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ラストダンスは私と
今回の標的である議員の屋敷を外から単眼鏡で常に監視しているけれど、作戦は問題なく進行していた。
次の壁外調査を議会で中止しようと動いている議員の隠された不正の証拠となる資料探しにモブリットさん、廊下の見張りにケイジさん、ハンジ分隊長とニファさんは館の主である議員と話をして広間に引きとめている。今夜はその議員が主催のパーティーの最中だった。
「……私たちの出る幕はなさそう」
作戦立案がエルヴィン団長、実働部隊がハンジ班だったこともあって最初からそんな気はしてたけれど。でも、だからといって予期せぬことが起きた際の軌道修正や作戦が破綻した場合に備えた臨時要員は必要だから無駄とは思わない。
やがてモブリットさんが窓越しに『任務完了』の合図を腕で示した。予想通り、ミケ班の出る幕はなかったということだ。撤退して敷地の外にある馬車へ戻ろう。
心配なのは同じ役割を与えられていたナナバさんとトーマさんは大丈夫だろうけど、ゲルガーさんが今の合図を見落としているかもしれないということだった。念のために待機場所へ寄って行こう。ミケ班全員が一定の間隔で散っているから近くないけれど後で文句を言われたくない。
立体機動装置があればひとっ飛びの距離でも今は身に付けていないので歩くしかなかった。それどころか兵服ですらない。今着ているのは闇夜に紛れられるように、そしていざとなったら屋敷へ潜入できるように、二つの役割を兼ねて紺色のシンプルなドレス。ニファさんに見立ててもらって、大人っぽく見えて気に入っている。動きやすいから戦闘になっても問題ない。まあ、もうそんなことを考える必要はないけれど。
裾を揺らして歩き出したその時、少し離れた位置にある茂みが揺れた。
慌てて身構えれば相手は兵長だった。ほっとして力が抜ける。
「状況終了の合図がありました。撤退します」
「ああ。――ろくでもなかった」
「お疲れ様です」
今夜の兵長の役割は議員の目を引きつけること。
単眼鏡で見ていたけれど『人類最強』と名高い分だけ囮として最良だった。
「……お前、何がそんなに楽しいんだ」
むっとしたような口調に慌てて首を振る。
「いえ、大したことじゃないんですけれど」
私は一歩、兵長に近づいた。
ドレスと合うように選んでもらった靴は普段履いているものよりも少しだけ踵が高かった。最初は重心に慣れなかったけれど、ヒール部分はお洒落なラインで太くなっているので、安定していて歩きやすい。
「いつもより兵長と距離が近いような気がして、嬉しくて」
踵が高くなった分だけ、兵長に近づけたような気がした。
不機嫌そのものだった兵長の表情が、少し変わる。
「……いくらでも近くに寄ればいいだろうが」
ぐいっと腰を引き寄せられて、胸が高鳴った。でも、すぐに気になることがあって少し距離を取る。
「どうした」
「……いえ、ちょっと苦手な香りで。香水ですね、これ」
香水は香水でもふわっとしたやわらかい香りのものならいいけれど、今漂っているのは顔をしかめてしまうくらい強い香りのものだった。
すると兵長は舌打ちして、
「クソ、鼻が利かねえ。麻痺してやがる……貴族の女どもが鼻の曲がる臭い撒き散らしてやがったせいだ」
「女性とくっついてたら仕方ありませんね、香りは移るものですし」
「くっついてねえよ」
「あれ? 踊らなかったんですか?」
意外だった。単眼鏡で兵長ばかりを見ていたわけではなかったし、知らなかった。
「踊ってねえよ、お前がいなかったから」
そこで兵長が私の首筋へ顔を押し付けてきた。思わず肩が跳ねる。
「お前の匂いがいい」
「あの……私、何もつけてませんけど」
「それがいいんだ」
「そ、そうですか……?」
私はどんな匂いがするんだろう。自分じゃよくわからない。とりあえず恥ずかしい。
「このドレスはどうしたんだ」
「これは、ニファさんが選んでくれて」
「お前は白や……やわらかい色の方が合うと思っていたが、悪くないな」
「ええと……ありがとうございます……」
じっとしていたら、太ももを撫でられる感覚に息を呑む。もちろん兵長の手だ。いつの間にドレスの中に侵入されたのか、驚くしかない。
「兵長、あ、あのっ」
「おい、リーベ」
「ん、ぅ……! や、だめ……!」
「――今回も仕込んでやがったな」
ドレスの中から出てきた兵長の手が持っていたのは、私が自分の太ももに締めていたベルトとそこへ挟んでいたナイフ何本かだった。
咎めるような視線を感じて、私はとりあえず理由を述べることにする。
「……備えあれば憂いなし、と思って」
兵長が言った『今回』について前回を思い出す。私が貴族令嬢の身代わりになった時のことだ。
「ドレスやスカートだと割と色々隠せるので、つい。得物がなくても戦えますけれど、念のために」
「だとしても締めすぎだ。痕になってるじゃねえか」
「緩くしたら落ちます。……あの、兵長。そんなに私の太もも触ってもご利益があるわけではないので離してもらえますか?」
その時だった。
音響弾が、轟いたのは。
「!」
静かな夜に放たれた衝撃に思わず怯む。その意味を理解して絶句した。
「な、どうして……!? 作戦は終了したはずじゃ」
闇を裂く音響弾、その意味は作戦続行が困難になったというものだった。
兵長が舌打ちして、
「――行くぞ。こうなったからには、ここにいても仕方ねえ」
「は、はい」
すぐに走るハンジ分隊長とすれ違った。なぜか気絶しているモブリットさんを肩にかついでいる。
「ごめんごめんごめん、事情は後で説明する。とりあえず今は屋敷中の警護が追いかけて来るから時間稼いで? 結構腕が立つから気をつけて」
「了解です、早く撤退して下さい。――あ、兵長は顔が割れてるので下がってもらえますか」
「馬鹿言うな」
ハンジ分隊長が去って、兵長が私の隣へ並ぶ。遠くでゲルガーさんのかけ声が聞こえた。あちらでは既に交戦中らしい。こちらも会敵まであと少し。気配が近い。
深呼吸をして、意識を落ち着かせる。
「それにしても残念ですね」
「何がだ」
「せっかくなら一曲くらい、兵長と踊りたかったなと思いまして」
前にもお祭りの広場で踊ったことはあるけれど、あの時は兵服でこんな綺麗な格好じゃなかった。もちろんあれはあれで楽しかったけれど、今のような機会はなかなかない。
「……それくらい、いつでも付き合ってやる」
「本当ですか? あの、それなら一曲だけでいいのでお願いしますね」
「何曲でも。――最後の曲も、だ」
思わず兵長の顔を見た。
この人は、意味がわかっているんだろうか。わかっていないはずはないけれど。
「…………」
違う、わかっていないのは、わかろうとしていないのは、私の方。
この人が誠実に、真摯に、私を想ってくれているのに。
いつか差し出してもらえる手を取ることが出来るような私になれるように願いながら、標的へ狙いを定めて足を踏みだした。
(2017/07/14)