Novel
さよならの日まで疼く

 ミケ班での立体機動訓練が終わってから手のひらの棘に気づいた。速度を緩めて木の枝から枝へ飛んで掴んだ時にでも刺さったんだと思う。棘は小さくて細いけれど、だからこそ地味に痛い。爪で取ろうにも取れなくて、救急箱のピンセットでも取れない。仕方なく医療班を目指す。これくらいでお世話になりたくないけれど「刺さった棘は抜かないと血管に入って全身をめぐって最後には心臓へ刺さるんだぞ」とゲルガーさんに脅されて、そんなことになるはずがないとわかっていても不安になってしまった。
 そんな経緯で立体機動装置をつけたまま一人で通路を歩く途中、窓辺で不自然に固まる集団がいた。総勢十二人。

「……何してるの?」

 訊ねれば全員から手招きされたので私も謎の一団へ加わる。ペトラとオルオさんに挟まれる形になった。

「丁度いいところに!」
「あれ見ろよ!」

 言われた通りに窓の向こうへ顔を向ければ――離れた場所を兵長が歩いていた。その隣にはかなり背が高い女性の姿。180はありそう。すらっとした身体つきのせいか威圧感はなくて、シンプルかつ上品なワンピースドレスを着ている。綺麗に髪を結い上げて、後ろ姿だから顔は見えない。手には日傘があった。

「ええと……どなた?」

 首を傾げればペトラも同じように、

「それがわからなくて。しばらく団長とか分隊長と面会した後に今は兵長と二人きりになってる状況。馬車を待ってる様子だからお見送りみたいね」
「じゃあ偉い人だろうね。女性一人で珍しい」

 団長や兵長が出るくらいだから、かなりの地位があるように思えた。もしかしたらアルト様と同じくらい。だとしたら出資者?

「顔が見たいわね」
「あたし見ましたけど綺麗系でした! 美人です!」

 ペトラの言葉に近くにいた新兵の女の子が胸を張って報告する。

「身長差ありすぎじゃね? 兵長が低いっつーより女がでけえよ」
「でもよお、背の低い男が高身長の女を好きになるって珍しくない気がする」
「え、じゃあ何だ? あれはあれでお似合いだって?」
「そういうこと」

 ナイフを磨く新兵の男の子二人組の会話を聞きながら考える。

「…………」

 兵長は背の高さや低さで相手を判断しないと思う。じゃなきゃ私にあんなこと言わない。

 でも、気が変わったんだとしたら?
 私のことなんてもう何とも思ってなかったりして。
 愛想を尽かされても仕方ない。告白されても返事にぐずぐずする女、ただでさえ兵長の隣へ見合うには程遠いのに。

 だとしたら――自分の気持ちが溢れて返事をしてしまう前で良かった。

 私みたいな人間よりも兵長に相応しい人がいるのは、ずっとわかってるんだから。

 そんなことを考えながらその場を離れることにした。ペトラとオルオさんが顔を上げて、

「どうしたの?」
「私、医療班に用事があって」
「負傷したのか? 今は何でかあっち混んでるぞ?」
「ちょっと棘が刺さっただけで大したことないです。道具だけ借ります」

 手に刺さる棘がどんどん痛くなってきた気がして、立ち去ることにした。並んで歩く兵長たちへ最後に視線をやった瞬間――何かが記憶に引っ掛かった。既視感だ。

「……あれ?」
「リーベ? どうかした?」
「……あの後ろ姿……どこかで、見たこと、あるような……」

 どこだっけ?

 記憶を探ったその時だった。来訪者の横顔が見えたのは。

「あ」

 瞬間、時間が止まったような気がした。一気に記憶が結び付いた。

「――ペトラ。私、あの人、知ってる」
「え、そうなの?」
「ちょっと挨拶してくるね」

 ナイフを新兵の一人に借りてから、私は窓に足をかけて二階から一気に飛び降りる。立体機動装置で落下の衝撃を和らげて着地。

 そこから一気に駆ける。あの人めがけて。

「――まだアンタが残ってたわね、ちっちゃいから見落としてたんだとばかり思ってたんだけど」

 そう言って兵長の隣にいた『彼女』がくるりと振り向き、持っていた日傘を握り直したかと思うと、そのまま何かを引き抜いた。剣だ。暗器の一種に聞いたことがある。杖や傘に偽装して武器を携帯する道具。

 振り上げられた刃の斬撃を私は宙返りで上へ躱して、声を張り上げる。

「教官! お久しぶりです!」
「ええ、久しぶり」

 優雅に微笑むのは、東方訓練兵団教官――つまり恩師だった。

「顔は覚えてるんだけどね、確か名前は……リーベだっけ? 元気?」

 穏やかな口調とは正反対の息つく暇もない斬撃は受け流すだけで精一杯だ。このままじゃすぐ崩れる。崩される。わかってる。じゃあどうする? ――仕掛ける!

「はい、おかげさまでっ!」

 防御を考えずに攻撃に回った次の瞬間、首筋に冷たい刃が突きつけられていて――私のナイフの切っ先も相手の首を滑る前に軽く触れていた。
 それが決着だった。

「さっき何人か教え子に会って医療班送りにしてあげたんだけどね、アンタも万全の調子なら同じようにしてあげたのに。どうしたのよ手を庇って」
「すみません、手を抜かせてしまって……」

 オルオさんの言葉を思い出して、医務室が混んでいる理由に納得しながらナイフをシースへ戻す。とりあえず気になるのが、

「あの、調査兵団へ来たご用は何ですか?」
「単に挨拶回りよ。実は教官職を辞任しようと思って」
「えええええ!?」

 思わぬ言葉に驚いて、疑問しか出て来なかった。

「そんな、どうして……!」

 外見から推察する年齢を考えてもまだまだ現役のはずだし、今の動きからしても身体のどこかを負傷しているわけじゃなさそうなのに。

「単なる気分よ。人生なんてね、変えたくなったらいつでも変えればいいの。いつでも何でも始められるわ」

 何をする気なんだろう、この人は。

「ふふ、それは次に会えた時のお楽しみ」

 そこで馬車がやって来て、教官は軽やかに飛び乗る。小さく手を振った。

「またね」

 綺麗に片目を瞑って、教官は行ってしまった。

 私が教官が去った方角を眺めていると、兵長が隣に並んだ。

「どうした」
「……教官は『またね』って言ってくれたんですけれど……きっと、もう、会えないと思って」
「会いたくなったら会いに行けばいいだろ」
「そうですね。でも、私があの人に会いに行くことはないと思うので」

 そのことも、寂しさを感じる理由かもしれない。

 始まりがあれば終わりがある。出会いがあれば、別れも。そんな当たり前のことを寂しく思うのはどうしてだろう。多分、理屈じゃないとは思うけど。

 永遠なんて、想像出来ないことを望むことはないけれど。

 また手のひらの棘が痛みだした。顔をしかめていると、ぐいっと手を引っ張られる。兵長だった。唐突なことにされるがままでいると、

「――俺は、居てやる」
「え?」
「お前が俺と会えなくなる時は来ない。少なくとも、お前が望む限り」

 一瞬で、何がどうなったのか手のひらの棘が抜かれた。早業過ぎて何が起きたのかわからない。茫然としていると、やがて兵長は歩き出した。
 その後ろ姿を見送っていると、今度はぺトラとオルオさんが私の隣に立つ。

「どうして突然戦い始めたの?」
「さっきの人は教官で、訓練兵時代は今のが常に挨拶として推奨されてて、つい」
「へえ、そんな風習が……それにしても女性の教官なんていたのね」
「俺たちがいた訓練兵団は男ばっかだったよな」
「……ペトラ、オルオさん」

 私は名前を呼んで、言葉を遮る。そして言った。

「さっきの人、女じゃありませんよ」

 ペトラは言葉を失ったように黙り込んで、

「嘘でしょ!?」
「嘘だろっ!?」

 オルオさんと一緒に信じられないというように叫んだ。

「どういうことなの? 一体何者?」
「年齢不詳、性別不明で入団したばかりの新兵を混乱へ陥れた魔の存在。段々と見かけと装いが女性であって中身は男性だと明らかになったけれど年齢は未だにわからない」
「へ、へえ……」

 もう姿は見えないというのに、呆然としたように教官が去った方向を見るぺトラと、オルオさんがそのうち何かを思い出したように、

「リーベ、そういえばお前、医療班に用事あるんじゃなかったか?」
「あ、それが、もう大丈夫で……ご心配お掛けしました」

 その後、給湯室で茶器を並べて紅茶を淹れる準備をしていると、気配がした。兵長だった。

「そういえば、さっきのヤツから卒業試験の話を聞いた」
「え?」

 突然何の話かと戸惑ってしまう。卒業試験といえば、訓練兵団の最後を飾る一大試験。それがどうしたんだろう。

「憲兵団に入りたいがために無謀な飛び方をしたヤツがいたそうだな」
「あ、ええと、そうですね、立体機動のガスを節約しないと最終地点へ着けないのに、その人は上位になりたいからと速度を優先して」
「で、終盤に失速。そのまま墜落して不合格になるはずだったところを――お前が蹴り飛ばして終着地点へ押し込んだ」

 兵長が何を言いたいのかわからないので、私は黙って聞いているしかない。

「どちらも合格したが、お前がやったことは妨害行為として減点され、そいつは晴れて十番内へ入ったと」

 そんなこともあったなあと思い出す。

「私は別に十番内を目指していたわけではないので――」
「で、何を考えたかそいつは土壇場で憲兵団から駐屯兵団へ鞍替えしたんだとか」
「駐屯兵の上官に一目惚れしたみたいですよ。詳細は知りませんが」

 そこまで話して、首を傾げてしまう。

「それが、どうしたんですか」
「いや、お前はそういうヤツだと思っただけだ」
「はあ……」

 兵長は何も言わなくなったのでとりあえず紅茶を淹れ始めることにして、さっき言われた言葉を思い出す。

『俺は、居てやる。お前が俺と会えなくなる時は来ない。少なくとも、お前が望む限り』

 嬉しかった。

 出来るだけ少しでも長い間、この人の近くにいたいから。
 それが叶わないなら、せめて同じ世界に生きていたいから。

 難しいことだろうけど。
 どんな願いも一瞬で無に帰す世界だけど。

 それがわかっていても、だからこそ言葉にしてくれたことが嬉しかった。

 同時に、想う。

「…………」

 ずっとわかっていることがある。私の方が、兵長より先にこの世界からいなくなること。だから、私が兵長と会えなくなることはなくても、兵長にとってはそうではない。

 それは、やさしいこの人が、私に許してくれていること。

 だけど、

『お前はそういうヤツだと思っただけだ』

 この人のために、私に出来ることを考える。

「…………」

 棘はさっき抜いてもらったはずなのに、また少し痛んだ。


(2017/07/04)
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