求めない。自分を危険に晒すことを躊躇しない。一方で無謀なことはしねえし、しても策を立てて行動に移しやがるから周りはお前を好きにさせる」

 昔からそうだ、と呟く。

 一体どれくらい前のことを言っているんだろう。私と兵長が知り合ったのは私が調査兵団に入団してからだけど、そんなに『昔』と表現するほどだろうか。

 とりあえず、

「私はそんな大層なこと、していませんよ」

 そんな風に否定していたら兵長が足を止める。何だろうと思えばお菓子屋さんの前だった。外観から少し敷居が高めの雰囲気がある。閉店間際だからかお客はいない。

「ちょっと待ってろ」
「はい」
「妙なヤツについて行くなよ」
「ちゃんと待ってますよ」

 一人残されて、何となく空を仰げば風が吹いた。冬の終わりとはいえ肌寒い日々が続く中、春の始まりを感じさせる風だった。暖かくはないけれど、寒くもない。

「…………」

 少しずつ、さっきよりも思い出せるようになってきた。六年前の、あの時のこと。

 馬に撥ねられようとしていた子供を立体機動装置の最大出力速度で拾って、上空へ逃れてから地面へ戻ったんだった。

 そして、私に声をかけてくれた人がいた。

『私の夫は医者よ。家はすぐそこだから、早く診てもらいましょ』

 その人は子供を庇った私の手に出来た擦過傷を心配してくれた。
 今となってはもう傷痕が少しもない、本当に小さな怪我だったのに、その人は気遣ってくれた。

 その後845年に起きた超大型巨人襲来に伴うシガンシナ区の死傷者は甚大で――あの女性が無事だといいけれど。

「リーベ」

 名前を呼ばれて振り返ると、兵長がお店から出てきた。

「やる」

 渡されたのは真紅のリボンが掛けられた小瓶だった。中には色鮮やかなキャンディが詰まっていて、月の光で宝石のように輝いていた。

「綺麗……! こんなに、きらきらして……勿体なくて食べられないですね」
「食えよ」

 ぽんと蓋を開けて、一粒を兵長が自分の口へ放り込む。

「食わねえのか」
「大事に食べます」

 そんなに気軽にはとても食べられない。
 だけど、さっきはデザートを食べなかったし丁度良いかもしれない。
 でも、やっぱり大切に食べたい。
 色んな角度から小瓶を眺めながら歩いていると、ぼそりと兵長が言った。

「――意味、わかってるのか」
「え?」
「お前がさっき言ったんだろうが」

 そう言われて、やっとキャンディの意味を思い出す。

 どうしよう。

 顔が熱くなる。きっと赤くなっていると思う。

「あ、あの……」

 でも、ちゃんと言わなきゃ。

 私も、あなたが――

 言葉は声になる前に口の中で消えた。

「ん……」

 一ヶ月ぶりのキスはやさしくて、相変わらず胸の高鳴りが痛いくらいで、それなのに幸せに感じてしまう。

 そのうちキャンディが兵長の舌で口内へ押し込まれる。甘さにくらくらしてしまう。

 ゆっくり唇が離れても、まだ顔は近いままだった。

「――三倍返しはそのうちな」

 もう充分ですよ、とはキャンディが邪魔して言えなかった。




 翌日。

「おいリーベ。お前昨日、兵長から何を受け取った?」
「夕食ご馳走していただきました。とても美味しかったです」

 キャンディのことは気恥ずかしくて黙っていたら、ゲルガーさんが安堵したように長く息を吐く。

「それなら良かったけどよお……」

 そこで兵長の言葉を思い出す。

『三倍返しではなく三百倍返しになる』と止められたことを。

 結局、何だったんだろう。

「一体何を用意しようとされてたのか……」
「家だとよ」
「え?」

 にわかには信じられない単語を聞き返せば、ゲルガーさんが繰り返す。

「家」

 いえ――家?

「い、家えええええええ!?」

 確かに三倍返しどころじゃなかった。


(2020/03/14)
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