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地上の小鳥に会いに行く
「つまりあなたはリヴァイさんですけれど、私の知っているリヴァイさんではないということですね」
目の前のリーベが――俺が知っているリーベではないリーベが、テーブルへ紅茶のカップを置きながら言った。
「ああ、そうらしいな」
やっとこいつを一目見た時の『最初の衝撃』が落ち着いて頷く。
俺が今日ここへ来た目的は壁外調査で死んだ兵士の身内が暮らしている家へ遺品を届けることだった。だが、実際に暮らしていたのはこの目の前にいるリーベだった。
『おかえりなさい、リヴァイさん。どうされたんですか? 今日はお戻りにならないはずじゃ――』
俺が家の前で茫然としていると、ゆっくり近づいて来ていたリーベは言葉を止めた。それから不思議そうに首を傾げて怪訝そうに訊ねる。
『リヴァイさん……ですか?』
そんな風に互いを確かめてからいくつかのやり取りで、ようやく何が起きているのか把握することが出来た。信じがたいものだが納得するしかなかった。
話によれば目の前にいるリーベは俺とは違う、この世界の『俺』と結婚して、ここで一緒に暮らしているらしい。何がどうしてそうなったんだ。この世界の『俺』はこいつに何をしたんだ。
聞きたいことは山ほどあるが、
「――お前、兵士は辞めたのか?」
俺の問いかけにリーベは目を丸くして、
「いえ、私が兵士だったことはありません」
理由を訊けば、ゲデヒトニス家に居続けたことに尽きるという。
驚いた。リーベが使用人であり続ける、その可能性が有り得たのか。思わず考え込んでいると、
「少し前、ナイルさんが仰っていました。あ、憲兵団のナイル師団長をご存知ですか?」
「ああ。その口振りだとこの世界にもいるんだな、あの薄ら髭」
「これはナイルさんに聞いたお話ですけれど――」
そして目の前のリーベは話し始める。――並行世界について。
並行世界とはこの世界と並んで存在している別世界、今の自分とは異なる生き方をする自分がいる世界らしい。
「…………」
この世界は、別世界とはいえ巨人がいないわけでもなければ、特に何が変わるわけでもない。
俺の世界と異なる点は把握出来る限り一つに尽きる。――この世界ではリーベが兵士になっていないことだ。
俺は改めて目の前の女を観察する。
まず、リーベ本人であっても見かけが違う。まとめている髪も随分長い。体型も、違う。常に最低限張っている警戒心も皆無。戦うこととは無縁そのものだ。
リーベであってもリーベではない、その違和感にどう向き合えばいいかと思っていれば、
「――『私』は、強いですか?」
目の前のリーベが言った。
「自分が兵士だったら、なんて想像が出来なくて。だって兵士なら、あの立体機動装置を使うでしょう? 私なら、絶対に出来ない動きなので。もしも、その……使いこなせていなかったり、弱ければ、あなたや周りの皆さんに迷惑をかけているのではないかと思って」
まさか。それは杞憂だ。
「あいつは……俺のリーベは、立体機動装置に対する造詣が深い。訓練で色々試して派手にぶっ壊す時もあるが、その分だけ常に成長している。だから強い。どんな窮地もあいつは自分でどんな状況も切り開く。相手が巨人だろうと人間だろうと関係ねえ。――力以外に、心も、強い」
すると目の前のリーベは驚いた顔つきで、呟くように言った。
「とてもたくましいですね。私が私じゃないみたい……なんて、当たり前ですよね。だって私であっても私ではないんですから」
それから窓の外へ顔を向けた。
「自由の翼を背に、壁外へ出る『私』が少し羨ましいです」
でも、と続けた。
「いつまでもあなたが仰るようにはいかないでしょうけれど」
「…………」
「強くても、私はあなたのような最強には絶対になれない。限度、限界があります。だからどれだけ強くても無敵ではいられないでしょう」
当たり前のことのように、当たり前のことをリーベが口にして、その事実が胸の奥底へ重く沈んだ。
わかっているんだ、そのことは。だから、
「俺は……どうすればいい」
守りたいんだ。大事にしたいんだ。――生きていて、欲しいんだ。
だが、俺に出来ることは何もかも、いつも遅くて、間に合わない。
「哀しんで欲しくない。苦しんで欲しくない。恐怖や絶望に苛まれて欲しくない。――死んで欲しく、ないんだ」
気づけば深くうつむいていた。
そして手を強く握りしめた時――その手が、あたたかなものに包まれた。リーベの両手だった。
「あなたにそこまで想われても、『私』は兵士であり続けるんですね。きっと、理由があると思いますけれど。……私のリヴァイさんは、私が兵士だったらと例え話をしただけでとても不安そうでした。なので、本当に兵士になった『私』のそばにいるあなたが……どれほどの想いに囚われているのかは想像出来ませんが――」
俺を包む手に力を込めて、
「大丈夫ですよ」
はっきりとリーベが言った。
「あなたも、私のリヴァイさんのように『私』を想って下さっている。そのことがもう充分に『私』を救ってくれています。あの人が私をいつも助けてくれるように」
だから、とやわらかい声で続ける。
「たとえ、結末が、終わりが、最期がどれだけ哀しくて、苦しくて、どうしようもなくて、悔しくて、悲劇的でも――それまでの幸せだった時間をあなたは贈ってくれたから、『私』はきっと大丈夫です。あなたが絶望する必要はありません」
迷いなく、強く言い切った。
なぜ、そう思えるんだ。俺にはわからねえのに。
「そう考える理由や、根拠があるのか」
するとリーベは微笑んで、
「だって、『私』ですから。もしも今、命が終わると告げられても、私は笑って、これまでの幸福を忘れることなく、そしてどんな絶望に屈することなく『終わり』を受け入れましょう」
俺は首を振って、
「何もかも無意味に終わって死ぬとしても、笑えると思うのか」
「おかしなことを仰いますね? 調査兵団は戦う者の死を無意味なものにしない組織でしょう?」
「…………」
ああ、その通りだ。俺は何を言っているのか。
「それに、たとえすべてがいつか喪われても、最初から何もないことより、私はずっと嬉しいです」
目の前のリーベがやわらかい表情のまま続けた。
「悲しくても、苦しくても、怖くても、つらくても、痛くても、あなたがいれば、きっと乗り越えられるんじゃないかと思うんです。私は『私』をそう信じます」
「…………」
リーベは、リーベだ。
前向きで、まっすぐで、不安に揺れても、それは誰にも倒せない。俺はずっと知っている。最初から、そうだったんだ。
だから、そうだな。
唐突に会いたくなった。俺のリーベと。だから席を立つことにした。
「――帰る。世話になったな」
すると目の前のリーベが何度か瞬きをして、
「わかるんですか? あなたの世界への帰り方が」
「この世界へ来た理由を考えたら、戻れる気がする」
曖昧なものでも、確かな直感だった。
そもそもなぜ俺はこの世界へ紛れ込んだのか。
馬鹿なことを考えたからだと思った。酷い夢を見たんだ。あいつが兵士でなければ、そうならなかったんじゃねえかと思えるような、悲惨な夢。
無意味なことを望んだと今はわかっている。
リーベはリーベだというのに。兵士でなかろうと悲惨なことがいつでも起きる世界だと忘れていたわけでもねえのに。
「では、お気をつけて。もし戻れなければ、この家へ来て下さいね?」
俺を案じながら目の前のリーベがゆっくりと椅子から腰を上げる。見送るつもりらしい。
「動いて平気なのか」
「全然大丈夫ですよ」
俺がとやかく言うのも筋違いだと考えてそれ以上は何も言わないことにした。ただ、外へ出てから最後に振り返って、言葉をかける。
「――元気なガキ、産めよ」
するとリーベが愛おしそうに自分の膨らんだ腹を撫でた。
「はい、ありがとうございます。――さようなら、あなたの世界の『私』をお願いしますね」
調査兵団本部へ戻って周りを見ても、特に何が変化したとは思わない。
当たり前だ。
人間ひとりいなくなったところで、それが誰であろうとこの世界は、この場所は変わらない。
あいつの存在は、あいつに会うまで確かめることは出来ない。
不安になる。もう二度と、あいつに会えなければ。
そう思うと自然と早足になって駆ける。焦燥感に鼓動が乱れるのがわかった。
「…………」
そのうち向かいから歩いて来る新兵らしき二人組の声が耳に入る。
「ミケ分隊長の班も災難だよなあ。しばらくあの部屋使えねえだろ」
「オレ、ちらっとだけ部屋覗いて見たけど、まさに大惨事だったぜ」
「おい」
すれ違いざまに話しかければ新兵二人組は俺を見て慌てて敬礼を見せる。詳細を訊けば、立体機動特別強化訓練中に誤操作した一人の兵士がミケの執務室へ窓から突っ込んだらしい。
「今の話、負傷者はいるのか?」
「え、ええと……いたっけ?」
「確か一人、重傷らしくて……」
誰が負傷者なのかまでは把握してないらしい。
「…………そうか」
新兵二人とそこで別れ、駆け足で向かったリーベの部屋の扉を素早く開ける。
誰もいないのかと恐怖した瞬間、見つけた。窓辺で椅子に座るリーベがいた。いつもの兵服姿。俺のリーベだ。驚いたように俺を見る直前まで自分の左手を軽く掲げて眺めていた。何やってるんだ、こいつは。
まず、俺のリーベがいる世界へ戻れたことに安堵して、こうして会えたこと、そして負傷している様子はなかったことに息を吐く。冷静に考えてみれば、普通は事故を起こした張本人が重傷に決まっているのにどうかしていた。
「兵長? どうされました?」
「いや……」
「あの、鍵を開けていたとはいえノックして下さいね?」
「悪かった」
余裕がないことを誤魔化すために、気になったことを訊ねる。
「左手がどうかしたのか」
「え?」
「熱心に見てただろ」
「あ、これは……」
大したことではないんですけれど、と前置きして、
「指輪をしたら、どんな感じなのかと……少し想像していただけです」
意外だった。リーベは興味を持たねえと思っていたから。突然どうしたんだ。
「欲しいのか?」
リーベは少し考えて、
「いいえ。――邪魔になりますから。兵士にとっては」
左手を下ろした。
「兵士でなければ構わねえだろ」
するとリーベは戸惑った顔つきになる。言葉に窮していることがよくわかる。
「私、は――」
そんな表情をさせたいわけじゃなかった。
お前が兵士だろうと、兵士でなかろうと、ただ、俺は――
「リーベ」
適当に話を切り上げることにして俺は土産を机へ置いた。トロスト区限定で卸されている茶葉だ。リーベが目を輝かせた。
「こ、これ……!」
「やる」
「いいんですか?」
嬉しそうに手を取った。
「切らしてからしばらく経っていたので、そろそろ買いに行きたいと思っていたんです。ありがとうございます。一緒に飲みましょうね」
胸が満たされるのがわかる。俺はこいつの、この顔が見たかった。
お前が兵士だろうと、兵士でなかろうと、ただ、俺は――笑っていて欲しいんだ。幸せでいて欲しいんだ。生きていて、欲しい。
「リーベ」
「何ですか?」
お前といると、俺は自分の無力さに苛まれる。
だが、お前といたら、俺はまだ強くなれると信じられる。
「いや、お前の名前が呼びたくなっただけだ」
こんな時間の積み重ねて――いつか、どんな悲劇や絶望も俺はお前と越えたい。
(2017/04/13)
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